第33話

 拝啓。伊吹のお父様とお母様。私は今貴方達に物申したい気分です。そりゃあ私だって、実の娘のように可愛がってくださったお二人に文句なんて言いたくはありません。しかし、今回の要件がお二人の娘である伊吹に関することなので一言だけ言わせてください。


「羞恥心というものをなんで教えなかったんですか!!」

「どしたの急に」


 ホテルで目覚めて同じベッドに眠る伊吹を見つけて慌てたのも一瞬。すぐに昨夜のことを思い出して、なぜ2つあるベッドの内片方だけをシェアしているのかについては納得した。しかし同衾している理由を思い出すと同時に、私が昨夜眠る直前の、いや、昨夜私が気絶する直前の出来事を思い出して、危うく再び夢の世界に誘われる事態になりかけた。


 頭を冷やす為に部屋に備え付けられたお風呂でシャワーを浴びて、小一時間ほど自らを落ち着かせてから戻ってくる頃に伊吹は目覚めていた。


 昨夜の事が脳裏に過ってしまって伊吹の顔もまともに見れない私と違い伊吹は極々自然体で、あの出来事は夢の中の事だったのかと勘違いしそうになってしまうが、夢オチだったとかそんなことはありえない。初めて触れる柔らかさも、触れ合うことで感じた熱も、未だに鮮明に思い出すことが出来るからだ。


「髪乾かしてあげようか?」

「……お願い」

「はーい」


 ドライヤーを片手に私の背後に立つ伊吹に気負った様子は感じられない。私なんて伊吹に髪を触られただけでビクッとしてしまうくらい緊張してしまっているのに、何故こんなにも差があるのか。それは偏に伊吹の脳内に羞恥心というものが存在しないからなのだ。


「いつも思ってたけど千乃の髪って綺麗だよね。サラッサラで指通り良くて気持ちいいし、いい匂いするし」

「匂いって…。同じもの使ってるんだから伊吹も同じじゃないの」

「それが違うんだよなー。なんだろう、千乃本来の香りって言うのかな?それが合わさって私より絶対いい香りするもん」

「変なこと言わないでよ」


 こんな今までだってしたことありそうな会話をするだけで身体が熱を持ってしまい、お風呂から出たのに逆上せそうになってしまう。


 ドライヤーのスイッチを入れて、私の背後で楽しそうにブローしてくれている伊吹を鏡越しに見ているだけで、自然とその形の良い唇に目線が吸い込まれていく。昨夜あの唇に私の初めてを奪われて、普通そこで止まるはずなのに暴走した伊吹はいきなり…し、舌とか入れてくるし…。あんな事されたらビックリして気絶するのも仕方ない……と思う。


 そもそもお互い初めてだったというのに、いきなりディープな感じで来るとか想像もするわけがないだろう。それにそういった行為をする雰囲気でもなかったのに。


 もっとこう、ファーストキスは多少なりともロマンチックなシチュエーションで行うものだとばかり想像していたから、付き合った当日にいきなりベッドの中でされるなんて想定外もいいところだし、攻めは私のつもりだったから伊吹からされるのも予定と違った。まさか伊吹があんなに積極的になるなんて。


 色恋なんて一切知らなそうな伊吹があんな……。


「顔赤いね。ドライヤー熱い?」

「そ、そそそそんなことないよ?!」


 鏡越しに表情を見られたらしい。ドライヤーのスイッチを切った伊吹が、髪を手櫛で弄びながら顔色を伺ってくる。


「そう?それにしては耳も首も赤いけど」

「そ、それはお風呂上がりだからかなー?うん。ちょっと逆上せちゃったみたい」


 まさか昨夜の情事について思い出して勝手に照れてましたなんて言えるわけもなく、苦しい言い訳を並べることしか出来ない。


「そんなことよりさ、今日は帰ってなにしようか?今日はクリスマスだし、ケーキとか作る?」

「いいね!千乃の作るケーキ大好きなんだよね」


 毎年クリスマスには私が伊吹好みのタルトケーキを作っていたのを思い出し、上手いこと話を逸らすことに成功した。昨日の話をして変な雰囲気になったりしたら、また伊吹が暴走しかねないから、話を逸らせてよかった。こんな朝早くから二度寝したらホテルのチェックアウトの時間を過ぎてしまう。


「それじゃあ帰り道にスーパー寄ろうね。ケーキ作り以外の材料も買いたいし」

「おっけー。あ、そうだ。千乃にお願いしたいことがあったんだけど」


 話をしていてようやく内心落ち着いてきたと思ったら、伊吹が改まった表情をして動きを止めた。


「な、なに」

「別に難しいことじゃないんだけどさ、千乃に私の配信出て欲しいなって」

「配信?」


 伊吹が改めて私にお願いすることなんてそうそう無いから、どんな無茶振りをされるんだって身構えたら、思ってたのと違うお願いが飛んできた。直前に今夜の食事の話をしていたから、てっきり七面鳥の丸焼きとかでも頼まれるのかと思ってしまった。もし頼まれたら入手するのが大変そうだから頼まれなくてよかったけど。


「うん。千乃が私のファン公認の嫁になってるっての証明したいし、リスナーに千乃と付き合えたら二人で配信するって言っちゃったんだよね」

「…言っちゃったならするしかないじゃない。そういうのは事前に相談しなさいよね」

「ごめーん」


 正直な話何千人もの人が見に来るような配信でお話なんて、緊張してしまうからしたくはないのだけれど、普段伊吹がお世話になっている人達に挨拶をするくらいなら、とも思えなくは無い。なにより伊吹が約束をしてしまったなら、それを反故にするような人間にさせない為にも、手伝わないわけにはいかないだろう。


「する前に気をつけなきゃいけないことちゃんと教えてよ」

「それは大丈夫だよ。私のマネージャーが初心者向けに話す時に気をつけなきゃいけないことリストを作ってくれたから、それを見てくれたら完璧だよ」

「なんでそんなもの用意されてるのよ」

「そりゃあ千乃と付き合えたら二人で配信するって約束だし、千乃に振られるなんてありえないと思ってたから」

「そ、そうなんだ…」


 呆気からんと言い放つ伊吹に苦笑いすることしか出来ない。こんなつよつよメンタルを持っていたなら、私だってもっと早く伊吹に気持ちを伝えられてたのになぁってちょっとだけ悔しくなってしまった。


 生まれた時からずっと一緒に育ったはずなのに、こんなにも心の強さが違う事実に、少しだけ落ち込んだりした。

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