第21話<伊吹side>

「顔色悪いけど大丈夫?」

「あー、うん。大丈夫大丈夫。でもなんか疲れちゃったから、私部屋で休んでるね。おふたりでごゆっくり……」


 真っ青な顔で自身の部屋にフラフラと歩いていく千乃の後ろ姿は、今まで見た事がないほど元気がなくて、とても心配になってしまう。


「ゆき……」

「ねぇいぶちゃん。あの人誰なの?」


 千乃のことを追いかけようとしたら、佳衣にまた抱きつかれて足を止められた。


「話したことあるでしょ。あの人は私の幼馴染の千乃。いつも親友ちゃんって言ってる子だよ」

「あー。例の」

「それより離してくれない」

「いやでーす」


 なんでここに佳衣がいるのかは知らないけど、正直佳衣に構っている暇はない。理由は分からないけど千乃が落ち込んでいるのだ。すぐにでも千乃の傍らで支えてあげたい。


「離して。千乃と話がしたいから」

「えー。別にあんな女の事なんてどうでもいいじゃん。そんなことよりさ、考えてくれた?」

「……は?」

「だいぶ時間経っちゃったけど、私いぶちゃんに告ったわけじゃん。それの返事聞きに来たんだけど」


 私の耳元で五月蝿く喋っているが、私の中での佳衣への親密度は地に落ちた。


 いつも明るくて優しくてどんな時だって気丈に振舞っていた千乃が、落ち込んで足元も覚束無いような状態で部屋に引きこもったんだ。それをそんなことで済ませた。私の大事な幼馴染を、私の大好きな人を、あんな女呼ばわりした…?


「いぶちゃんの返事聞かせて欲しいなー。あ、付き合うようになったら流石にあの女との同居は解除してね?自分の彼女がどこの馬の骨とも知らん女と同居してるとかありえないから。そもそも前から聞いてた親友ちゃんの話とかありえないと思ってたのよね。どうせいぶちゃんの収入が目当てで擦り寄って離れない寄生虫みたいなもんでしょ?その点私はいぶちゃんと同じくらい稼いでるから、どちらかに負担がかかる訳でもないし」


 未だに私にくっついてベラベラと無駄に喋り続けているが、もう煩わしくてしょうがない。千乃に耳元で話しかけられた時は腰砕けて立っていられないほどだったのに、佳衣……いや、音田相手だと全く響かない。やはり千乃は特別なんだ。


「黙って。それと早く離れて」

「ってかいぶちゃんも大変だよねー。あんな女にまとわりつかれて。子供の頃からだからもう10年以上なんでしょ?幼馴染だからって流石に限度があるでしょ。たまたま近所に生まれた分際でいぶちゃんの家にまで住み着いて。ほんと何様って感じー」


 いつまでも背後から私を抱きしめている音田は、私より背も高くて体格もいい。そのため、無理やり力で引き剥がすことは出来ない。だから私はその場で軽く飛び、空中で膝を折った。


「離れろって言ってんの…!」

「は…?」


 千乃からもっと太れって言われるくらいには体重が軽めな私だけど、それでも40kg以上の重さが音田の腕に一瞬でかかる。当然、意図しない負荷に音田の体勢は崩れ、私を抱えられなくなった音田は前方に倒れ始める。そのまま礼をするように、私が身体を前に倒してやれば、勢いのまま音田はソファに転がり落ちた。


「音田と付き合うとかありえないから。私の大好きな人を馬鹿にして…。音田なんて大っ嫌い」

「い、いまのなに?」


 ソファの上でひっくり返っている音田を見てると、先程千乃を馬鹿にされた鬱憤も少しだけ晴れる。


「なんでもいいでしょ。それより、早く出ていって。私の千乃に二度と近づかないで」


 音田を投げ飛ばしたのは、昔千乃と一緒に習った合気道だ。身体が弱い私の為に、千乃が練習がそこまで大変じゃないところを探してきてくれて、当時千乃は生徒会で忙しいはずだったのに私と一緒に放課後に道場に通ってくれていた。


