回想:旗野詩織③
花鶏と出会ってからというもの、詩織の人生は急に忙しさを増した。
ひとりだった頃、時間はとてもゆるやかに流れていたように思う。
そんな日々がもう思い出せないほど、花鶏と過ごす日常は目まぐるしい。
日々の授業や季節ごとの行事。どんな時でも常に詩織の隣には親友がいてくれた。
あっという間に最初の夏が来て、『長い休みになると花鶏と会えなくなって寂しい』なんて思っていたら結局ほぼ毎日会うことになっていて、詩織はようやくこの関係性が夢ではなくて現実なのだということを実感し始める。
「シオリン、球技大会の種目、一緒のやつにしよ! エマちとナベカとコットンもいるけどいい?」
「うん。私もアトリンと一緒がいい」
詩織は相変わらず内向的だったが、花鶏は持ち前の快活さと積極性と人懐っこさですぐに友達の輪を広げていた。小学生時代から仲良しだった女子生徒も多い。
そのおかげで詩織も『花鶏の友達』とならそこそこ話せるようにはなっていて、少しだけクラスにもなじみつつある。
とはいえ、花鶏はアクティブなだけで決して人付き合いが上手いというわけではなかった。距離感を間違えて失敗することもよくあり、たまに聞えよがしな『うざい』という陰口が届いてくることもある。
「花鶏ちゃんって、いっつもそう! そういうお金持ちマウント、やめてって言ったよね?! 私、取り巻きとか言われるのもうやだよ!」
花鶏は友達を作るのが上手いが、友達を続けることが下手だった。
「えっと、あたし、そんなつもりじゃ」
「わざとじゃないなら余計に最悪じゃん! そういうのみんなうんざりしてるから! いいかげんにして! みんなが花鶏ちゃんみたいに恵まれた家に生まれてるわけじゃないんだよ!」
「あたしだって、あんな家に居たくて居るわけじゃ」
「はぁ?! あれだけ贅沢してて今度はそれ? ふざけないでよ!」
相手から不満と怒りを叩きつけられた花鶏は、普段とは全く違った表情を見せる。
ひどく弱々しい顔で、縋る対象を探すように周囲に助けを求める。
目の前にいる相手ではなく、詩織の方を見るのだ。
それが、余計に相手の怒りを助長するのだと気付けないまま。
「もういい! 絶交だから!」
詩織はもしもの光景を想像する。
花鶏が目の前の友達と向き合ってきちんと謝罪し、『あなたと友達でいたい』と素直な言葉を告げていれば、離れていった何人かは今も彼女の周囲にいたはずだ。
指摘することは簡単だった。素直な花鶏は己の間違いを認めて反省できるだろう。
(最初に、私に助けを求めてくれるんだ)
この喜びが間違っていることには気づいていた。
それでも、小学生の時から友達だったという
『親友』であるという幸福。
こんなにも素敵な花鶏が最初に縋りつくのは自分なのだと言う実感。
(嬉しい。嬉しい。嬉しい)
周囲からどう思われてもいい。この場所にいることができるのなら。
今の旗野詩織にとって、薬師寺花鶏は世界の中心だった。
「あたし、嫌なやつなのかなあ。コットンに嫌われたくなんてないよ」
涙を流す花鶏に友人たちが寄り添って慰める。
そういう構図がまさに琴音が嫌がったものなのだろう、と詩織はぼんやり想像しながら、一歩引いた位置から花鶏を見守っていた。
「気にしちゃ駄目だよ、私はずっと花鶏ちゃんの友達だから! 小学校からずっと一緒の、最初の友達だもん。私がいちばん花鶏ちゃんのいいとこ知ってるから。琴音は付き合いが浅いから花鶏ちゃんを勘違いしてるだけだよ!」
そう言って花鶏を抱きしめる
恵麻が時折こうやって付き合いの長さを強調するのは詩織に対するメッセージなのだということには気づいていた。
「えっとさ、詩織、いいかな? ここは恵麻に任せて、私たちは琴音と話してみない? さっきはちょっと興奮しちゃったけど、落ち着いて話せば意見も変わるかも」
そうやって話しかけてきたのはもう一人の友人である
「うん、わかった。渡辺さん、行こう」
きっとあまり意味はないだろうし、『友達の友達』でしかない詩織にできることはない。逆効果かもしれなかった。
詩織は気付いている。花鶏のグループが、彼女を中心とした『友達の友達』という関係性になりがちなことに。詩織たちはみな『花鶏の友達』という共通項を持つが、それ以上の関係性とは呼べない。だからこそ、花鶏と上手く行かなくなると自然とグループから離れて行ってしまうのだ。
『薬師寺花鶏と関わると、人はみなおかしくなる』
ふとそんなことを思いつき、詩織はすぐにくだらない妄想を打ち消した。
まるで
物語の中でしか見かけないような言葉だ。
「新田さん、どうするのかな」
二人は走り去ってから校舎の階段下のスペースで泣きじゃくっていた琴音をどうにか見つけたが、結果は悲惨の一言。関係修復は難しく、これ以上は余計にこじれるだけだと判断した二人はその場を離れるしかなかった。
