第八話 真の仲間じゃないと追放された勇者、辺境でアイドルに転身する。『種返せ』と言われてももう遅い。




 オリヴィアは『近くに転移者たちの街がある』と言った。

 勇吾は基本的に彼女の言葉を話半分で聞いているので、そのような場所があるかどうかについては『見るまでは信じない』というスタンスだったのだが、実際に連れてこられると目を疑いたくなってしまう。


「人が、めっちゃいる」


 厳密には人だけではない。

 浮遊するクラゲのような生き物と毛玉のような小動物が連れ立って歩き、アクセサリを並べている露店の前で足を止める。露天商もぱっと見は人間のようだが、よく見ると手の指が三本しかない上に鉤爪まであった。

 雑踏の中には勇吾とさして見た目が変わらない者も多かったが、その中に混じって耳が長い者、耳がヒレのような者、背の極端に低い者、真っ黒なローブで全身を隠した者、真っ赤な角の生えた二足歩行のカエルなどが目についた。

 その他にもどう見ても巨大な豆腐にペンで落書きした目と口がくっついた感じの珍妙な生き物がぽよぽよと跳ねていたり、あまつさえ周囲に首輪を付けた可憐な美少女をたくさん侍らせて『ご主人様、かわいい~』などと愛でられたりしている。


「珍しいですか? 色々な世界からの来訪者たちです。この街は辺鄙な田舎なので、種族のバリエーションはそんなに多くはないですね。せいぜいがフィソノセイアス、クルキータ、ジヌイービ、リシャービオ、トントロポロロンズあたりがいるくらいで、基本的にはユーゴさんのようなホモサピエンス型が最も多いですよ」


「ごめんカタカナの固有名詞を急に羅列されても何が何だかわからない」


「『トントロポロロンズ転生~なんか小さくてぽよぽよした生き物になって暮らしたい~』はこの世界では一時期かなり流行りまして、ああいう感じでポヨポヨ化した転移者が一大勢力を築いているんです。万単位で」


「やばくない?」


 色々な意味で。


「略してちいぽよ」「それよりオリヴィアさん、この街で特訓するって話だけど」


 強引に話をぶった切りつつ真剣な表情で隣の少女を見据える。

 意識してシリアスな空気を作っていかないとオリヴィアは際限なく脱線していく。

 勇吾は自分がしっかりしなければ、という謎の使命感を持たざるを得なかった。


「ええ、まずは路上でのパフォーマンスに挑戦していただきます。それからわたくしの知己を訪ねて各種の特訓、強化施術、診断、マッサージ、湯治、面接、オーディション、顔合わせなど盛りだくさんです。巻いていきましょう」


「ごめん、いつものことだけどついていけない」


「安心して下さい、この街にはなんでもあります。なにしろ、こんな場所にありますからね。戴冠神殿の目が届かないからみなさん好き勝手に活動できるのです」


 『こんな場所』とオリヴィアが言ったのには理由がある。

 勇吾は和風なのか欧風なのか無国籍なのかよくわからない雑然とした街並みの向こうに視線を向けた。遥かな山々の稜線が青空に霞んでいるが、それらはかりそめの蜃気楼。『システム』によって設定された『世界の果て』らしい。

 竜骨の森を更に東に進んだ先にあるのは第一階層の外壁と、その手前に広がる『ざまぁの墓場』だけ。

 そしてこの場所は、その『墓場』にへばりつくように隣接した街なのだった。


「ここはわたくしの主な活動拠点でもあります。ここに住むのは転移者たちの統治機構たる戴冠神殿の管理を嫌う、クエスト義務の忌避者たち。ようこそユーゴさん。わたくしの『アンチクエストシティ』へ!」


 オリヴィアは歓迎するように手を広げ、弾んだ声でそう言った。

 勇吾は沈んだ心を隠しながら、喜びの表情を作った。

 ちぐはぐな両者が、すこしでも噛み合っているのだと見せかけるために。

 そのための努力をしたいと思えるくらいには、オリヴィアに感謝していたから。




 『宣名』というらしい。

 文字通り、名を宣言することだ。

 オリヴィアはその重要性を得々と説いた。


 「人には必ず『運命さだめの名前』があります。それは魂と結びついた『まことの名』、あるいは『あなたの物語の題名』と呼ばれるもの。その名を高らかに呼ぶ、あるいは告げることで人はその瞬間から主人公になれる。さあユーゴさん、あなたの先輩たちを見て下さい。立派なタイトル回収コールが見えるでしょう?」


『追放された付与術士、田舎で引きニートになる~真面目にダンジョン攻略しろとか言われても無職の味を知ったのでもう遅い~』


 ででーん、と初対面の男の背後に文字列が見えた。

 長い題名を音読しているのはもちろんオリヴィアである。

 『働いたら負け』と印字されたよれよれのシャツを着た無精ひげの男性は、見たところ勇吾よりやや年上のようだ。


(なんだこれ)


