第36話
初めてのライブ配信で大勢の方達の前でお話をするという緊張するイベントを乗り越えて数日経ったある日、また別の事案で私は緊張する羽目になっていた。
「なんでそんなにソワソワしてんの?」
「だって今日は伊吹のご両親が遊びに来る日じゃない!」
クリスマスも終わってもう殆ど年末とも言える時期になると、毎年伊吹のご両親が遠路はるばる愛娘の顔を見に来るのだ。去年もおもてなしの為に私は伊吹の家でせっせと食事を作ったり部屋の掃除をしたりしていたけど、今年は去年までとは訳が違う。第二の両親とも言える程仲良くさせてもらっている伊吹のお父様とお母様には、今年からは幼馴染としてではなく伊吹の恋人として挨拶をしなければならないのだ。
「そんなの毎年のことだし、8月のお盆休みの時にも会いに行ったよね?」
「それはそうなんだけど、今回は今までとは訳が違うじゃん…!」
伊吹だって自分の初めての恋人を両親に紹介するはずなのに、なんでこうも緊張感が無いのか。
同性婚は昨今では当たり前の事になりつつあるけれど、やはり同世代よりかは親世代の方が抵抗のある人は多い。流石にないとは思いたいが、万が一付き合うのを反対されたりしたら、伊吹は何ともないかもしれないけど私は結構ショックを受けてしまうだろう。
「そんなに悩むくらいだったら付き合ってるの言わなくてもいいんだよ?」
「それはもっと嫌!」
伊吹は優しさから秘密にしておくことを提案してくれるけど、そんなことはしたくなかった。
私が伊吹とお付き合いさせて貰っているのは、誰かに秘密にしなきゃならないような恥ずかしいことじゃないし、なにより沢山お世話になっている伊吹のご両親に嘘をついたりする訳にはいかないのだ。
「なら覚悟決めてよー。パパとママもう下に着いてるみたいだから」
「もう着いたの!?予定よりかなり早く無い?」
「思ったより道が空いてたんだって」
事前に全ての準備は終わらせてはいたけれど、予定より早めの到着に一気に心臓が跳ね上がる。
「迎えに行ってくる!」
「えー。別にいいのにー」
ソファでぐでーって溶けたスライムみたいにくつろいでいる伊吹は放っておいて、マンションの1階のエントランスにいるらしいお二人を迎えに出た。合鍵は持っているはずだけど、今日は我が家に泊まるはずだし、荷物も沢山あるだろうから迎えに行って迷惑になることはないはずだ。
「あら、千乃ちゃん!」
「お久しぶりです!」
急いでエントランスまで迎えにいけば、ちょうどエレベーター前にお二人はいた。
「荷物持ちますよ」
「ありがとう千乃ちゃん。益々綺麗になっちゃってもう、うちの子には勿体ないくらいね」
「おばさんもまだまだ綺麗ですよ。おじさんも元気そうでなによりです」
「あぁ。ありがとう」
半年ぶりのおじさんとおばさんは相変わらずで、おばさんは伊吹の性格と正反対のおしゃべり大好きな明るい人。おじさんは寡黙であんまり口を開かない人だけど、伊吹みたいにぐーたらってわけでもないから、この二人から伊吹みたいなめんどくさがり屋が産まれたのは私の責任な気がする。
「お邪魔するわね。伊吹はもしかしてまだ寝てたり?」
「流石に起きてはいますけど、多分ソファでだらけてます」
リビングにおじさんとおばさんを案内すると、予想通り伊吹はソファの上で寝そべって、最近買ったらしい漫画を読んでいた。
「あ、いらっしゃい」
「こーら伊吹。おじさんとおばさんが折角遊びに来てくれたんだから、ちゃんと起きなさい」
「えー。いいじゃんこれくらい」
「駄目。起きて」
「むぅ…。じゃあ千乃が起こしてー。だっこー」
「はぁ…。仕方ないなぁ」
おじさん達が苦笑しているのが見なくても分かるけど、甘えん坊な子をソファから引き剥がすべく、ぐでーっと溶けている伊吹の背中に両腕を回して力を込める。
「おっもい…。伊吹、あんた逆に引っ張ってない?」
「えへへー。千乃から抱き締めてくれた」
「今はそういうことする時間じゃないでしょ…!」
起き上がらせるはずが、ソファ上の伊吹に絡め取られて、結果寝そべる二人組が誕生してしまった。不思議なことに力では伊吹には叶わないので、手を離して貰えるまでは伊吹の上に覆い被さる形から抜け出すことは不可能なのだ。
