第34話 モス 去来する
「くっ、やはり寄る年波には勝てませぬか。全盛期ならもう半刻ほどは逃げられたでしょうに……」
息の上がるロマンスグレーの老人、モスは周囲をグレイウルフに取り囲まれた危機的状況に瀕していた。
「ふぅ~~」
大きく息を吐きだしたモスは、最後の抵抗とばかりに応戦する覚悟を決める。
魔獣相手に魔法は当然なく、ましてや武器も無い絶望的な状況だが、自分の生まれ育った村の民が少しでも救われるならと、自分を犠牲にする覚悟はとうに決まっていた。
あとはここで戦ってさらに時間を稼ぐことが人生最後の役割りだと、そう思っていた。
「骨と皮ばかりの老人を追ってきてくれたこと、感謝申し上げます。ですが、まだただ食われてやる訳にはいきません。もう少々お付き合いください」
モスは構えを取ると、その殺気にグレイウルフも反応し、慎重に周囲をぐるぐると回り始める。
そして、モスの死角に入った一匹が飛び掛かった。
「ぬんっ!!」
即座に蹴りを入れるが、2mもある狼の魔獣には大した攻撃とはならなかったようで、蹴りによって転ぶものの、すぐに起き上がる。
「人間ならアバラの2~3本逝くのですが、これまでの自信というやつを打ち砕かれる思いですな」
自嘲の笑みを浮かべるものの、内心ではまったく余裕はなく、冷や汗が頬を伝う。
グレイウルフたちはまたぐるぐると回りだし、モスの隙を伺う。
ほんの一瞬でも視線や集中が切れれば、襲い掛かって来るであろう存在に、精神的疲労もモスに襲い掛かる。
普段ではありえない状態に、緊張が増す。
それ故かいつも以上に汗が吹き出す。
「·········」
緊迫した静寂の中、額にかいた汗が、つっーっとモスの目に入り、一瞬片目をつぶってしまった。瞬間、3匹のグレイウルフは一斉に襲い掛かった。
「くっ!!」
蹴り飛ばし、掌でいなし、拳を叩きこむが、モスの力では決定打を与えられず、
「ぐあっ!!」
かわしきれなかったグレイウルフがモスの足に嚙みついた。
自慢の足技は封じられるが、懸命に拳で応戦し、1匹の視力は奪い、1匹の機動力を奪った。
「ふぅ~~。どうやら、ここまでのようですな」
満身創痍。体中には爪や牙でつけられた傷が無数にあり、一番深い足の傷からは血がとめどなく流れていく。
多量の出血により、意識も朦朧とし、焦点が定まらない。
もはやモスの目にグレイウルフはただの灰色の毛玉が動いているようにしか見えていなかった。
これまでの記憶がまるで走馬灯のようにモスの脳裏に去来する。
若くして街へ出て来て、その日暮らしの生活から、ゴッダート家へと拾われ、友人と共に切磋琢磨した日々。まるで自分の子供かのようにカイナが生まれたことを喜んだ日々。カイナとの忙しなくも楽しかった日々が巡る。
「ああ、なかなかに良い人生でしたな……。最後にカイナ様の結婚も見届けられました。そして、故郷の領民を救っての最後。このモスにしては上等な人生でしたな。一片の悔いなしです」
思わず、笑みがこぼれる。
モスの穏やかな顔とは相対的に、体は悲鳴をあげており、ついに、膝から崩れる。
その最大の隙を仲間がやられた怒りに震え、唸り声をあげるグレイウルフが見逃すはずがなかった。
グレイウルフはモスの喉笛目掛け飛び掛かった。
「ウインドショット」
聞きなれた。それこそ、親の声よりも聞いたであろう声が聞こえると、モスの体は空気の弾によって、グレイウルフと共に吹っ飛んだ。
「この馬鹿者がっ!! 勝手に死にかけるやつがあるかっ!!」
「カ、カイナ様……」
「ふんっ、お前の所為で色々迷惑を被った。減給だから。覚悟しておけ」
「ぐるるるっ!」
ケガはしていてもグレイウルフは威嚇をやめず、新たな脅威であるカイナに飛び掛かろうと身構える。
しかし、ケガの所為もあり警戒しているのか、カイナの周りをモスのとき同様にぐるぐると回って様子を見ている。
「近づいたらモスに盾になってもらおうと思っていたが、自ら距離を取るとは。そこらの野良犬の方がまだ頭がいいぞ」
マナを充分に溜めたカイナは腕を一振りすると、グレイウルフは切断された。
「さてと、あとは最も御しやすい大物が1匹残っていたな。行くぞ、モス。始末をつける」
至る所を噛まれたモスは、すぐに動ける状態ではないのだが、カイナの腕の傷を見ると――
「な、なんとっ!? カイナ様、怪我をされておいでですぞ! このハンカチで傷をしばってくだされ!!」
石火のごとく近づき、カイナの腕にハンカチを巻いて止血しようとするモスに、カイナは叱責を加える。
「バカか! まず、自分の傷を処置しろ!! モスはこのカイナ・ゴッダートの駒だ。盾だ。道具だ。それを自覚しろいいな!!」
「なればこそ、こんな老骨などお気になさることはありませんぞ。まずはカイナ様の処置から――」
「ふんっ、無用だ。それに俺様は気に入った道具は大切に扱うタイプなんだ。ゴッダート家の執事が俺様のものをぞんざいに扱う気か?」
ハッと驚きの表情を見せてから、すぐに真顔に戻り、佇まいを直す。
「いえ、めっそうもございません」
モスはうやうやしく頭を下げると、自身の応急処置に当たった。
「あとはデカイだけの雑魚だ。俺様に任せておけ」
頼もしい主の背中を見送るモスは、
「本当に大きくなられましたな。先代を超えたと言ってもいいでしょう」
と呟いた。
同時に一陣の風が吹き抜け、モスの髪を揺らす。
「カイナ様、ご勝利おめでとうございます」
全てを悟ったモスはゆっくりと眠りへと落ちた。
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