第2話 プロローグ その2

 ホーンラビットの角は風の勢いに乗り、オーガベアの眼球を突き刺した。


 オーガベアの絶叫を聞きながらカイナは、


(頼む。これで逃げろ! そうすりゃ今後も見逃してやる)


 未だに上から目線のところはあったが、もう魔法は放てそうにない現状も、相棒が死にそうな症状も理解していた。


「ガアアアアアッ!!」


 だが、オーガベアは逃げるどころか怒りに体を震わせ、カイナに向かって腕を大きく振り上げた。


(クソったれ。ここまでか……。お前は必ず呪い殺してやる)


 死を覚悟したが、それでも視線だけで射殺すようにオーガベアを睨みつけた。

 そのとき、「ガウっ!」と一声あったかと思うと、カイナの体は浮遊感に襲われる。


「なっ! ……お前、俺様を連れて逃げる余力があるなら、一人で逃げろ」


 カイナの襟元を噛みながら、ヴェスパは満身創痍な肉体でありながら疾走する。

 足も体も傷ついているにも関わらず、変わりない速度で走る姿に、カイナはそれが最後の力なのだと理解し、「離して自分だけで逃げろ」と言う言葉をぐっと我慢しヴェスパの意思を汲んだ。


「そこの藪を抜けると獣道に出る、そうすればモスが見つけるはずだ。行け」


 ヴェスパはその指示に応え、方向を変えて藪を突っ切る。

 そうして、獣道へ出ると……。


「っ!? カイナ様。ヴェスパ!! すぐに兵を寄こします」


 老執事であり、カイナがヴェスパの次くらいには信頼している男。

 モス・ヴルカレーノの姿があり、最初は慌てた様子だったが、すぐに冷静な対処を取り、領主邸まで伝令を飛ばし、カイナとヴェスパの応急処置を行う。


 その様子を見届けたカイナはゆっくりと意識を手放した。


 モスはカイナが気絶したと分かると、ヴェスパに向かってゆっくりと頭を下げた。


「カイナ様をお守りいただきありがとうございます。ですが――」


 モスが最後まで言葉を発する前に、「ガウッ」とヴェスパは一鳴きする。

 まるで、これからモスが行う行動が正しいとでも言うように。


「申し訳、いえ、再度感謝の意を表させていただきます」


 モスは深々とお辞儀をしてから、カイナだけを自分の馬に乗せてその場から走り出した。


 カイナとヴェスパにこれだけの深手を与える魔獣が現れ、2人が逃げるように現れたことからまだ倒せていないと判断し、主人の命だけでも守ることを判断しての行動であった。


                 ※


「う、う~ん。ここは……」


 カイナは目を覚ますと、いつも見る天井のはずだが、どこか見慣れない不思議な感覚を覚えた。


 ズキッ!!


「っ!!」


 頭に痛みが走ると同時に、この世界ではない知識と意識が流れ込み、新たな自分が生まれる奇妙な感覚を味わう。

 急な知識の奔流で頭は割れるように痛み、吐き気を伴い、ベッド脇の洗面器に勢いよく吐き戻す。


「ここは……自分はいったい……」


 カイナの記憶では、本来自分は日本のサラリーマンで確か心配性な性分が祟って、川で遊んでいる子供が流されそうになったと勘違いして、川に飛び込んで死ぬという、なんともマヌケな最後だった。享年30歳だったはずだが。


 今の自分の記憶を思い出すと、カイナ・ゴッダートとしての生活はすでに35年に及んでおり。


「死んだ歳より、すでに長生きして、前世を思い出すってどういうことだっ!? 普通マンガとかだと遅くても10歳くらいには思い出していそうなものだが……」


 心配性で、周りに気を使って生きて来た自分より、好き勝手やって生きて来たカイナの方がすでに長生きという事実に漠然としつつ、だんだんと前世の自分と今の自分が溶け合っていくような奇妙な感覚に襲われ一瞬、目の前が真っ暗になる。


 カイナは頭を抱え、一歩よろめくと、しっかりと意識を取り戻す。


「前世も自分だが、今世の方が長いし、むしろこっちが俺様だよな」


 そう口に出すと妙にしっくり来て、カイナは今までの性格に、前世の知識と心配性な性と常識的な思いやりを手に入れた。


「はっ! そうだ。こんなことより、ヴェスパはどうなったんだ?」


 記憶の奔流による混乱からか、なんでそんな大事なことを忘れていたのかと自身を叱責しながら飛び起きる。

 急いでベッドから抜け出し、部屋のベルを鳴らす。


「カイナ様! お目覚めになられたのですね」


 数分もしないうちに老執事が現れる。


「えっと、モスさん?」


 記憶の混乱からか、前世で当たり前に行っていた目上のものに対して敬称をつけるという当たり前ながら、領主としては異例な呼びかけに、目の前のロマンスグレーがよく似合う紳士然とした執事、モスは酷く驚いたような表情を浮かべた。


「カイナ様!? 私に敬称は不要ですし、今までその様なことをおっしゃったことはなかったと記憶しておりますが」


「え、ああ、そうだったな。それじゃあ、モス――」


 このとき、執事モスはこう考えていた。


(ま、まさか、今のは素のカイナ様? いままでの傍若無人とした態度は領主としての重責から己の心を守る為の処世術だったのでは? 最後にそれが知れただけでも有意義な人生でしたな)


「モス? おーいモス? ヴェスパはどうなった?」


 何度か名前を呼ばれ、ふと我に返ると、主の言葉の意味を理解し、重々しくその口を開いた。


「申し訳ございません。私たちが助けに戻ったときには、もう……」


 カイナもバカではない。そこまで聞けばどうなったのかくらい分かった。


「そうか……。手厚く葬ってあげてくれ」


 モスは恭しく一礼した。が、そのまま動かない。まるで次の言葉を待っているようであった。


「モス。どうした? 他に何かあるのか?」


「いえ、私の処遇はどうなるのかと」


「処遇? ……ああ」


 ヴェスパを置いて逃げ帰ったことを言っているのだろうが、冷静な頭で考えればそれが最善であり、ヴェスパもそれを望んでいたようにカイナは思えた。

 ヴェスパはモスにも懐いており、この老執事が自分を見捨てたことで処罰される事はきっと望んでいないだろうとカイナは考え、モスに処罰を下すつもりはなかった。


「そうだ。俺様を助けたことについて礼を述べていなかったな。ヴェスパのことは残念だったがモスのせいではない」


 投げかけられた言葉に安堵しモスはふと顔をあげると、そこには憎悪に顔を歪めた領主の姿が映り、ゾクリと背筋を震わせた。


「お前のせいじゃないが、あそこにトラップを仕掛けた誰かと、あのクマ風情は必ず見つけ出して殺してやるっ!!」


 改めて決意を新たにしたカイナは以降無言のまま踵を返すと、そのまま自室に戻った。

 

 そして、ベッドの枕に顔を押し付けると、声をあげないように咽び泣いた。

 さんざん涙を流したあと、いつの間にか再び眠りに落ちていた。


 

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