「相変わらず二人は仲良いわねー」
「うむ」
こんなの見慣れた光景すぎるのか、おじさんとおばさんは助けようなんて微塵も思っていなさそうだし、伊吹も待たせてるのが自分の両親だからか、客人を完全に無視して私の後頭部に鼻を擦り寄せて深呼吸を始めてしまった。猫を吸うなら分かるけど、人間の頭の匂いなんて吸ってなんになると言うのだ。ただ単に私が恥ずかしい思いをするだけじゃないか。
「待って伊吹。後でね、後で思う存分おもちゃになってあげるから今は一旦離して」
「思う存分…?」
「そう。私に出来ることならなんでもしてあげるから、今は離して。おじさんとおばさんが見てるから」
「そういう事なら今は解放してあげましょう!」
親と呼んでも差し支えないくらいお世話になっているおじさん達にこれ以上の醜態は見られたくなくて、多大なる犠牲を払って解放してもらった。流石になんでもは言い過ぎた気もするが、今そこについて考え出すとなにも出来なくなりそうだから、一旦思考を停止させた。
「なんだか昔より仲良くしている気がするわね。もしかしてもう付き合い出した?」
「っ…!?」
「そうだよー。よくわかったね」
ようやく起き上がれたから、ぼさぼさに寝癖がついている伊吹の髪を手櫛で整えていたら、突然おばさんから確信をついた言葉が飛んできた。当たり前のように伊吹も答えを返してしまっているし、まだ覚悟が決まっていない私を置いて話が進んでしまった。
「あらあらー、よかったわね。というより、付き合うまで長かったわね貴方達。昔からイチャイチャしてたのに、ちゃんと付き合うまでこんなに時間かかるなんて。ねぇお父さん」
「うむ」
否定されるかもと怯えていたのに、二人の反応は呆気からんとしたもの。むしろ私達が付き合うのが確定事項だったみたいな態度を取られると、こちらは戸惑ってしまう。
「そんなに昔からイチャついてたっけ?」
「そりゃあもう凄かったじゃない。何をするにも2人一緒だったし、伊吹なんて口を開けば千乃ちゃんのことばかり。千乃ちゃんだって私達に何かを聞く時は伊吹の好物とか伊吹の体調とか、伊吹のことばっかり。傍から見てあんなに分かりやすいのも珍しいと思うわよ」
「うむ」
「へー。そうだったんだ」
主に伊吹とおばさんの会話を聞きながら、私は縮こまることしか出来なかった。確かに思い返してみれば、私は何をするにも伊吹が優先で物事を考えていたし、伊吹だって常に私から離れようとしなかった。不思議な力が働いたのか、小中高とずっと同じクラスだったのもあって、どの時代の卒業アルバムを見ても、二人バラバラに写っている写真は一枚も見当たらないだろうと言えるくらいには、ずっと一緒にいた気がする。
そんなのをいちばん間近で見ていたおばさん達なら、確かに今の結論に達していても不思議ではないだろう。
「まぁそんなわけで、私と千乃は付き合ってるから。千乃から離れるつもりないし、千乃を手放すつもりもないから。もしパパとママが同性婚に反対しても、言うこと聞くつもりはないから」
「伊吹…」
私が不安に思っていたことを伊吹は真っ向からぶつけてくれる。普段はめんどくさがり屋でだらけてばかりいるけど、こういう時はしっかりしてくれるから、そのギャップにまたクラっとしてしまいそうになる。
「なーに言ってるのよ。私とお父さんが反対する訳ないじゃない。寧ろ伊吹のこと最後まで面倒見てくれるのは千乃ちゃんしかいないんだから、絶対に逃がすんじゃないわよ。それにどこの馬の骨とも知らないやつに娘をやるくらいなら、もう一人の娘の千乃ちゃんと一生仲良くしてもらってた方が親としては安心よ。ねえお父さん」
「うむ」
心配していたことが馬鹿らしくなるくらいキッパリと言い切ってくれるおばさんは、やっぱり伊吹のお母さんらしい。普段の性格は似つかなくとも、こうした芯のあるところは全く同じ。
いちばん認めて欲しかった人に受け止めてもらえてようやく安心できた。自分でも知らぬ間に緊張しきっていたのか、安堵したのと同時に力が抜けて伊吹にもたれかかってしまったけど、そんな事すらも優しく見守ってくれる二人に改めて感謝をするのだった。
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