第十話 聖女さまはお利口です
「み、みんな、まずは落ち着こう! 状況を整理して、天川を助けに行くんだ。こういう時こそ全員で一致団結しないと!」
中心で叫んでいるのは学級委員長の村上誠司だ。
勇吾がオリヴィアに連れられてあの場を脱出した直後の出来事なのだろう。
当然と言えば当然だが、場は騒然としていた。
「無理だろ、あんな化け物」「わけわかんねえ」「こわい」「天川くん、どうなっちゃうの?」「おっさんつえー」「剣道やってっからな」「剣道部すげえ」
村上誠司はいち早く混乱から立ち直り、全体に行動の指針を示した。
だが生徒たちの反応は芳しくない。大半が不安と恐れを抱いており、果敢な決断に対して『ついていけない』という結論を下してしまっていた。
そのことがわかったのだろう、焦りながら誠司が声を張り上げる。
「そうだ、天職とスキル! 役割分担して、協力すればいいんだよ! 外れ扱いのスキルも使い方次第で化けるかもしれないし、成長の可能性もあるだろ? スキルの練習と連携の訓練をすればあの鳥の怪物にも勝てるはずだ!」
「いや、そんな余裕あるわけ?」「すぐ助けに行かないと!」「無理だって、それより人がいることは確定したんだから、助けを求めに行くべきだろ」「それも敵だったら?」「そんなこと言ったらどうしようもないじゃん」「安全な拠点が必要だよ」
意見がまとまらない。
混乱に次ぐ混乱。リーダーシップの不足。暴力に対する忌避感。
村上誠司は責任感と決断力を併せ持っていたし、十分に冷静だった。
学級という小さな社会であれば、彼は問題なくリーダーをこなせる資質の持ち主だっただろう。だがここは異世界で、直面しているのは命の選択だ。
誠司には死を恐れず仲間を見捨てない、高潔で勇敢な指揮官として振る舞った経験がない。その経験不足は『頼りなさ』として周囲の目に映った。
クラスはまとまらない。ざわめきが広がり、不安だけが増幅され続ける。
「もうやだぁあああ、帰りたい、怖いよ、お父さん、お母さん、うわあああん!!」
そして、とうとう張り詰めていたものが決壊した。
感情のままに泣き出したのは
身長が百四十センチメートル台とクラスでもっとも小柄で、小学生並みとからかわれることもあるくらい幼い印象の女子生徒だ。
周囲にいた四人の女子生徒たちが慌てた様子で守梨を慰めようとするが、彼女はすさまじい大音声で泣きわめき続ける。
「あああ!!! やだ、帰る、助けてぇ、こんなのやだよおお!!」
守梨を中心とした五人はクラスの中でも大人しく真面目なタイプが集まったグループで、いつも静かに話したり熱心に勉強したりといった印象が強い。
彼女がこんなふうに錯乱し、感情を迸らせる姿は誰もが初めて見る。クラス全体の感情は、混乱から悲しみへ、少女の号泣に対する同情へと変わっていった。女子の中には引きずられるように目尻に涙を浮かべる者さえいた。
バラバラだったクラス全体の感情が一方向に統一されつつあることを冷えた目で観察していた少女は、機を見て行動に移る。
ばちん、と音が鳴る。小さな両手でふっくらした頬を張った音だ。
「よし、めっちゃ泣いたから次ね。委員長、私から発言、いいよね?」
津田守梨はすっと泣き止んだかと思うと、良く通る声で発言した。
あまりの落差に、その場の全員が思考をフリーズさせる。
感情と理性が停止した一瞬の間隙。
少女の言葉は集団の中にするりと侵入した。
たじろいだ誠司が頷くと、守梨は先ほどまでとは打って変わって落ち着いた態度で周囲に「みんな聞いて」と呼びかける。
小さな体躯と丸顔ぎみの温和な顔立ち、太っているわけではないがふわっとした印象の少女の中で、目だけが異彩を放っている。
強く、冷たい。
「まず私の意見を言うね。委員長が最初に打ち出した方針には条件付きで賛成。天川は助けるべき。これは人道的な理由だけじゃなくて、『仲間は見捨てない』っていう方針が今後の私たちを助けてくれるから」
そこまでを一気に言ってから、周囲に考える時間を与えるように間を置く。
情に訴えかけているわけではない、というアピールなのか、声の抑揚は控えめだ。
