第4話 モス 夜警する

 どんなに不平不満があろうとも執事としての仕事を疎かにしないのがプロである。


 モスは長年執事として仕えて来た矜持もあり、領主の言う通り風呂の用意を済ませた。

 そして、料理長へ食事の指示を出すと自室へと戻る。


(カイナ様はこういう領民の安全が脅かされるときは、何か手を打つお方だと思っていたのですが、私の見込み違いだったのでしょうか?)


 イナゴ領主と蔑まれ、増税に増税を重ねても街の安全にだけは気を回していた領主のまさかの言葉に思わず疑心を抱いてしまうモスだが、そんな考えを無理矢理打ち消すようにかぶりを振ると、カイナの言葉を思い出していた。


「そう言えば、カイナ様は、解決したくば、自分でなんとかしろとおっしゃられて……。もしや」


 モスは図書室から地図を持ってこようと思いたった。その時――。


 コンコン。コンコン。


 窓に何かが当る音が聞こえ、そちらを振り向いた。

 その結果、モスは涙ぐむと共に、昼間のローブを羽織った。


(ぐも~!! やはりカイナ様は領民のことをお考えにっ!!)


              ※


「ハァ、ハァ、ハァ、やめろ! こっちにくるなっ!」


 ボロボロの衣服の子供は月明かりの中、いくつかの影から逃げていた。


「あっ!」


 ずっと走っていたからか、足がもつれて、何もない場所なのに転ぶ。

 痛みを感じる暇もなく、背後から来る影におびえながら、少しでも距離を取ろうと後ずさった。


「わざわざこんな時間に外を出歩いてるのが悪いんだぜ。子供が誘拐されてるって知らねぇのか? ああ、貧乏人にゃ、そんなことに気を回す余裕もないか。ギャハハハッ!!」


 影は下卑た笑い声を上げながら、子供に近づいて行く。


「大人しくしてりゃあ、痛い思いはしないぜ。抵抗するようなら、覚悟してもらうがな」


 見せびらかすようにナイフを取り出すと、月の光が怪しく反射し、影の全形を映し出す。

 背は低いがそこそこの身なりの男。とても人攫いには見えない雰囲気に、この子供も思わず距離を詰めて来るのを許してしまった。


「ひっ!!」


 子供は最後の力で立ち上がると走り出した。が、しかし、すぐにドンっと何かにぶつかると、腕を掴まれ荒々しく持ち上げられる。


「は、離せっ!!」


 バタバタと手足を動かすが、掴んできた影は微動だにしない。


「おいおい。危うく逃がすところだったんじゃないか?」


 掴んだ男は大男と言っても良い程の体躯をしており、優に2メートルは超えていそうであった。


「バカをいえ、お前がいなきゃ、その小僧の足にこのナイフをお見舞いしてやってたとこよ」


「そうか、商品に傷がつかなくて良かったと思うべきか、お前の楽しみを奪って悪かった思うべきか」


「あ~、気にすんな。気にすんな。別にまとにするだけが楽しみじゃあないしな」


 子供の顔を掴むと、値踏みするようにマジマジと見つめる。


「んんっ? こいつ女か? そりゃいい。女の方が高く売れるからなぁ。ナイフを刺さなくて良かったぜ」


「本当に、悪役はそういうセリフを吐くのですね。ふむ、勉強になりますな」


「ああ、こういうセリフは相手に舐められないことが重要だから、たっぷり恐ろしさを分からせるように言うのがポイント――って、誰だっ!!」


 背の低い男の背後にはいつの間にか、黒のローブを被ったモスが立っていた。


「いや、本日は実に良い散歩日和でしたから。ついつい夜歩きしてしまった、ただの老人ですよ。ですが、1つお答えいただきたいのですが」


 モスは一拍置くと、凍えるような冷たい声で質問をした。


「こちらで何をされていたのですか?」


 その言葉の圧に只者ではないと悟った二人は、一斉に身構える。


「おや? どうなされました? 私は何をしているのか聞いただけですが? それとも答えられない何かをしていたのでしょうか? ああ、私が警邏けいらかと思っているのですか? それには心配いりません。私、ゴッダート家で執事を任されているものです。イナゴ領主などと噂される、世間一般では悪役領主の執事です」


 素性を知った二人だが、そこにはより一層警戒の色が強まる。


「ふむ。私の素性を知っても尚、身構えるところを見ると、あなたたちの雇い主は奴隷商のバルツァー卿ですかね」


 月明かりの僅かな光でも分かる程、二人の顔色が明らかに変わる。


「じじい。生きて帰れると思うなよ」


「まだ、質問の答えをいただいておりませんが、私の推測通り、人さらいということで相違ないか?」


「だったらなんだっ!!」


 背の小さい男はナイフを構えて突撃してくる。

 一切の躊躇のなさに普段の悪行が垣間見える。


 そんな攻撃に対し、モスは慌てる素振りも見せず、ナイフを持つ手を叩き、進行方向を逸らすと、強烈な掌底が男の顎を捉えた。


 一回転しそうな勢いで男はその場で倒れると意識を失った。


 その現場を目撃した大男の方は驚愕の表情を浮かべる。


「おい。体が浮いたぞっ! 本当にじじいか!?」


「ええ、今年で59になる老骨ですぞ。ですが、武によって領地を任されているゴッダート家の執事が老人と言えど弱いとでも?」


「くっ!」


 大男は逃げようと走り出したが、右足に鋭い痛みが走る。

 右足を見ると、そこには仲間が使っていたナイフが刺さっている。


「逃げてもらっては困ります。この件の黒幕をしっかりとその口から聞かなくてはならないですから」


「逃げられぬならっ!!」


 ナイフの刺さった足では逃げきれないと悟った大男はモスに殴り掛かるが、大男の視界からモスが消えたと思うと、足元を掬いあげられ、そのまま顔面から地面へと倒れる。


「くそっ、このじじい――」


 大男が起き上がろうとするより前に、モスの蹴りが胸部を捉えゴキゴキと鈍い音が薄暗い路地に響いた。


「か弱いじじい故、追撃せねば反撃が怖くてのぉ。今回は功を奏したようですが」


「どこが、か弱い、だ」


「おや、まだ反撃の可能性がありますね」


「や、やめっ――」


 大男はまだ意識はあるものの激しく打ち付けられたことにより身動きは取れなくなっていた。


「さて……」


 モスは少女の元へ駆けつけると、柔和な笑顔を見せる。


「怖い思いをさせましたね。ですがもう大丈夫ですぞ」


 頭を撫でてから、「家まで送りましょう」と少女をエスコートするのだった。

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