第31話

「ちょ、ちょーっと待ってね。結婚を前提に付き合う…?普通に結婚するんじゃなくて、まず交際からってこと?」

「…うん。そうだよ」


 思わず頷いてしまったけど、一旦落ち着いて考えるとおかしい。だって普通に付き合うとか、それじゃあまるで伊吹が私に恋愛感情を抱いているみたいじゃないか。


 親友としての重たい独占欲か、はたまた有能な家政婦を逃がさないための方便か。そんな理由で結婚を迫られているのだとばかり思い込んでいたけれど、目の前で真っ赤な顔を俯かせている親友を見ていると、全て私の勘違いだったんじゃないかって思えてくる。


「な、なんで?」

「なんでってそりゃあ、千乃も前に恋人を経てから結婚したいって言ってたし、私も千乃と恋人としてデートとか行きたいし…」


 もじもじと恥ずかしがりながら、消え入りそうな声で理由を話してくれる姿に嘘は無さそうで、より一層困惑してしまう。だってこんな姿見たことないのだ。


 花も恥じらう華の女子高生の時代の伊吹なんて、私の気も知らないで毎日ベトベトくっついてきて、特に酷い時期には平気な顔して裸同然の格好で私を抱き枕にしようとしていた頃だってあるのだ。そんな羞恥心なんて欠片も持っていないはずの伊吹が、あろうことかまるで初恋に直面している中学生女子みたいな反応するなんて。


「へ、へー。そうなんだ」

「うん。だからね、千乃が頷いてくれて嬉しい。大丈夫だとは思ってたんだけど、いざ告白するってなると緊張しちゃうね。本当はもっとカッコつけて言うはずだったのに」

「そ、そうなんだ」


 私が長年したくとも出来なかった告白をするってなったら緊張どころの話では済まなそうだけど、伊吹はそれをやってのけたのだ。それは素直にその度胸を褒め讃えたい。しかし、大丈夫だと思ってたってどういうことだ。告白さえすれば簡単に頷くチョロい女だとでも思われていたのだろうか。全くその通りではあるのだが、なんとなく納得いかない。


「えへへ。でも、これで千乃は私の彼女なんだね。…えい!」

「ちょっと!?」

「こうして抱きつくのも、恋人としてって考えるとちょっとドキドキしちゃうね」


 思ってたのと違う。片思い歴十数年の私は、当然の如く伊吹と付き合えた未来を妄想したことがある。時間だけは有り余ってたから、色々なパターンを脳裏に描いていたけれど、そのどれもがいつも通りの気だるげな伊吹だった。だと言うのに現実は。


「い、伊吹。ちょっとだけ離れてくれない?」

「なんでー?」

「そのー、ベッドの上で抱きつかれると色々とまずいと言うかなんというか」

「意味わかんないけど」


 今の伊吹は普段のダボッとした体のラインの分からない服じゃなくて、珍しくもしっかりとお洒落をしてきている。そんな状態の伊吹にベッドの上で密着されようものなら、内なる悪魔が「据え膳据え膳!」と囃し立ててきてしまう。


「ねっ、お願い。一旦離して?」

「むっ……やだ!」


 無理やり引き剥がそうとしても、昔の虚弱体質な伊吹は何処へやら。私なんぞでは絡みつく腕一本外すことさえ叶わなかった。


「なんで離れなきゃいけないの?もう千乃は私の彼女で、私は千乃の彼女なんだよ?人目もないんだし、いくらくっついててもいいじゃん」

「それは、そうなんだけどぉ…」


 幼馴染から彼女にジョブチェンジしたからこそ困るのだ。以前の関係ならこんなことされても、伊吹は幼馴染だからって自分に枷をかけられた。だけど今では目の前の相手は我が恋人。ふと魔が差して手を出しそうになる。


「そんな急に切り替えられないって。だからお願い。許して?」

「むむ…。そこまで言うなら許してあげよう」

「ありがと」


 私のあるかも分からない胸あたりで、唇を尖らせてむくれている伊吹を撫でてやれば、ようやく私の必死さが伝わったのか抱擁を解いてくれた。


「許してあげた代わりに、今日は一緒に寝よ?」

「えーっと…、それは同じ部屋でってことだよね……?」

「一室しか予約してないんだから同じ部屋で寝るのは当たり前じゃん。そうじゃなくて、同じベッドでってこと!」


 流石に分かってはいたけど、一縷の望みにかけた質問は無下にも切り捨てられた。だって少しの間抱きしめ合っただけで心配になるくらい心臓が働き出してしまったというのに、同じ布団の中で眠るとか到底耐えられるわけが無い。


「ねぇ、いいでしょ?」

「うぅ……分かったよ…」


 一度譲ってもらった手前、更に断るわけにもいかず受け入れてしまった。もうこれは寝る時の私に頑張ってもらうしかない。


「決まりね!それじゃあ私お風呂行ってくる!」

「はいはい。行ってらっしゃい」


 楽しげに部屋に備え付けられている浴室に向かっていく伊吹を見送って、大きく息を吐き出した。


「急に変わりすぎだよ……。あんな手を出してくださいって言わんばかりにくっつきおって……」


 据え膳食わぬは女の恥なのかは知らないが、付き合ってそうそう手を出すようなチャラい女になるつもりはないのだ。そもそも誰かに手を出したことがないのだけれど。


「千乃ー。悪いんだけど着替え取ってくれる?全部脱いじゃったー」

「バスローブならその辺にあるんじゃない?」

「あ!あったあった。ありがとー」

「はーい」


 安くないホテルだから大浴場だって勿論あるけど、私と伊吹はあまり使わないでいつも部屋に備え付けられているお風呂を使っている。理由は単純に伊吹の裸体を他人に見せたくないってのと、私が伊吹の裸を素面で見たら倒れる可能性があるからだ。


 部屋のお風呂を使うのは昔からの習慣だったから、今回も伊吹はそうしてくれて助かった。恋人になったからいいでしょーなんて言って大浴場に連れていかれたら、私の理性君がぷっちんしてRが18なことを大勢の前で繰り広げるところだった。




「あがったよー。次千乃もどうぞー」

「ありがとー……って、何その格好!?」


 一人の時間が作れて少しは落ち着けたと思ったのに、お風呂あがりの伊吹のせいで全てが台無しになった。


「何って、バスローブだよ?」

「バスローブを着るならちゃんと前閉めて!」

「えー。暑いからいいじゃん」

「よくないわ!」


 バスローブの腰紐をしっかりと絞めないで結んだせいで、ほぼ前側が開きかけているし、伊吹の決して小さくない二つの膨らみがかなり見えてしまっていた。


「もういい!お風呂行ってくる!」

「いてらー」


 直す気が無さそうな伊吹と問答している余裕すら吹き飛んで、私には浴室に逃げ込む以外の選択肢は無くなった。


「あー、もう……」


 こんなんで寝る時大丈夫なのかと不安に思いながら、さっと衣服を脱ぎ去って浴室の扉を開いた。


 特段理由は無いが、身体は念入りに洗った。他意はない。ないったらない。




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