「考えてみて。今後私たちが似たような状況になったとき。『天川と同じように切り捨てられる』と『天川と同じように助けに来てもらえる』って思えるの、どっちがいい? 全員で協力しなければ生存が困難なこの極限の状況下で、どちらの方針が自分自身にとって有益? 私はね、こういう時こそ安心と保険が必要だって思ってる」
落ち着きと自信。それ以上に聞き手を納得させるためのメリットの提示が効果的だった。守梨の言葉は即時的な利益をもたらすものではない。
彼女の言葉の本質は道徳と合理性の擦り合わせだ。
合理的な理性は『自己の生存』を追求する。
その正しさを口実に情に寄った判断をしてもいい、というお墨付きを与えたのだ。
「その上で、私はクラスを二つのグループに分けることを提案する。ひとつは天川の救出に向かうグループ。もうひとつは、残って指示されたクエストをこなすグループ。特に、時間制限付きやペナルティ付きのクエストは他の人と協力してでも確実にこなしたほうがいい」
発言の後半部分を聞いた数人がはっとして目を見開き、生徒たちはこれまでとは別の意味でざわつき始めた。
「そんなんあるの?」「うそ」「えっ、これもしかして三日以内って書いてあるやつがそう?」「採取と害獣駆除と護衛、他にも色々と種類があるな」「ペナルティ『名声の低下』って何だよ」「こっちの『カルマ値の低下』のが意味不明だよ」
言葉の意味が全体に伝わったことを確認してから、守梨はこう続ける。
「実は私、さっき天川がさらわれる直前に薬師寺さんから相談を受けてたんだ。彼女、時間制限のあるクエストだったの。ペナルティは『ゲームオーバー』。これが何を意味するのか不明だけど、最悪の事態を想定して動くべきだよね」
驚くべき情報がもたらされ、多くの生徒が『そういえばこの場に不在の生徒は天川勇吾だけではない』という事実に気づく。
この場には三十五人しかいない。
つまり勇吾以外にも四人の生徒が姿を消しているのだ。
「その時は追放とかの騒ぎで混乱してたでしょ? 全体で情報共有してる時間がなかったから、私の判断で薬師寺さんには『採取と調合クエスト』っていうのに向かってもらった。ひとりじゃ危険だから、対処できそうなスキルを持ってた旗野さんと渡辺さん、あと今井くんが協力してるよ。他にこういうタイプのクエストがある人は挙手して。優先してこなさないと危険だと思う」
『職分け帽子』にクエストを与えられた時に生徒たちは説明を受けていた。彼らは念じることで己の天職、スキル、クエストなどの各種情報を携帯端末の画面表示のように確認できる。生徒たちは大急ぎで目の前に
守梨の言葉を受けて、何人かの生徒たちが手を挙げた。
話を聞くと、時間制限は一日から一週間、一か月まで幅があり、達成できなかった場合の
「今のところゲームオーバーとかヤバそうなのは出てないな。『クエスト進行度減少』とか『運命点の減少』あたりが気になるけど」
学級委員長として周囲から集まった情報を自前のメモ帳にまとめながら誠司が呟くと、守梨は問いを予想していたように答えた。
「これにヘルプ機能もあるんだけど、説明によるとその進行度や点数の減少が積み重なった時にはゲームオーバーになるんだって。ゲームオーバーが具体的に何を示すのかは相変わらず不明。あえて説明してないのかもね」
守梨も生徒たちのクエスト情報を表示窓のメモ帳機能で記録している。淀みなく動く手は既に新しい技術に適応しているようで、クエストのタイプと行き先を大まかに分類し、誰と誰が組むのが効率的なのかが把握できる一覧表の作成に着手していた。
「前に村上たちが話してたよね。これって異世界転移っていうジャンルのフィクションに似てるけど、他の可能性も排除できないって。集団幻覚、薬物とヴァーチャルリアリティの併用、無人の私有地に拉致されて富豪の見世物になってる、あとデスゲームだっけ? そういう映画みたいなやつとかね。その例で言えば、クエストって『爆発する首輪』なんじゃないかな」
「クエスト失敗したら、もっと死ぬかもってことだな」
ぞっとしたように誠司が言って、首を押さえる。
