第37話<伊吹 side>
「相変わらず千乃ちゃんの作るご飯は美味しいわねぇ」
「あ、ありがとうございます」
千乃の作った夕ご飯を私の両親と一緒に食べていた時、お母さんが思わずといった風に零したつぶやきを拾って千乃が嬉しそうにはにかんだ。
「この筑前煮なんて間違いなくお店で出されるものよりも美味しいもの」
「昔おばさんが筑前煮好きって言ってたの思い出して、今回は特に丁寧に作ってみました」
「まぁ。嬉しいこと言ってくれるじゃない」
千乃は私のお母さんに昔から懐いていて、こうして褒められると心底嬉しそうにするのだ。今までは気にしていなかったけれど、私以外に尻尾を振っている千乃を見るのはなんだか少しだけ面白くないって思ってしまう。
「ちょっと多めに作ってあるのでよかったら持って帰ってもらえたら」
「それじゃあお言葉に甘えちゃおうかしら」
実の母親に嫉妬するなんて、自分の心の狭さにびっくりだ。
「おじさん用のおつまみも少しだけ用意してあるので、一緒に包んでおきますね」
「あらあら。よかったわねお父さん」
「う、うむ。ありがとう」
「ふふっ。いつもお世話になってるお礼です」
普段寡黙で基本真顔のお父さんも千乃の健気さには負けるのか、珍しくちょっと嬉しそうにしているし。
普段の私以上に尽くされている両親を見ていてモヤモヤした気分になってしまうなんて、少し前の私が聞いても信じられないだろう。
その後も千乃の天使のような優しさに触れ続けた両親は、暫くのんびりしてからほくほく顔で帰っていった。
「おじさんもおばさんも喜んでくれたみたいでよかったー」
「…うん」
「なんか元気ない?」
「そんなことないけど…。千乃はお父さん達に会えて嬉しそうだったね」
私だって両親に久々に会えるのは嬉しいことだけど、自分の心に余裕が無さすぎて素直に喜べなかった。
「いつも以上に料理とか張り切ってたし」
「まぁね。確かにいつも以上に力は入れてたかも」
「なんで?」
「そりゃあ…、将来の義両親になるわけだし、無いとは思ってたけど万が一にも伊吹と付き合うの反対されたりしないようにご機嫌取り的な…?」
「ふ、ふぅん」
将来の義両親。その言葉の響きの良さで思いのほかチョロいらしい私の心は少しだけ建て直された。将来の義両親ということは、千乃は私とちゃんと結婚するつもりでいてくれているということだからだ。
「結局おじさん達にはバレバレだったみたいで無駄なごますりだったけどね」
苦笑しながら私の左隣に座り直した千乃は、珍しく甘えるみたいに私の肩に頭を預けてきて、自然な仕草で腕を絡めてきた。
「どうしたの?」
「んー?」
感触を確かめるように手のひらを自由に弄ばれながら、間延びした返事をしている千乃に目を向ける。
「なんか千乃からこうやってくっついてくるの珍しくない?」
「そうかな。私だってこれくらいのスキンシップはするよ」
「それでも珍しいような」
ちょっと強めに攻めただけですぐ気絶しちゃうくらいピュアピュアな千乃が、自分から密着してくるなんて本当に珍しい。確かに自然な流れで隣に座ってきたり、ふいに腕を絡めてきたことはあったけれど、こうやって改まって2人きりの時間に千乃からってのはあまりなかった。
「本当はなにかあったんじゃない?」
「私は何もないんだけどね。………なんだか、伊吹が元気ないみたいだったから」
「私が?」
「うん。ちょっとだけ暗い顔してた」
顔に出しているつもりはなかったのだが、もしかしたら実の親に嫉妬していたことが雰囲気に出てしまっていたのだろうか。でも機嫌悪そうにしていたらお母さん辺りがなにか言ってきそうな気もするけど、言われなかったってことは上手いこと隠せていたはずなのに。
「態度に出してるつもり無かったんだけど、よく分かったね」
「そりゃ分かるよ。誰よりも伊吹のこと見続けてきたんだから」
「そっか」
実の親でさえ気がつけないほどの機微すらも、千乃は気がついてくれる。逆の立場で考えれば私も千乃に何かあったら察してあげられるとは思うけど、実際にこうして心配してもらえると心が自然と温まる。
「それで、何があったの?」
嫌なことや辛いことがあったら話して欲しい。私が千乃の立場だったらそう思うに決まっているから、このまま黙っているのもよろしくはないのかもしれない。
「別に大したことじゃないんだけどね」
「うん」
「なんか、お母さん達に嫉妬しちゃった」
「…なんで?」
「千乃が私以外の人に尽くしてる姿って今まで見たこと無かったから。ちょっとだけモヤッとして、それで、両親にすら嫉妬する自分にびっくりしてた」
「そっかー」
流石に引かれただろうか。こんな余裕の無い自分を千乃に見せたことは殆ど無かったから、嫌われる程ではなくても呆れられてそうで怖くなる。
「伊吹がそういうこと思ってくれるの少しだけ意外かも」
「私もそう思う…」
引かれてもおかしくはない内容だったはずなのに、寧ろ千乃は触れ合っていた身体をより密着させてきて、息がかかる程の距離に顔を寄せてきた。
「心配しなくても私が好きなのは伊吹だけだよ」
「…ありがと」
「分かってなさそうな返事だなー。全く…、こっち向いて」
「ゆき……っ…!」
元々ほぼゼロ距離にいた千乃が更に詰めてきて、驚いて名前を呼ぼうとした口は熱い感触によって塞がれた。
もう何度かした行為のはずなのに、自分で意図していないタイミングだと少しばかり余裕を失ってしまう。
「ゆきの…」
「やば。蕩けてる伊吹可愛すぎる。……もっとするからね」
何度も何度も口付けを落とされる度に先程までの陰鬱気味な気持ちは吹き飛んでいって、代わりに千乃から与えられる熱が心を満たしていく。
「好きだよ。大好き。伊吹だけを愛してる」
安心させるように。不安な気持ちなんて抱かせる余地もないくらいに、千乃の想いをぶつけてくれる。
きっと千乃には恥ずかしくて堪らない行為だろうに、私の為ならと躊躇わずに愛を囁いてくれる。
「私も。私も千乃だけが好き…!」
普段の恥ずかしがりで照れ屋な千乃も可愛いけれど、こうして羞恥を隠してグイグイきてくれるギャップで呆気なく頭をクラクラさせられてしまうのは、私が千乃にどうしようもないほど惚れ込んでいるからなのだろう。
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