 勇吾はもう何度目になるかもわからない感想を抱く。

 男は唐突に住居を訪ねてきたオリヴィアを見ると溜息を吐き、不承不承と言った様子で勇吾に手招きした。


「あー、ショウタ・スロードハインだ。付与術士をやってる。なんか大変なんだって? とりあえず服とか武器とか見せてみな。低レベルでもそこそこ戦えるようにはしてやっからさ」


「よろしくおねがいします」


 案内された建物の中は住居兼店舗だったようで、勇吾は『古着屋とクリーニング屋が一緒になったみたいだ』という感想を抱いた。非常に散らかっており、とても繁盛しているようには見えない。

 ショウタと名乗った男は勇吾のブーメランに手を翳してぶつぶつ呟いたかと思えば、着用していた制服はおろかシャツから下着まで脱がせて勇吾を丸裸に剥いたあと、一枚ずつ丁寧に刺繍をしたり謎の着色料で怪しげな文字を描いたりとよくわからない作業をてきぱきと済ませた。


「普通の洗剤で洗濯しても落ちないようになってるから。安心して戦っていいよ」


「はあ、どうもありがとうございました」


 これ落ちないのかよ、とちょっとショックを受けた勇吾だったが、せっかくの厚意を無碍にすることもできない。

 用事が終わったかと思うと、待機していたオリヴィアがやってきてすぐさま次の場所に連れていかれる。例としては以下のような具合だ。


『ファンタジー世界でマッサージ~スライムもゴーレムも勇者も魔王も揉みほぐした男~』


「いや~きみ高校生? 凝ってるねえ」


「そうですか? 柔軟とかしてるし、自分ではそんなつもりはないんですけど」


「いやいや、ハートっていうか、ソウルがさ。まあその歳で集団転移コースはメンタルに来るよねえ。わかるわかる。俺なんか樹海自殺ツアーだったから『心機一転気楽なもんよ』って開き直ったけど、主催者がガチで心中する気で『皆一緒だ』って暴れてさあ。何人か仲間が殺されて、『指標インジケータ』って言い訳もあったからやっちまったんだけど、後味悪かったよねえ。やっぱよくないよこういうの」


 しみじみと語りながら勇吾をマッサージする男はずっと両目を閉じており、両足は膝から先がなかった。気楽そうに語ってはいるが、彼にどれほどの苦難が降りかかったのかは想像することさえ恐ろしい。

 それでも、彼は勇吾にとっては忌むべき『加害者側』だった。

 『指標』を殺したことを後悔していると彼は言う。

 殺された者にとってそんな言葉は何の慰めにもならない。

 だが、勇吾の目に映るマッサージ師は紛れもない『被害者側』でもあった。


『復讐者のセカンドライフ~俺を嵌めたクラスの偽勇者をぶち殺したのであとは幼馴染の墓を守りながら隠居して楽しく暮らす。誰だよ復讐しても幸せになれないとか言った奴~』


「対人戦の心得? 止めとけ、付け焼刃の護身術とか邪魔。つーかクエスト誘導で『絶対許さねえ』ってなってる時の状態ってぶっちゃけ補正入って無敵だから。俺の時はクラスにクソ不良がいてさ。格闘技だか武術だかやってるおかげで馬鹿みたいに強くて、生徒会長だった『指標』をぶっ殺して勇者に成り代わったわけ。逆らう男は殺す、女は犯すって感じの奴で、『指標』もそっちに移ったからなんとか補正ありで殺せたって感じ。ん? そうだよ、『指標』は移動することもある。『蟲毒呪法こどくじゅほう』だったかな。戴冠神殿にフィエルバってやべえハズレのババアがいて、そいつが担当になるとほぼ確実に洒落にならねえデスゲーム強制されるんだよ。移動の細かい条件とかは知らんけど、『指標』が破滅して終わるとは限らない。まあお前は押し付けられた側なんだから、せいぜい頑張って生き残れ。応援くらいはしてやる」


 『無理はするなよ』と言った男の目には拭いがたい暗さがあった。

 今は悠々自適に暮らしているというのは、決して強がりではないのだろう。

 だが、癒えたとしても傷痕は残る。

 自分の死と敵の死。未来がどちらに転んでも、そこには暗闇が広がっている。


『自殺した心理学部生は転生した異世界で今度こそ誰かの心を救いたかった』


「うん、それは大変な思いをしたね。それじゃあ勇吾くんは、周りの友達と過ごした時間が全て噓だったって感じたことがいちばんつらかったのかな? 少し違う? そっか、薄っぺらか。確かに学生時代の友人なんてその程度の付き合いかもしれない。けどね、思い返してみて欲しいんだ。本当にそれだけだったかな?」