そこには何もないはずだが、彼は己の命がひどく危うい状況にある事実を改めて認識したのだ。村上誠司はそうするしかないと思って召命の神殿を訪れたし、天川勇吾が示した方針について深く検討することなく賛同していた。
その責任が、あらためて重く圧し掛かってきたのだろう。
青ざめた表情の学級委員長に対し、守梨は畳みかけるように続けた。
「そこからもう一歩踏み込んで考えると、『この後の備え』も必要だよね。さっきの変な女の子や放置されてたキャンプ地の件から考えると、ここには他の生存者がいるはず。もし見世物とかデスゲームっていう仮定が正しかった場合、私たちと似た立場の人たちと殺し合いを強いられたり、限られた椅子を奪い合うみたいな状況になることだってあり得るよね?」
「それは、そうかもしれないけど」
「勇者って天職は一番強いんでしょ? 天川を欠いた状態で敵対的な勢力と遭遇することはあまり考えたくないかな」
守梨は現状に対するシビアな意見を口にしているが、必ずしも誠司に対して否定的というわけではない。むしろ現状を整理し、方針に賛成しつつ修正案を提示するという建設的な態度だ。それなのに誠司はだんだんと居心地が悪そうに委縮していく。
いまや場の主導権を握っているのは守梨だからだ。
「クラスメイトは見捨てるべきじゃない。だから天川は助けないといけない。けど時間制限クエストも同じ理由で放置できない。だからグループは『天川救出チーム』と『クエスト対処チーム』に分けよう。リーダーを決める相談時間も惜しいから、ここは男女の学級委員長にお願いしたい。最初に意見を言ってくれた村上が救出チームを率いて。クエスト対処チームのリーダーは
「えっ、でも守梨ちゃんの方が」
急にリーダー役を割り振られた
「私は戦えないし成績も大したことないし運動もダメな上にこの身長だよ。そういうのが上に立ってると舐められるし集団が乱れるの。
「え、と、うん。守梨ちゃんがそう言うなら、やってみる」
押し切られる形でリーダーに収まる要。実のところ彼女が学級委員長になった経緯とほぼ同じ流れだった。
「もうひとつ、何人か体力が限界に来てる。特に花音が熱を出してて、これ以上は無理をさせられない」
守梨の言葉に、すぐ後ろにいた女子生徒が何かを言おうとして咳き込む。
ウェーブのかかった髪と血管が透けるほど白い肌、長い睫毛に伏し目がちで物憂げな表情。儚げな雰囲気の
「それ、平気なのか?」
誠司の問いに、守梨は首を横に振った。
「お医者さんがいないからなんとも言えない。天職が治療者の人、あとでヘルプ見ながら『クラススキル』っていうのを試してくれたら助かる。あとは薬師寺さんが作れるかもって言ってた薬、ええと錬金術のポーション? それ次第かな」
「ああ、薬師寺のクエストを急がせたのはそれもあるのか」
納得したように誠司が言う。守梨の独断専行も、『友達を助けるため』という感情があったのなら理解できる。
だが、守梨は最初に全体の利害について話した上で友人に言及した。
それは守梨が常にひとつの前提を踏まえながら話していたことを意味する。
『天川勇吾を救出する』ことと『滝沢花音を安静な状態で療養させたい』は人命を優先するという点では同じ意味と価値を持つ。
だが生徒たちは全員が仲が良いわけではないし、全員の生命に同じ価値を見出しているわけではない。誰だって仲の良い友達のほうが大事だ。
ゆえに、何かをする際にはモチベーションのギャップが発生してしまう。
この状態でクラスがまとまるはずがない。
『友達の滝沢花音を助けるために協力して欲しい』
津田守梨は、そうやってただ助けを求めても上手くいかないことを理解していた。
だからそのための土台を作ったのだ。
リーダーとして場をまとめようとしていた村上誠司は次第に悄然としていった。
役者の違いを痛感しているのだろう。
津田守梨は他者の視点と欲求を踏まえて思考していた。
「私は『障壁』っていうスキルを貰ったから、ある程度までの強さの怪物が近づけないエリアをこの一帯に設定できる。まずはこの神殿を拠点にしよう。さいわい、近くには川があるし、森の手前までならリスクを最小限にして採取系のクエストがこなせる。このアイデアは私じゃなくて渡辺さんの受け売りなんだけどね」
