第7話
布団の中は昔から私にとっての安全地帯だった。学校で嫌なことがあっても家に帰ってきて、真っ暗な部屋の中で布団に包まれば私と外の世界を遮断してくれる。布団の中にいる間だけは辛いことも苦しいことも悲しいこともなかった。
そんな私にとってのセーフゾーンは今終わりを迎えた。
「んみゅう…」
「ち、ちかい…」
真っ暗な部屋にはカーテンで遮られてしまい月明かりすら届かない。人の身でしかない私には、この闇の中1寸先すら見通すことは出来ない。だが、視覚の一切が閉じられたとしても分かってしまう。五感のひとつが封じられたせいで鋭敏になった触覚によって、私と全身で触れ合っている存在の姿形がはっきりと分かってしまうのだ。
小高い二つの山の谷間に顔を埋められれば、否が応でもその大きさが分かってしまう。
身動きが取れないほどガッチリとホールドされているからと、こちらから抱き返してみれば、私のものとは比べ物にならないほど綺麗に引き締まったくびれがそこにはある。無駄と思える脂肪は一切ないのにも関わらず、決してゴツゴツと硬いこともない。不思議な程理想的なスタイルだ。
「……ん」
寝ている癖にモゾモゾと身動きを取られるせいで、絡められた足が少し際どいところに移動する。互いに丈の短いルームウェアを着ているせいで、素足が密着してしまう。殆ど同じ食べ物を、私よりも沢山食べているくせに足の太さが明らかに違うのは神様に愛されているかどうかの違いなのだろうか。
「ちかい……むり、さすがにこれはむりっ…!」
伊吹の家に泊まったことは数え切れないほどある。伊吹が実家暮らしだった頃も含めれば、私は一人で寝ることよりも伊吹と一緒に寝ることが多かったと言えるくらいには多い。だが昔っから伊吹に惚れ込んでいた私は、幼い頃から同じベッドに入ることは頑なに拒んできた。だって我慢が効かなくなってしまうから。
それなのに、何故か私は今クイーンサイズの無駄にでかいベッドの上で、伊吹とくっついて横になっている。
伊吹に寝室に連れ込まれてから既に1時間は経っただろうか。惚れさせる宣言の後、伊吹が眠いと言い出して私をベッドに連行してきたのだ。キリッとした表情で私を口説いて来た時はかっこよかったのに、その直後に満腹と安心感で眠くなってしまったらしい彼女のマイペースさはいつも通りで逆に安心したものだ。
私も落ち着ける時間が欲しかったから、伊吹が眠いと言い出したのはちょうど良かった。いつもなら別々で寝ていたから、己の心の煩悩を払う良いタイミングだったのに、伊吹が「千乃成分が足りてないから、今日は一緒に寝る」だなんて言い出したのだ。千乃成分なんて意味のわからないものを摂取するために、伊吹は今私を抱き枕にしている。全くもって迷惑な話だ。
「千乃眠れないの?」
「あ、起こしちゃった…?」
抱きしめられたまま眠れるわけがないからと、モゾモゾ動いて脱出を図っていたら伊吹が目を覚ましてしまったらしい。
「なんか、寝る時に千乃がいるの不思議な感じ」
「なによそれ。あんたが連れ込んだんじゃない」
互いに目覚めたというのに、伊吹に私を解放する気は微塵もないらしい。先程までよりも強まった力で締め上げて、私のことは一切考えてないと言った感じだ。決して痛いわけじゃないけど、より一層強まった伊吹の香りに心が悲鳴をあげている。
「だって今までこうやって一緒に寝たこと無かったじゃん。いつも千乃が嫌がって」
幼い頃、怖い映画を見た時なんかに一緒に寝ることを誘われたことはあった。その時は同じ部屋では寝たけれど、寝床は別々だった。幼心であってもお化けなんかより伊吹を襲って自分が嫌われることの方が怖かったからだ。
「なんで一緒に寝るの嫌なの?」
「それは……」
もしここでお前に惚れていたからだと返したらどんな反応をするのだろう。私と結婚すると豪語する伊吹なら喜ぶだろうか。もしそうなったとしても、伊吹が喜ぶ理由は私と結ばれるということではなく、私という家政婦を手に入れられることに喜びを見つけているだけなのだ。私を合法的に捕まえておくのに最適だったのが結婚という手段なだけ。戸籍上は夫婦になるかもしれないけど、私が本当に欲しかったものはどうせ手に入らない。
「これからは一緒に寝ようよ」
「なんで?」
「なんか、千乃の体温感じてると落ち着く。千乃がどうしても嫌っていうなら諦めるけど、そうじゃないならこれからはずっとこうしてたい」
勘違いはよくない。これもどうせ冬場に湯たんぽを抱いて寝ると心地よいとかそういう意味だ。
「最近冷え込むもんね」
「ん?そうだね?」
私を惚れさせるんじゃなくて、伊吹が私に惚れればいいのに。私に結婚してくれと言わせるんじゃなくて、伊吹が私に心底惚れ込んで婚姻届を渡してくればサインするのに。
「ねぇ嫌?一緒に寝るの」
「……嫌では、ないけど」
「じゃあこれからは毎日一緒に寝ようね」
「毎日は無理。私が泊まりに来た時だけ」
「今はそれでいいや。おやすみ千乃」
伊吹が私に恋心を抱いていないのだけが不満だ。同じベッドの上で、恋人みたいに抱き合って寝ていて、それでもこの想いは一方通行で。
こんな女誑しのイケメン女に口説かれて私の情緒はボロボロだ。伊吹の心が手に入らないなんて分かりきっている。それでも、おやすみと囁かれて額に口付けを落とされたりしたら、誰だって期待したくなる。
期待して、高望みして、手に入れようと躍起になって。結局私の手には捕まることはなく、それなのに私の手の届きそうなところに居座っている。本当に伊吹は罪な女だ。恋愛は惚れた方が負けなのだから、もう十数年前から私の負けは決まっている。
「おやすみ」
目を瞑って深呼吸をする。寝て覚めたら奇跡がおきて、私が伊吹に抱く十分の一でいいから同じ感情を抱いてくれないかななんて、ありもしない妄想を抱いて眠りについた。
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