第5話
「あれ、なんで私の服ここに置いてあるの?」
伊吹が食事している間に軽くリビングの片付けでもしようかと立ち上がると、人が余裕で寝れそうなくらい大きなソファの上に何故か私のパジャマが放置されてあった。私が脱ぎっぱなしにしたままにしていたのだろうか。
「あー、それ私がさっきまで匂い嗅いでたから。そのまま置きっぱにしちゃってた」
「は、はぁ!?何言ってんの!?」
「え?千乃が来なくて寂しかったから千乃の匂いで気を紛らわせようと思って」
パジャマを拾いながら伊吹に話しかければ、呆気からんとした表情でとんでもない事を宣ってきた。
「なに急に…!伊吹ってそんなキャラじゃなかったでしょ……」
言ってしまえば失礼かもしれないが、伊吹は一匹狼的な性格だと思っていたから、私が数日来ないだけで寂しいなんて感じたりしないんだと一人悲しんだこともある。それなのに、1週間弱伊吹と会わなかっただけでこんな劇的な変化が見られるなんて。
「な、なによ。伊吹ってもしかして私のことす、好きだったりするわけ?」
伊吹が寝ている私の胸をこっそり揉んでいたことが最近明るみになった上、寂しさを紛らわせる為に私の残り香を嗅ぐなんて、まるで初恋を拗らせた中学生のようだ。だから、冗談めかしてツンデレキャラのような発言をしてしまった。
「うん?私は昔から千乃のこと好きだけど」
「ッ…!!」
伊吹は何を当たり前のことをとでも言いたげに、こてんと頭を倒して普通に返事をしてきた。
これはまさかそういうことでいいのだろうか。ほんの少しの会えなかった期間が互いの恋心を成長させた的な、もしくは私があまりに鈍感主人公然としていて伊吹からの好意に気がついていなかっただけのパターンかもしれない。
「だって千乃がいなかったら私まだ病気がちだったかもしれないし、今だって千乃がいないと生きていけそうもないもん。こんな出来た親友好きにならない方がおかしいでしょ」
鈍感主人公は伊吹の方でした。少し考えれば分かったはずだ。もう20年近く一緒にいるのだ。たった数日会わなかった程度で伊吹が私に恋心を抱いてくれるのなら、もっと何年も前にこの片思いは成就していただろう。
結婚だなんだと宣っていたから、うっかり勘違いしてしまったではないか。
「はぁ……」
「どしたの?」
「なんでもない。ちょっと自分の馬鹿さ加減に呆れてたとこ」
「千乃は馬鹿じゃないでしょ」
「はいはいありがと」
伊吹から結婚をせがまれたのも、どうせ私という家政婦がいなくなることを恐れてのことなのだ。数年前から日本でも同性間の結婚が法的に可能になったせいで、伊吹が私を引き止める手段として婚約を選んでしまった。法改正が行われた時は大歓喜した私だが、今では法以前の問題に躓いてしまっている。
「私もう帰る…。なんか疲れちゃった」
「え、駄目だよ。今日は泊まっていってもらわなきゃ」
肉体より精神が疲れ果ててしまった。落ち込んだ気持ちのまま帰ろうとすると、なぜか伊吹に引き止められる。
「明日仕事だから泊まらないよ。泊まるのはいつも翌日が休みの日だけでしょ」
「それは、そうだけどさ。今週は千乃と一緒に居られなかったし……。朝タクシー呼んであげるから、泊まってよ」
「うぐっ……」
私の服の裾を控えめに摘みながら、上目遣いで伊吹はそう言った。自分の可愛さを理解した上でさらにあざとく見せるにはどうしたらいいのか考え抜かれたような動きだ。本人にその気は無いのだろうけど。
「くっ………。はぁ…。分かった、泊まっていくよ」
「わーい」
結局のところ私は伊吹には弱いのだ。その上こんな可愛らしくお強請りされたら陥落しないわけがない。
「じゃあ私お風呂入ってくるー。千乃はゆっくりしてて」
「はいはい」
私が泊まると決めただけで随分嬉しそうにしている。今更私が伊吹のお家に泊まることに新鮮味などないはずなのに、なにがそんなに嬉しいのだろうか。
しかし想い人に一緒にいたいと請われ、それを受けたら大喜びされるなんて、片思いしてる側からしたらとんでもないご褒美だ。初恋を拗らせた私にとって存外悪くないと思えてしまう。
小躍りしたくなるくらいにはテンションが上がってしまい、それを発散する為にも家事に勤しむ。とりあえずは掃除でもしようか。一人暮らしの家とはいえ、複数人でも暮らせそうなくらい大きな家だ。その分掃除も手間がかかる。更に1週間近く放置されたであろうリビングは、隅の方に若干埃が溜まり始めていた。
「全く。少しは自分でやらせなきゃ駄目かしら」
なんだかんだ今の関係性から変わらずにいるが、伊吹の為にももう少し自立を促すべきだろう。昔の病弱だった頃ならいざ知らず。今の健康体な引きこもりの伊吹になら多少の家事くらいやらせてもいいかもしれない。そうして自分だけで生活ができるようになれば、私もお役御免だろう。伊吹から離れることになれば、私の10年来の初恋も終わりを迎えることが出来る。
以前から考えていたことを改めて自分の中で行動に移すと決めると、言い知れぬ淋しさに身を包まれる。
だがいつまでも私の都合で伊吹を駄目人間にしておいてはならない。伊吹が生活力皆無のままでいてくれたなら、私が傍に居続ける理由が出来るが、そんな自己中心的な考えの為に今後の伊吹の足を引っ張るような真似はできっこない。
「伊吹がお風呂出たら掃除のやり方から教えよう」
本格的に通い妻を卒業する為に、自身の頬を叩き、改めて覚悟を固めた。
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