第12話<伊吹side>

 私の膝の上で千乃が寝ている。ただそれだけのことになんだか無性に満たされる気がする。


 なんでもそつ無くこなして、苦手なことなんて一切なさそうなしっかり者の千乃も、こうしてあどけない寝顔を見せている時はなんだか私の妹になったかのようだ。


「可愛い」


 顔にかかった髪を退けてあげるついでに頭を撫でてみると、寝ているのに機嫌良さそうに表情を緩めるのだから恐ろしい。千乃の顔でこんなことそこらの男にやったら何人でも簡単に釣り上げることが出来るだろう。


 髪もサラサラで指通りが良い。絹糸で遊んでいるかのようで、いつまでも触っていられそうだ。


「んぅ…いぶき?」

「おはよう千乃」


 触りすぎたのか、まだ眠たそうに目を擦りながらも千乃が目を覚ましてしまった。もう少し寝顔を眺めていたかったが、起きてしまったなら仕方ない。


「私どれくらい寝てた?」

「んー、5分くらい?」


 時間なんて測っていないから、体感で適当に答えてみる。


「うそ、1時間も経ってるじゃない。足痺れちゃったでしょ?大丈夫?」


 思ってたより長いことこうしていたらしい。体内時計だとほんとに5分程度しか経ってないつもりだったから、時計を見てびっくりした。


「言われてみれば若干痺れてるかも」

「もー、起こしてくれてよかったのに」


 千乃は慌てて起き上がって私の隣に座り直した。別に寝たままでもよかったのに。


「なんか疲れてそうだったし、寝かせてあげようかなって」


 誤解のせいで眠れてなかったみたいだし、そもそも仕事が大変そうだから少しでも休んで欲しくて起こさなかったのもある。起こさなかった一番の理由は単に私が千乃の寝顔を見ていたかったからだけど。


 普段私より早起きの千乃の寝顔を見る機会は全然なくて、こうして落ち着いて見れたのは久しぶりな気がする。


 眠っている時の千乃は実年齢より随分幼く見えて可愛らしい感じだけど、こうして起きている時は美人って言葉が似合う。これだけ綺麗で仕事も出来るんだから引く手数多だろうに。


「疲れてるように見えてたかー。化粧で隠しても伊吹にはバレるよね」

「お仕事大変なの?」

「んー、まぁちょっとね。家には寝に帰るだけーみたいな生活してるかも」

「嘘でしょ?」


 最近疲れてそうとは思っていたけど、まさかそんな限界社畜生活を強いられていたなんて。千乃の仕事が想像よりずっと大変そうで、そんな生活の中私の家に来て家事をさせていたと思うと申し訳なくなってしまう。


「私の家来るの大変なら……来る回数減らしてもいいんだよ」


 別に来なくてもいいんだよって言おうとして、すんでのところで踏みとどまった。千乃がとても悲しそうな表情を一瞬浮かべたからだ。


「でも、私がこなかったらご飯とかどうするの」

「それは…死ぬほど嫌だけど、お弁当とか買って食べるよ。千乃が倒れたりしたら困るし」


 出来ることなら今すぐ千乃と結婚して私が養って千乃には家事をやって欲しいけど、振られてる立場なのでそれは言わないでおく。


「で、でもさ…」


 千乃は食い下がってこようとするが、千乃に無理させてまで私の世話をして欲しいわけじゃないからここはしっかりと断らなければならない。近いとはいえ千乃と私の家は歩いて20分くらいの距離があるのだ。疲労困憊の人にこの距離を歩かせるだけでもありえないのに、追加で家事をやらせるなんて流石に酷すぎるだろう。


「でも私、伊吹のお世話するの生き甲斐っていうか、取り上げられると生命力減るんだけど…」

「えー、でも目の下にクマある千乃がキッチン立ってる光景とか見たくないんだけど」


 寝不足で私の家に来ようとして、その道中で倒れられたりしたら目も当てられない。もしもそんなことになったなら私は自分を許せなくなるだろう。


「……でもさぁ、伊吹を放ったらかしにしてたら不安で余計眠れなくなりそうなんだよね」

「私は千乃の娘か」

「似たようなもんじゃん。伊吹だって私の娘になるーって言ってた時あったし」


 確かに言ったことあるが、あれはその場のノリで適当に言っただけの話だ。今では同じことを考えることはない。なぜなら千乃の娘となると、千乃に旦那が存在することになる。それを想像すると何故かどうしようも無いほどの怒りが込み上げてきてしまうからだ。だから娘になるなんて想像は出来なくなってしまった。


「だからさ、伊吹ん家には来ていいでしょ?むしろ来ない方が精神安定しない」

「むぅ…」


 なんだかこのままでは言いくるめられてしまいそうだ。なにかいい方法はないかと必死に思考を巡らす。このままでは千乃が夜道で倒れる未来が来てしまう。


「あっ、いいこと思いついた」


 このままでは千乃は私の家への通いを辞めてくれない。だが千乃と結婚して同棲することもまだ出来ない。ならば、その間を取ればよかったのだ。


「なに?」

「私と暮らそうよ」

「……だから、結婚はまだしないってば」

「違う違う。そうじゃなくって」


 結婚についてはまだ首を縦に振って貰えてない。だから私達は今のところ夫婦ではなく、幼馴染兼親友だ。


「同居しようよ。シェアハウス。親友なんだし、変じゃないよね?」


 結婚しなくたって、私達の間柄なら一緒に暮らすことに問題なんてなかったのだ。シェアハウスという名目にしてしまえば無問題である。


「確かに……ありかも」

「じゃあ決まり!千乃の家の更新なんて待たずに、このままここ住も!」


 私はなぜこんな簡単な解決策をもっと早く思いつかなかったのか。思いついてさえいれば千乃と一緒にいられる時間がもっと沢山あったのに。


「もう、強引だなぁ」

「千乃と一緒に暮らせるなら強引にもなるよ。へへ、千乃と同棲かぁ」

「シェアハウスでしょ。勘違いさせないでよ」


 千乃に小突かれるが、そんなこと気にならない。だって千乃と一緒に暮らせるのだ。小さい頃から頻繁にお互いの家でお泊まりしていたし、今だって千乃は自分の家にいるのと同じくらい私の家で過ごしていたとはいえ、ちゃんと同じ家に住むのは初めてだ。これでテンションが上がらないなんて嘘だろう。


「まったく…。私と暮らすだけでなにがそんなに嬉しいんだか」


 呆れた様子の千乃は分かっていないのだ。家に帰ってきた時には必ず千乃がいる。一緒に居るだけで幸せな気分になれる人が、おはようからおやすみまで毎日居てくれるのだ。こんなの嬉しくないわけが無い。


 千乃にもこの気持ちをこれからの生活で分かってもらおうと、張り切りすぎた私が千乃に怒られるのは翌日のことだった。

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