第32話<伊吹side>

「ねぇねぇ千乃」

「なーに?」

「えへへ。呼んだだけー」

「もう、なにそれ」


 真っ暗な室内のベッドの上で、同じ布団の中に千乃がいる喜びを噛み締める。


 告白したら千乃は頷いてくれるって信じてはいたけど、それでもずっと振られるかもしれないって不安は付き纏っていた。もしも振られたら一緒に居てくれなくなるかもしれない。そんな漠然とした不安が私を蝕んでいたけれど、そんなものとも今日でおさらばだ。だって今の私は正真正銘千乃の彼女なのだから。


「千乃は私のこと好き?」

「うっ……す、好きに決まってるでしょ」

「私も千乃のこと好きー」


 隣に横たわる千乃に絡み付くように手を伸ばして自らの身体を引き寄せれば、生地の薄い部屋着越しに千乃の体温が伝わってくる。お風呂から出て暫く経ったのに私よりも随分と高い体温が伝わってきて、伝播した熱に浮かされてこちらまで身体が火照ってきてしまいそうだ。


「そんなくっつかれたら寝にくいでしょ」

「えー。いいじゃん少しくらい。千乃も私のこと抱き枕にしていいから」


 暗闇の中でも千乃が照れているのが分かる。千乃は昔から過度なスキンシップが苦手みたいで、私が抱きついたりしたら顔を真っ赤にして、その癖なんでもない振りをしてやり過ごそうとするのだ。千乃がそんな態度を取る時には揶揄うつもりで控えめなボディタッチをしてみたりしていたけど、今はただただ好きな人に触れていたいって欲求に素直になっているだけ。悪意はないんだから大人しく甘えさせて欲しいものだ。


「いい匂いする。なんで私のと違うんだろ」

「ちょっ…嗅がないでよ」


 抱きついたついでに千乃の胸元に顔を寄せて深呼吸してみたら、千乃の甘い匂いが私の肺をいっぱいに満たしてくれた。


 普段一緒に生活していて、ボディーソープだったり、洗濯に使う柔軟剤だったりは全部同じはずなのに、こうして改めて千乃の匂いを嗅いでみてると、自分とは明確に違うと感じるのは何故なのだろうか。


「舐めてみたら味も甘かったりするのかな?」

「しないからね!?絶対やめてよ!」


 ふと気になって舌なめずりしていたら、千乃が一瞬ビクッてなって、その後すぐにほっぺを掴まれて引き剥がされた。


「わかったわかった。舐めたりしないからギューってさせて」

「絶対だからね」


 念を押されたけど、流石の私でも限度があるのは分かっている。急に千乃の身体を舐めたりしたら、多分千乃は気絶しちゃうから。そういった刺激は少しずつ慣らしてあげないと、むっつりな千乃ちゃんはすぐにキャパオーバーしてしまう。


「聞きたいことあるんだけどいい?もう眠くなっちゃった?」

「誰かさんのせいで落ち着けないから眠気はこないわよ。それで、何が聞きたいの?」


 これ以上のスキンシップは今はしんどいだろうから、普通にお喋りすることにした。


「千乃に愛されてるなーって最近よく実感するんだけどさ、千乃っていつから私のこと特別に想ってくれるようになったの?」

「……ん?」

「千乃って私が告白する前から私のこと好きだよね?ちょっと前まで理解出来てなかったけど、色々と考えたら随分昔から千乃に好かれていたっぽいなーって思ってさ」

「……んん?」


 一昔前までは自分の気持ちも千乃の気持ちも全く理解出来ていなかった。でも今は違う。むしろ今となってはあんなあからさまな態度の千乃の好意を察せなかった自分が信じられないくらいだ。


 千乃だって仕事で大変な癖に、毎日毎日親同士が仲良かったから自然と仲良しになっただけの幼馴染を相手に文字通り心身を削って尽くしてくれていたのだ。乱暴に言ってしまえば幼馴染などただの他人でしかないのに、千乃があそこまでしてくれていたのは偏に私と同じ気持ちでいてくれていたからなのだろう。


「千乃がお仕事するようになってからようやく気がつけたけどさ、よく考えれば高校……いや、中学の時かな?それくらいの時には千乃は私にベタ甘だったなーって。その頃にはもう千乃は私のこと好きになってた?」

「………なんでそう思うのよ」

「高校の時だと、毎日私にお弁当作ってくれたのとか?周りに同じことしてる人いなかったよね?」


 そもそも自分の分のお弁当を自作してきていた子が少なかったのに、同級生の手作りお弁当を毎日食べていたのは私くらいだっただろう。


「あ、あれは伊吹の健康の為にやってただけで」

「あと中学の時なんかは私に近づく男子に威嚇して回ってたよね」

「うぐっ…」


 本当は私じゃなくて千乃目当ての男子の方が多かったけど、千乃は多分私しか目に入っていなかったから、周囲からの好意なんて一切気がついていなさそうだった。


「結局いつ好きになってくれたの?」


 思い当たる節が多すぎて、千乃の初恋がいつなのかよく分からない。高校の時には既に芽生えていそうだけど、中学生の時代も怪しい気がするし。


「…………えん」

「なんて言った?」


 同じベッドの上で抱き合っているのに聴き逃してしまうほど小さな声で口にした言葉は、聞き間違いでなければ中学どころではない、なんなら義務教育以前の…。


「だから、幼稚園の時!」

「……まじ?」

「マジだよ…。流石に引かれると思ってたから言いたくなかったのに……」


 幼稚園。つまり物心ついた時から私は千乃に愛されていた事になる。ということは既に20年近く千乃に片思いされてきたというわけだ。この事実に胸の辺りがムズムズして、より一層千乃を感じたいという衝動が産まれてしまう。


「3歳とかで初恋とかマセてるよね…。でも物心ついた時には自然と惹かれてたし…」

「ねぇ千乃。こっち向いて」

「な……んっ!?」


 これ以上は止めておこうってさっき決めたばかりなのに、色々と辛抱が効かなくなって、思わず千乃の唇を奪ってしまった。


「んっ…千乃。大好きだよ」

「ちょ…っと……まっ…ん…………」


 何度も何度も啄むようにキスの嵐を降らせて、それでも尚高まっていく己の内の衝動に身を任せて、これまでにない至近距離の千乃を見つめ続ける。


 ただ肌と肌とを接触させているだけのはずなのに、無性に心地好くて心がふわふわとしていく。


 ただ触れ合わせるだけでこんなに心が熱くなるというのなら、これ以上先に進んだらどうなってしまうのか。


 その答えを知ろうとして、先に進みかけたすんでのところで留まった。


「あれ、千乃?」


 つい先程まで身を固まらせてギュッと目を瞑っていた目の前の彼女さんは、今は身体の力が抜けてすやすやと安らかな寝息を立てていた。


「あちゃー、やり過ぎちゃったか。気絶しちゃったよ」


 私の腕の中で意識を手放す千乃は久しぶりだなーと呑気に思いながら、お預けとなってしまった答えを知る日を空想しながら私も眠ることにした。


「まぁいっか。おやすみ、千乃」




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