第20話 カイナ 譲歩する

「本当によろしいのですか?」


「ふむ、誠に遺憾だが、俺様がボスを狩った場所はいつの間にかゲントナー領だったらしいからな。ブラッドスポーツのルールくらい弁えているさ」


 他人の領地でみだりに狩りをしてはならない。その場合、狩った獲物を返還する必用が出る場合がある。というルールがあり、他領での密猟を禁止する為のものになっている。


「ですが……」


「そんなことよりさっさと解毒薬を作れ。こっちには待っているやつがいるんだ」


「は、はいっ!!」


(どういう原理か分からないがこちらの世界ではボスを倒すと小一時間程度で解毒薬が作れる。そこに関しては俺様の現代知識よりはるかに優れているんだよな)


 そんなことを考えつつ、ソファーに身を埋める。

 疲労からか退屈からか、いつの間にかウトウトしていると、ぼんやりとした意識の中、名前を呼ばれた気がして瞼を開ける。


「うおっ!」


 眼前にはラーナの顔が迫っており、今にも接吻をされそうな勢いだった。


「残念! 惜しかったですわ……」


「お前、まだ俺様を狙っているのか?」


「もちろんですわ。わたくしがカイナ様をお慕いする気持ちは今回の件で益々膨れ上がりました!」


「そうか、なら、後日しっかり応えよう。家柄も申し分ないし、財産目当てでもない。使用人たちとも上手くやれそうだし、なにより狩りのセンスが良い」


「え? カイナ様、それって……」


「だが、今は解毒薬の方が先決だ。出来たのか?」


「はい。まず一人分、急いで作らせました!」


 カイナは瓶に入った解毒薬を持つと、すたすたと歩きだした。

 そして、ひと際立派な扉の前に立つと、ノックもせずに中へと入る。


「ふんっ、ルカニド・ゲントナー。元気そうだな」


 そこは病床に伏せるラーナの父、ルカニドの寝室であった。


「ごほっ。これが、そう見えるなら、良い眼科を紹介するぞ……」


 食事も摂れていないのか、ほとんど骨と皮しかないようなほっそりとした体になっている。


「なら、これを飲め」


「これは、まさか……。すまない」


 一瞬でそれが何か理解したルカニドは震える手で受けとる。


「ふんっ、誰がタダでくれてやると言った? 代わりに貴様の娘は俺様が貰っていくぞ。そうだな。復興した後にでも、こっちに寄越せ」


 その言葉にルカニドは目に涙を浮かべた。


「ごほっ、あ、ありがとう……。娘、ラーナは昔からカイナ、君の事が好きでね。いつかお嫁さんになるといつも言っていたよ。それに、今回は君のところに逃がす為にやったのに、それを迷惑に思うどころか婚約の約束まで、なんて、感謝したら……」


「そんな1ゴールドにもならん感謝の言葉なんぞいらん。さっさと飲んで領地を立て直せ。ちゃんと裕福な領地の娘を俺様に嫁がせるのが貴様の役目だ」


「ふっ、ああ、そうだな」


 ルカニドが解毒薬を飲もうとしたそのとき、今度もノックはなく、さらに荒々しく扉が開かれる。


「お父様。お待ちください!! その解毒薬はカイナ様の執事、モスさんへのものなのです!」


 解毒薬を飲む寸前にラーナは部屋へと入り、大声で告げた。


 ルカニドの手はそこでピタリと止まり、カイナとラーナを交互に見る。


「……そうなのか?」


「なんのことだ? 俺様は最初からルカニド、貴様に飲ませる為に解毒薬の生成を急がせたのだが」


「確かに急いで作るようにしか仰っておりませんでしたが……」


「そもそもで、解毒薬の生成はゲントナー領の領民が最優先だ。うちはそのあとで良い。ただし、他領より遅れることは許さん」


「ごほごほっ、だが、それではカイナのとこの執事が危ないのだろう?」


「ふんっ、今にも死にそうな貴様に心配される程、モスは落ちぶれていない。それに、俺様は身内に優しいことで有名だからな。執事の願いくらい叶えてやるさ。モスは自分は最後でいいから、まずはゲントナー領の人間を元気にしてくださいと言っていた。だから礼なら、あとでモスに言え。モスなら1ゴールドにもならん感謝の言葉でも喜ぶだろう」


「分かった。すまない」


 ルカニドはグイっと解毒薬をあおる。


「ラーナ、ワタシの回復まで数時間は掛かるだろうから、その間はアラーニャと共に工場をフル回転で解毒薬を作るんだ。そして、一分一秒でも早く、ゴッダート家の執事に薬を届けるぞ」


「はいっ!!」


 ラーナは元気に返事をしてから、すぐに部屋を飛び出した。


「あの子は猪突猛進なところがあるが、良い娘だ。よろしく頼む」


「ふんっ、良い娘をイナゴ領主の元になんぞ嫁がせるんじゃない。父親失格だぞ」


「ゴホッゴホッ。こんな体たらくじゃ否定も出来ないな」


「だが、貴様よりは立派に守ってはやる。そこだけは安心しろ」


「ああ、カイナ・ゴッダートの隣ほど安全な場所はないからな。安心だ。すまない。薬が効いてきたようだ。少し、寝させてくれ」


 静かに寝息を立て始めたルカニドを起こさないようにカイナは音もなくゲントナー領を後にした。


                  ※


(クソッ! クソッ! クソッ!)


 ゴッダート領へ戻ったカイナは後悔していた。


(なぜ、俺様はあんなことを言った!? 他領の領民なんか気にかけている場合かっ!! なぜ、モスを優先しなかった!! 誰も死なせたくないとか、優先順位とか、そんなもの考えるんじゃあないっ!! 俺様はイナゴ領主だぞ。こんな判断をするくらいなら、前世の記憶なんて……)


 より多くの人を救う判断を下してしまったカイナは、自身の領邸の門扉で、なぜそんな判断をしたのか。これでモスに何かあったらと頭を悩ませた。

 ここで悩むこと自体も前世の記憶の所為なのだが、それに気づく余地はなかった。

 屋敷内へ入ると、「モスの容態は?」開口一番にモスの安否をメイドに問い質す。


「モスさんですが、実は……」


 言い淀むメイドの言葉に不安を覚えたカイナは、走ってモスの部屋へ駆け込む。


「モス、大丈夫かっ!? クソッ。俺様の判断はやはり間違い――」


「おや、カイナ様、いかがなさいました?」


 キッチリとした執事服に身を包んだいつものモスがそこには居た。


「……モス、体はもういいのか?」


「ご心配おかけいたしました。どうやら過労のようですな。ここ最近、移動も多く、どうやら知らぬ間に疲れ過ぎていたようですな。まさか、あの程度の病魔に負けるとは。しっかり休んだ今、私に隙はありませぬぞ! 今日からまたカイナ様のお世話をさせていただきます。それで、慌てていらしてどうかなさいましたか?」


「うるさい! なんでもない!!」


 カイナは踵を返し、さっさと自室へと帰って行った。


 後日。ことの全容をメイドから聞いたモスは涙を浮かべ、カイナが看病したときに使った水タオルを、「ぐも~! 家宝にいたしますぞ!」と絶叫し、額に飾ろうとしていたところカイナに見つかり、タオルは切り刻まれたのは言うまでもなかった。



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