 その時間はこの街で過ごした中で最も不快な記憶になった。

 見透かしたような目。知ったような口。実際には判で押したようなテンプレート回答を羅列しているだけの男。


「勇吾くん、君は自分で思っているよりもずっと傷ついているということを自覚することから始めないといけないって、ぼくは思うんだ」


 誰かに『死ね』とかいった激しい言葉を浴びせるようなことを、勇吾はしたことがない。それはすべきではないことだと親から厳しく躾けられてきたし、人には様々な事情があり考え方がある。そうして発せられた言葉が自分の意見と噛み合わないからといって感情的になってはいけない。そんなことをいちいち思い出さずとも十分にわかっているに決まっていたし再確認するようなことではない。

 だから勇吾は愚かなことは一切せず、いつも通りに相手の厚意に感謝し、その深い見識に感心してみせた。


『異世界アイドル育成記! 聖女、勇者、魔王のプロデュースはお任せ下さい!!』


「あ君が勇吾くん? いいねえ、爽やか王子様系だけどちょっと陰のある感じ、ビンビン来ちゃったよ~、あボクね、こういうものです。名刺これね。いやあ、暑苦しい豚ちゃんおじさんでごめんね~でも見た目ほど悪徳じゃないからね~、あこれジョークね。これでもこの辺の劇団とか水晶局とかには顔きくのよボク」


 癖のある早口でまくしたてながら現れた人物は、自分で冗談めかして言っていたように腹の出た中年男性だった。

 プロデューサーと名乗った男は勇吾を舐め回すような視線で観察したあとはふんふんと頷き、時間が惜しいとばかりに路上、劇場、何かの事務所、屋根に巨大な水晶が鎮座するよくわからない建物などをひたすら連れ回した。

 そこで歌ったり踊ったり自己アピールなどを繰り返すうちに勇吾はだんだん自分が何をしているのかわからなくなってきた。

 現実感の乏しい、夢のような時間。悪い意味でひどく疲れる。


「この世界のアイドルって基本はリアリティショー系なのね。『オーディションで勝ち残れ』ってやつ。でも蹴落とされる『指標』のコがね~もったいなくって! そういうシビアなとこを上も視聴者も求めてるんだけどさ~なんかボクつらくなっちゃって、オリヴィアちゃんに声かけられてなかったら病んでたかも!」


 何が嫌だったかと言えば、このプロデューサーもオリヴィアもふざけたことばかりしているように思えてならないのに、その目は真剣そのものだったことだ。


「ボクの企画でダイヤの原石がダメになっちゃうんだ。『ざまぁの墓場』にはもう行った? あんまよくないんだけど、ボクはたまに行っちゃうんだよ。そんでボクが何をやってしまったのかってことを考えちゃうんだ。ホントね、いい大人なら長いものには巻かれとけって話なんだけどね。ボク元の世界じゃ落伍者でガキだったから! もうそういう運命なんだろね! やりたいようにやるのが一番ってね!」


 勇吾は気づき始めていた。

 オリヴィアが勇吾に引き合わせているのは、いずれも『指標』を破滅させた者たちの『その後』なのだ。

 後悔。痛み。贖罪。欺瞞。

 『関係ない』と拒絶することも、『知ったことか』と吐き捨てることもできた。

 ただ、ひとつ気付いたことがある。


(そういえば、俺が見た未来は俺が破滅するところまでだったな)


 当たり前と言えば当たり前だ。死後は意識を保てないし、幽閉や強制労働の身では自分を踏みつぶしたクラスメイトたちがどうなったかなんて知る術がない。

 だから彼らがその後に何を考えて、どんな顔をしていたのかはわからないのだ。


(それがなんだって言うんだろう)


 思考を巡らせても、この一日でいちばん苛立たされた記憶と似た結論しか出てこない。言語化してしまえば『説教くさい』と顔をしかめるしかない陳腐な性善説。勇吾は退屈な茶番に付き合いながら、綺麗な表情を維持するのに必死だった。

 遊び、ダンス、芝居、愛想笑い、『心からの感情』の表現。

 まるでお花畑のお遊戯会。


「いいね! やっぱ君、才能あるよ! ペラい綺麗さが逆にいい! クラスでモテモテだったでしょ~? 誰からも好かれるって才能よ? 君の場合は努力と技術と習慣だろうけどね。いや~これは即戦力! あオリヴィアちゃん~聞いて聞いて~どうかな~こんどウチで新しいユニット立ち上げようかなって話があってぇ」


 果たして、薄っぺらだったのは友情や絆だけだったのだろうか。

 もしかすると、裏切られて殺されて踏み潰されて閉じ込められてなぶりものにされたくらいで揺らいでしまう勇吾自身の気持ちの方が、ずっと価値のないものだったのではないか。そんなことを考えてしまうくらいには、勇吾は自分の内側にある感情を無視することに慣れ始めていた。



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