とどめとして安全の確保まで可能とくれば、実質的にこの場の中心が誰になるかは言うまでもない。あくまでも学級委員長をリーダーとして立てつつ、当人は集団にとって必須の人材になるという隙のない立ち回りだ。
「『そんなこと言ってお前は戦いに行くのが怖いだけだろ』ってみんな思ってるよね。実はそうなんだ」
村上誠司と向き合う津田守梨の姿を、クラスの全員が対比していた。
役職と適性。その差は残酷なまでに歴然としている。
その構図を十分に見せつけた上で、守梨は急に自分を『下げ』はじめた。
最初に自分を印象付けた号泣を思い出させるように、目じりに涙まで浮かべて。
「バスから出て、天川は真っ先に怪物に立ち向かっていったよね。私は無理だった。武器を拾ってからも何もできなくて、怪物が目の前にいるのに怖くて頭を抱えてうずくまることしかできなかった。それが一番やっちゃだめな行動だって理解できてたけど、身体が竦んで動けなかった。みんなは逃げることくらいできてたのにね」
恐怖を思い出すかのように、小さな身体を更に縮こまらせて表情を悔しそうに歪める。誰よりも小さくか弱い津田守梨。隣のクラスや少し距離の遠い女子生徒などからは『可愛い』とか『むしろこっちが守ってあげたい』などと言われることも多い。
そういう風に扱われ続けた人間は、必然的に他者の目に敏感になる。
津田守梨は、視線を読んでそれに応じた振る舞いをすることが得意だった。
「ごめんなさい。私は怪物に立ち向かうことができません。それでも、できることを精一杯やります。どうか、戦えるみんなに無理を強いることを許して下さい」
必死な弱者の願いを拒絶することは『悪いこと』だ。
そして、誰も悪役にはなりたくはなかった。
かくしてクエストの達成を優先する流れに舵を切った生徒たち。
必然的に、最初に勇吾を起点とした『追放や婚約破棄の物語』が発生した者たちの選択肢は狭まる。彼らはオリヴィアによって歪められたクエスト達成のために『天川救出チーム』に参加する必要があったのだ。
合計で十一人がクエストに導かれるままに救出チーム入りが決定。
続けてリーダーを任された学級委員長の村上誠司と荒事に慣れている雰囲気の柳野九郎、更に勇吾の友人である吉田竜太と辺見颯が自ら志願した。
「何もかも任せる形になっちゃってごめんね。それに、しゃしゃり出て村上の役割を奪うような形になったのも申し訳ないと思ってる。お詫びになるかわからないけど、できることはさせてほしい」
状況が落ち着き、次の行動に向けて準備を始めた生徒たち。
段取りや役割分担などをさっそくクエスト対処チームのリーダーに任せた守梨は、出発しようと荷物を纏めていた誠司に話しかけた。
彼女は三つの環がしゃらしゃらと鳴る錫杖を手にしている。
武器が放置されていたキャンプ地で発見したもので、歩行の助けや鈍器の代わりになるかもと持ち出していたのだ。
しかし、天職を得たいまは状況が違う。
表示窓のヘルプ機能によれば、こうした宗教的な祭具には基本四職のひとつ、治療者たちが持つ『癒しの力』を増幅する機能が備わっているとのことだった。
「私は治療だけじゃなくて、戦いに赴く戦士たちに神聖な加護を与えることができるの。大きな効果ではないけれど、体が少し丈夫になるみたい。あとは、一回だけ致命傷をなかったことにできるんだって」
「あれ、津田の天職って治療者だっけ? 他のみんなもそういうことできたか?」
誠司は首を傾げた。
他にも何人か治療者はいたが、守梨のようなことができる者はいなかったはずだ。
「ううん。私の天職、なんかちょっとみんなのと違うみたい。って言っても、珍しい天職の人はそこそこいるっぽいよ。商人とか農民とか武士道とか」
救出チームの人員を呼び集めながら、守梨は己の天職を明かす。
「さ、頭を出して。私のクラス固有スキルの『聖女の
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