「私が小野田さんに話しておくよ。確か小学校一緒だって言ってたし」
麗華はさらりと言った。そこにはある種の割り切りがあったが、同時に彼女なりの優しさなのだろうと詩織は思った。これは花鶏と恵麻の関係性を維持するための行動であり、詩織を守るための一時的な隔離であり、恐らくは琴音の今後をフォローするための麗華なりの配慮なのだろう。
「渡辺さん、頭がいいよね」
「どしたの急に」
「色々やってくれてるから。いなかったら、もっとおかしくなってた」
「そう思うならもうちょっと、いや、まあ無茶ぶりか」
うーんと難しい顔で唸る麗華。
言いたいことはわかる。
こんなに人間関係に頭を悩ませてくれているというのに、詩織はただ与えられるものを漫然と享受してばかりだ。
(私、自分の幼さが恥ずかしい)
意識して内心で独白する。こういう言い方をすれば聞こえはいいが、実際には麗華の『旗野詩織にこの要求は難し過ぎるかな』という『赤ちゃん扱い』がシンプルに不快だった。確かに対人関係のスキルはゼロに等しいが、そうやって諦めたような目で見られるのは嫌だし、何かに負けた気がする。
「あの、渡辺さんっ」
「ん? どしたの、詩織」
詩織は花鶏が大切だった。
彼女が傷つくかもしれない可能性を、そのままにしておくべきではない。
だから胸の内に秘めた不健全な願望を押し殺して、少しだけ自分を変えてみようと思い立った。
「えっと、大したことじゃないんだけど。ていうか、いま言うことじゃないかもだけど。私も、渡辺さんを名前で呼んでいいかな」
「詩織がそうしたいなら、いいよ。私はとっくにそうしてるし」
相手の方はずっと歩み寄ってくれていた。
世界を閉ざしていたのは、きっと詩織の方だけ。
いちばん大切なのは花鶏だ。けれど、そのままではいられないことぐらい中学生の頭でも考えればわかる。狭くて幼い世界を広げていく必要があった。
「その、ロー、カ」
「お願い覚えててくれたのは嬉しいけど、ちょい強引だったね」
『ローズ』を強引に『レイカ』に寄せようとして失敗した詩織を、少しからかうように麗華は言った。詩織は申し訳ない気持ちになったが、こういう時に謝罪をすればいいのか、軽く流せばいいのか、いまひとつ判断がつかない。
「ごめんレーカ。それで、ちょっと提案なんだけど。私たち、ちゃんとした居場所を作らない? 部活っていうか、クラブ活動とか同好会とか。申請すれば認可されることもあるって聞いたんだけど」
『友達の友達』というだけの関係性は、とても脆い。
それを何とかするためには、全員が友達になる必要がある。
しかしそれを実現するのは詩織には難し過ぎた。
だからこその代案が、『同じ場に所属する』ということだった。
「あー、なるほどね。いいじゃん。それっぽい名目でっち上げて謎部活ものみたいにしても楽しそう」
即座にこちらの意を汲んでくれた麗華はやはり聡い。
だが、ときどきよくわからないことを言うのは困りものだ。
「謎部活ってなに?」
「古典部とかホスト部とか奉仕部とかSOS団とか。最後のは文芸部か」
「えっと? ごめんなさい。意味がよくわからない」
「ふむ、まあ不真面目なのは通らないだろうし、先生に相談して無理そうだったらウチの文芸部においでよ。いるの私と数人だけで、他はほぼ幽霊部員だし、溜まり場にしてもそんなに怒られないと思うんだよね。これなら目的は達成できるでしょ?」
「ありがとう。レーカに話して良かった」
「私もこういうのは嫌だし。お互い様」
そうして、詩織は少しだけ世界を広げた。
狭い世界を作り上げただけかもしれないけれど、ほんの数人だけの輪に入るだけでも詩織にとってはとても勇気が必要な大冒険だったのだ。
結局、『謎部活』とやらが認められることはなかったので、麗華の提案通りに詩織たちは文芸部に入部することを決めた。
「旗野さん、『かがみの孤城』読んだ?」
「はい。先輩のおすすめ、どれも面白いです。次は『傲慢と善良』か『冷たい校舎の時は止まる』で迷ってるんですけど、どっちから行くべきでしょう?」
「それは後者。あと個人的には『凍りのくじら』とか『スロウハイツの神様』とかも読んでみて欲しい。そこの棚にあるよ」
文芸部には色々な人がいて、他のクラスや上級生との交流もできた。
本の貸し借りができる読書友達ができるのはお小遣いの少ない中学生にとってはありがたかったし、部室に置いてある本が読めるのもとても助かった。
なにより誰かと感想を共有するのは楽しかった。自分とは違う意見を聞いて、考えたこともなかった視点に気付かされると更に読書が楽しくなる気がした。
文芸部は必ずしも読書家の集まりというわけではなくて、花鶏と恵麻なんかはずっとおしゃべりしながら爪をいじり合ったり携帯端末をきれいに飾ったりしているのだが、たまに凄い勢いで詩織の方に突っ込んでくることがある。
