第19話<伊吹side>

 なんだか最近自分が自分じゃないみたいだ。今まで知らなかった感情がどんどん強くなってきて、少しだけ怖い。


 千乃が他の人と仲良くしていたら不安になるし、千乃が彼氏を作ろうとしたら不快感が込み上げてくる。千乃が私と一緒に居てくれる時は安心するし、千乃に触れている間は幸せな気持ちになれる。この感情はなんなのだろう。


 まだ明確に自分の心の在り方に名前を付けられてはいないけど、今の私はとても幸せだ。だって千乃がいつでも私と共に居てくれるから。


 千乃が仕事を辞めて、家にいる時間が増えた。朝は千乃の笑顔で目覚めて、お昼に配信をした後も千乃が労ってくれる。夜は2人で映画を観たりゲームをしたりのんびり過ごして、夜眠る時間を迎える。


 おはようからおやすみまで千乃尽くしの毎日は、私にとって天国のようだ。


「千乃…?寝た?」


 この幸せな時間を失いたくない。千乃を誰かに取られたくない。日を追う事にそんな気持ちが強くなってくる。千乃が誰かと結ばれようものなら、今の生活はそこで終わりを迎える。それだけは嫌だ。そうなる前に千乃を私のものにしたい。手っ取り早く千乃を私のものにする手段が結婚だった。だけど千乃には結婚は断られてしまったし…。


「寝てるね。お邪魔します」


 千乃が眠るベッドに近づいて、こっそりと布団の中に潜り込む。千乃の体温で温まった布団の中は心地よくて、すぐに眠たくなってしまいそうだ。


「可愛い。……お願いだから早く私のものになってよ」


 眠る千乃を抱きしめて、互いの体温を交換する。


 千乃は自分を卑下しがちだから自覚が無いみたいだけど、千乃はそこらのアイドルに負けないくらい綺麗で、可愛くて、魅力的なんだ。私がのんびりしていたら、きっとどこかの誰かに取られてしまう。


 だから積極的にアプローチをかけて千乃を私に惚れさせたいんだけど、最近のおかしな症状のせいでそれもままならない。


 何故か千乃に触れられると、逃げ出したい気分になるのだ。千乃からのスキンシップは嬉しいし心地良いんだけど、不思議と心拍数が早くなって顔が熱くなる。今みたいに千乃が眠っている時にならこうして密着してもそこまで変な気持ちにならないのに、千乃から私になにかされると、自分が自分じゃなくなってしまうのだ。


 千乃が起きてる時に抱きつくと、千乃は必ずと言っていい程抱き返してくれるし、頭を撫でたり背中を優しくポンポンと叩いてくれる。それは今までなら幸せになるだけだったのに、今は馬鹿みたいに心臓が暴れるから、簡単には出来なくなった。でも嫌な気持ちになるわけじゃないし、幸福感は得られるから辞めれるわけでもないけれど。


 私はいったいどうしてしまったのだろう。


 己の内にある未知の感情について自問自答しているうちに、今日も眠りに落ちた。










「伊吹。おはよう」

「ん……ゆきのおはよぉ」


 朝の目覚めは千乃の笑顔。朝には弱い私だけど、千乃に起こされた時だけはすんなりと起きれることが多い。


「また私のベッド潜り込んで。甘えたい時期なの?」

「うん」


 寝起きのぽわぽわした頭なら千乃に抱きしめられても、逃げたくなったりしない。むしろ甘えたい欲が強くなって、自分から千乃の胸に顔を埋めてしまう。埋める程大きくないけど。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「そんなことないよー。あー、幸せ」

「私も。起きてすぐに誰かの体温感じられるのっていいものね」

「誰かのって誰のでもいいの?」

「もうっ。伊吹のだからに決まってるでしょ。親しくもない人が起きて隣にいて落ち着いたら頭おかしいでしょ」

「それはそうだね」


 こうした何気ない会話をして、ありふれた時間を過ごせるのって凄く贅沢で幸せな時間なんだって実感する。別々に暮らしていた時はこんな幸せな朝は迎えられなかった。


 千乃と一緒に暮らせるようになって本当に良かった。


「朝ごはん何食べたい?」

「んー。フレンチトーストがいい。甘いやつ。それで飲み物はホットココアがいい」

「朝からそんな糖分ばっかり食べてたら太るわよ?」

「太らないもーん」


 抱き合ってする朝の会話って1番好きかもしれない。寝起きのふわふわした頭で、くだらないこと話して。その相手が千乃ってのが1番幸せ。この時間が大切だし、なによりこうして隣にいてくれる千乃が愛おしくてたまらない。


「やっぱ好きだなぁ」

「フレンチトースト?子供の頃からよくせがんできたもんね」


 千乃の匂いを感じながらふと口から言葉が零れた。


 好きだって今なにに対して言ったんだろう。フレンチトーストはもちろん好きだけど、それについてじゃなかった。今思い浮かべていたのは、目の前にいる幼馴染のことで。


「え、えぇ。今、私千乃のこと考えて…」

「どうしたの?」


 千乃が私の顔を覗き込んできているけど、そんなこと気にしてられない。だって、今私千乃のこと思って好きだって。そりゃあ千乃は幼馴染だし、親友だし、大好きに決まっているけど、今思ったのはそんな友愛で済むものじゃなくて。もっと重たくて大きな何かで。


「顔赤いけど、どうしたの?暑くなってきた?」

「………ねぇ千乃」

「なに?」

「思いっきり抱きしめてくれる?痛いくらいで」

「いいけど」


 痛い。痛いけど、それよりも千乃を感じられて心が熱くなる。冴えてきた頭が千乃の匂いを理解して、心臓を高速で動かしてくる。逃げ出したくなるけど、それよりもこのままで居たい気持ちの方が強くて、この場所を誰にも奪われたくないと切に願ってしまう。


 あぁ。これは、この感情は、そういうことなのかもしれない。


「痛い」

「伊吹が痛くしろって言ったんじゃない。もしかして、伊吹ってMの素質もあるの?痛いの好きとか」

「……好き」

「えぇ…。私伊吹叩くとかできないよ」


 好き。1度形を持ったこの気持ちは、もう不確かに揺らいだりしない。気がついてしまったのなら、もう目を背けることもできない。


「好き」

「これは私将来苦労するかもなぁ…」

「大好き」

「もう分かったって。そんなに好きなら私も頑張るよ…」


 顔が見れない。顔を見せられない。冬の朝だというのに、暑くてしょうがない。茹だった私の脳は千乃への想いでいっぱいで、もう他のことなんて考えられない。


「痛いのは嫌い」

「は…?なんなのよ」


 私、千乃のことが好きだったんだ。


 こんな単純なことに今まで気がつけないでいたなんて、私ってもしかしたら鈍感なのかもしれない。


 千乃が他の人と一緒に居たら、嫉妬するから嫌な気分になっていたんだ。


 千乃に触られて逃げたくなるのは、照れて恥ずかしくなったからだったんだ。


 最近の不可解な自分の行動もようやく合点がいった。


「朝ごはん食べよ?お腹減った」

「あ、もしかして好きってフレンチトーストのこと?もう。紛らわしいな」


 千乃は勘違いしているけど、まだそのままでいいや。


 こんなタイミングで伝えるのは駄目だ。もっとちゃんとしたシチュエーションがいいって千乃も言ってたし。だから、この気持ちを伝えるのは千乃の誕生日にする。元々色々予定していたけど、考え直さなきゃ。


「私もお腹減ったし、早く作ろっか」

「うん!」


 気持ちを伝えるまで、今は、今だけはまだ千乃とのこの距離感を楽しもう。

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