第13話

 伊吹と同居を初めて1週間。これまでも半ば2人で暮らしていたようなものだったから、大きな問題はないと思っていた。


「ちょっと伊吹離れて!包丁持ってる時は危ないから駄目っていつも言ってるでしょ!」

「えー、いいじゃん少しくらい」

「駄目なものは駄目!」


 だが実際に暮らしてみて分かった。問題だらけだった。


「ちょっとだけー。ねーいいでしょ?」

「ぐっ………動かないでよ。動いたら本当に危ないんだから」

「はーい」


 今まで泊まりに来た時とは違う伊吹の態度に困惑する。何故か伊吹は私と一緒に暮らすようになってから、かまって欲しい猫のように四六時中私に引っ付くようになってしまったのだ。


 今も料理中の私の背中から抱きついてきて、駄々を捏ねて私から離れようとしない。知らぬ間に娘が出来てしまったかのようだ。


「今日のご飯はなーに?」

「シチューとサンドイッチ。クリームシチュー好きでしょ?」

「大好き」

「ッ…!」


 バックハグされている状態だから、意図せずに私の耳元で伊吹が喋っている形になっている。だからこんな至近距離で大好きなんて言われてしまえば、私のお花畑な脳みそが勝手に変換して伊吹に愛を囁かれていると勘違いしてしまう。


「わ、どうしたの急に座り込んで」

「もうっ……腰砕けたの!立てないからソファまで運んで」


 伊吹はもう少し自分の声がいい事を自覚して欲しい。ただ美声なのではなくて、私の大好きな人の声なのだ。そんな私特攻の声帯を持っているのだから、もう少しだけ手加減をしてもらいたい。


「仕方ないな。はい、お姫様」

「ちょ、ちょっと、肩貸してくれるだけでいいのに」


 細身の癖に意外と力があるのか、伊吹は私の膝裏と腕の下に手を通してそのまま持ち上げた。所謂お姫様抱っこというやつだ。


「千乃軽くなった?食べる量少ないんじゃない?」

「そんなことないでしょ。腕周りとか太くなった気するし」


 リビングまで軽々と運んでくれた伊吹は私を抱えたままソファに腰を降ろした。


「あの、離して貰えると助かるんですけど」

「んーだめー」


 足だけソファ上に降ろしてもらえたものの、膝の上に座らされたまま上半身は伊吹によってガッチリとホールドされてしまっている。扱いがまるでぬいぐるみだ。


「なんか最近甘えん坊じゃない?どうしたのよ」

「えー?そんなことないと思うけど」

「いやいや。明らかに以前と違うでしょ」


 ここ最近常にひっつき虫と化した伊吹だが、以前はそもそも抱きしめ合ったりなんて殆どしたことはない。私は惚れている手前そういった事に憧れてはいたが、伊吹は過剰なスキンシップを好まないからと諦めていたのだ。


「分かんないけど、千乃に触れてると安心するんだもん」

「全く。大きな赤ちゃんなんだから」

「赤ちゃんじゃないもーん」


 そう言って私の胸に顔を埋めて目を細める姿は、赤子でなければ年の離れた妹か、あるいは付き合いたてのカップルかのように見える。実際のところは生まれた時から現在まで連れ添った幼馴染なのだが。


「ねぇ千乃」

「なーに?」


 私の体から顔を離さないで喋り出すものだから若干声がくぐもって聞こえにくいし、温かい息があたって擽ったい。だが何を言っても離れそうもないからと、こそばゆさを我慢して受け入れる。


「千乃はさ、まだ婚活してるの?」

「最近はしてないけど、どうして?」

「なんか……まだしてるなら嫌だなって…」


 理由はちゃんとは教えて貰えていないが、伊吹は私が婚活をしたり恋人作りに励もうとすると機嫌が悪くなる。それは恐らくだが嫉妬によるものらしい。確かに逆の立場で考えれば私だって嫉妬する。好きな人に自分以外の恋人ができたらと不安になる日々は伊吹よりも長い時間味わってきたのだ。


 だが伊吹と私の感情は別物だ。私が伊吹に恋愛感情を向けているのとは違い、伊吹は切れることの無い幼馴染という繋がりを願っている。昔から私より交友関係が狭かった伊吹だから、より親友の私に対する独占欲が強くなったのだろうと予想できる。


「もう婚活はしないよ。だから安心して?」


 最近メンタルが不安定気味の伊吹を安心させようと、優しく頭を撫でてやりながら囁く。なんだか小さな子供をあやしているようだ。


「なんで?」

「ん?」

「ずっと恋人欲しいって言ってたじゃん。なんで婚活辞めたの?」


 どうやら嫉妬深い幼馴染様は理由が必要らしい。ただ辞めただけではまたいつかやるかもしれないと怖がっているのだ。


「そんなの決まってるじゃない。ってか伊吹分かってなかったの?」

「分かるわけないじゃん。私聞いてないもん」


 どうやら心当たりはないらしい。不貞腐れて頬をふくらませた伊吹の両頬を挟んで空気を抜いてやれば、唇を尖らせて拗ねる美少女の完成だ。


「伊吹が惚れさせてくれるんでしょ?」

「ほぇ?」

「伊吹が私を惚れさせて、そんで最終的に結婚してくれるんでしょ?だったら婚活なんてしても意味ないじゃない」


 初めは受け入れるつもりのなかった結婚してくれの言葉も、今では別にいいかもなーくらいに思ってしまっている。相手の感情が伴わないとしても、やはり長年恋した相手からの求婚というものはかなり効くのだ。それを何度もやられたら屈するのも仕方ない。


「うん。絶対惚れさせる」

「やれるものならやってみなよ。私だって負けないから」


 私だって負けていられない。もう既に伊吹にベタ惚れの私の戦いはまた別のところにある。私が伊吹に落ちるのではなくて、伊吹をこちらに落としてやるのだ。


 どうせ結婚するならば、やはり互いの気持ちは通じ合わせたい。だから、このとんでもなく鈍い鈍感系主人公の伊吹に、私が長年拗らせた恋心ってやつを教えこんでやる。そして伊吹にその気持ちが芽生えてくれた時には、こちらから想いを告げよう。物心ついた頃から、ずっと愛しているのだと。


「絶対勝つもん」

「はいはい。とりあえずさ、もう離してくれる?」

「やだ」

「夕飯の続き作りたいんだけど」

「離した!」


 どこか甘くなりそうな雰囲気も、食欲には勝てなかったらしい。


 頑なに離してくれなかったのに、食事の話題をすればすんなりと解放してくれる。これはこれからも使える手だなと頭の片隅にメモした私は、今後も伊吹の我儘が酷くなった時に乱用するのだった。

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