 千乃曰く、『伊吹は可愛いんだから、護身術習ってて絶対損はないって!むしろ身を守る術がないといつか危ない目にあうから!』なんて私と私の両親を説得して、半ば無理やり私に身を守る術を教えてくれた。当時は私より千乃が護身術を習ってくれるならと私も両親も納得して、付き添いのつもりでやってたけどこうして活かされる日がくるとは。


「い、いぶちゃん。冗談だよね…?」

「私は千乃以外と付き合うつもりないから。早くこの家から出ていって」


 信じられないものを見るように音田が私に震える視線を合わせてくるけど、私は少しでも早くこの家から、私と千乃の家から音田に出て行って欲しくて、突き放すようにぴしゃりと言い放つ。


「そ、そんな…」

「なんの音?さっき凄い音したけど」


 もう無理やりにでも音田を追い出そうかと考えていたら、千乃が部屋から顔だけ出してこちらを覗いていた。


「なんでもないよ。それよりこの人帰るから。ほら、お邪魔しましたは?」

「いぶちゃん……嘘って言ってよ」

「早く帰ってよ。マネージャー呼ぼうか?」

「うっ……また来るから」

「二度と来ないで」


 ようやく帰る気になったらしい音田が玄関から出たのを確認してすぐ、扉の鍵とチェーンのロックをかけた。


「あの人お友達じゃないの?」


 背後から千乃の戸惑ったような声が掛かる。確かに以前までは音田はそこそこ仲の良い同業者だったけど、私の大事なものを貶すようなやつとはもうやっていけない。


 出会う度に抱きついてきて、何回言っても辞めてくれないから諦めて受け入れていたけど、千乃に対してあんなこと言うようなやつだって知っていたなら家の場所だって教えなかったのに。


「別にただの同業者だよ。それより、千乃は大丈夫?」


 もう音田とは関わり合いになりたくもない。後で事務所に共演NG出しておかないと。


 今はあんな奴のことより、千乃のことだ。なにに落ち込んで、悲しんでいたのか。それを理解出来なければ千乃の心に寄り添ってあげられない。


「大丈夫ってなにが?」

「なんか辛そうにしてたから。嫌なことあったのかなって」

「あー……。さっきのは私の問題っていうか、私の器が小さすぎただけというか」


 バツが悪そうに苦笑いで頬をかく姿には、先程までの鬱屈とした気配は感じない。


「千乃の器が小さいなんて、そんなことあるわけないじゃん」

「いやいや。伊吹は私を買いかぶりすぎだよ。私は人並み以上に嫉妬しいで、些細なこともすぐには受け入れられない小さな人間だよ」

「またそうやってすぐ卑下する。千乃の悪い癖だよ」

「でも本当のことだから」


 とても優しい心根で、誰にだって分け隔てなく接することができる千乃のどこが小さい人間だっていうんだ。そんなこと言ったら私は千乃が知らない人とご飯に行くだけで泣くほど嫉妬するヤバい奴だ。


「私はさ、どんな理由であれ千乃が辛い時とか悲しい時には寄り添っていたいの。だから何かあったら溜め込まないで話してよ。全部自分で決められるのは凄いことだけど、私にくらいは頼ってよ」

「……もう、伊吹はかっこいいなぁ」

「急になに」

「ううん。本当にもう全部吹っ切れたから大丈夫。ありがとね伊吹」


 昔から私ばかり千乃に助けられて、ずっと支えてもらって。今は幼い頃と違って元気になったから、少しだけでも千乃を助けてあげたいってそう思っていたのに、結局今回も特に何かをしてあげられたわけでもない。何も出来ない自分が情けない。


「それならいいけど…。私になにか出来ることがあったらするから、なんでも言ってね?」

「な、なんでも……?」

「うん」


 せめて千乃が願うことくらいは叶えてあげたい。自慢じゃないが私は結構お金持ちなのだ。OLだった千乃じゃ手が届かなかったブランド物だって買ってあげられる。


 これまで受けた恩や愛情をお金で返せるとは思えないけど、せめてなにかしたくてなんでもすると行ってみたら、鼻息荒くして顔を赤くした千乃が完成した。


「なんでも……なんでも…?」


 千乃が生唾を飲み込む音がこっちまで聞こえてきたけど、一体なにをお願いするつもりだろう。


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