「あっ、それあたし知ってる! 映画になってるんだよね。配信観れるからさ、一緒に上映会やろやろ!」
「うん。いいよ。恵麻とレーカも一緒でいいよね?」
「え? うん、シオリンがいいなら!」
詩織は気付いていた。
先輩や他のクラスの友人と本の話をしていると、花鶏がそわそわしながらこちらを見て何か言いたげにしていることを。
それに気づいた恵麻が不満そうな顔になることも多く、詩織と麗華はそのたびに冷や冷やさせられていた。
(思ってたほど簡単じゃないんだな)
どこかに所属すればそれでいい、というものでもない。
むしろ、花鶏の妙な幼さが露呈しただけという気もする。
いずれにせよ、始めてしまったものは仕方がない。
四人の間に漂う微妙な焦げ臭さを払拭するように、麗華が唐突に叫んだ。
「新作の小説が伸びな~い。読者欲しいよう。感想欲しいよう。書籍化したいよう」
彼女の前には文芸部の備品であるノートパソコンが置かれている。
麗華は帰宅部が半数以上を占める文芸部内では少数派の創作者だ。詩織も先輩に教えてもらいながら幾つか詩を書いているのだが、あまり思うようにはいかない。中学生の部活動などそんなものと言えばそれまでだが、麗華はネット上の小説投稿サイト『カクヨム』で活動している点でかなりアクティブな部類の部員と言えた。
「私、読んだよ」
「おおっ、詩織ありがとう! どうだった?」
「セクシーなお姉さんに変身できる関東最強の暗殺者とドイツからやってきた関西弁の金髪アレマンニンジャと前世で宿敵だった猫耳剣豪おじさんに命を狙われたり求愛されたりするの、はっきりいって要素を盛りすぎだと思う。あとお話はよくわからなかった。どうして家柄と任務と恋の狭間で揺れ動く心の話をしてたのに急に殺人事件の謎を解こうとしてるの?」
「性癖ぶち込んだんだよぅ! あと新展開はその、新しくスパダリ系の探偵教授と依存体質の美少年小学生助手を出したくてぇ」
「迷走してると思うから、それは別の作品でやったほうがいいんじゃない? ほら、投げっぱなしの連作短編があるでしょ。こないだ貸してくれた『氷菓』のパク、パスティーシュみたいなやつ。そっちでやったら?」
「ごもっともです! ちょっとハイになりすぎてた! でも詩織は言葉をオブラートに包むことを覚えて欲しいかな!」
詩織と麗華は中学一年生の秋ごろにはすっかり仲良くなっていて、もう『友達の友達』という感じではなく、友達同士として接することができていた。
あとはぎくしゃくしがちな詩織と恵麻の関係が上手く行けば、この四人は本当の意味で仲良しの友達グループになれるだろう。
詩織と麗華は同じ目的意識を持って連帯していたからこそ、こうして絆を深めることができた。けれど、そこにはひとつの落とし穴がある。
「む~。ねえねえエマち。あたしらもなんか書こーぜ」
「え、花鶏ちゃん、こないだもそう言ってすぐ飽きてなかった?」
「じゃあよさげな本とか読みたい。オススメある?」
「ううーん、私が読むの、部室にあるやつとは方向性が違うからなあ。花鶏ちゃんの好みとは違うかも」
「大丈夫! あたし、頑張って文芸部に馴染む! もう眠くならない!」
「じゃあ、こんど私の好きな本を紹介するね。ル=グウィンとかティプトリーとかマキリップとか。短編集がいいかな。『風の十二方位』あたり?」
少しずつ、花鶏が不満を溜めこみつつある。
あるいは、詩織との間に存在する隔たりをもどかしく感じているような、漠然とした恐れが花鶏の心に焦りを生んでいるようだった。
(アトリンに無理させなくていいのに。私なら、『魔法使いハウルと火の悪魔』かな。読んでもらうんじゃなくて、映画の方だっていいんだし)
もちろん、詩織は気付いている。
自分は恵麻に対抗心を抱いているのだ。
おそらくは、相手と全く同じ種類の気持ちを。
この状態で仲良くやれるかもしれないなんて、都合のいい妄想に過ぎない。
薄氷を踏むような危ういバランスの上。
詩織は花鶏が自分から離れたがらないことに密かな優越感を覚えている。
(みんなに内緒で二人で遊びに行ったりしたら、アトリンは機嫌直してくれるかな)
それはとても心地の良い状況だった。
誰もが憧れる素敵な女の子が、詩織に特別な執着を見せてくれる。
自分を暗い場所から引っ張り上げてくれた、真昼の星のように輝くあの花鶏が。
花鶏の親友。
その特別さを噛みしめていた詩織は、想像すらしていなかった。
花鶏にとっての世界の中心が、実は自分ではなかっただなんて。
季節が冬に移り変わり、二人が出会った頃に交わした『秘密基地』の約束を詩織がすっかり忘れた頃。
彼女は、もうひとつの再会を果たす。
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