第2話

「​───、​──────!」

「…んん?なんだろ」


 目が覚めたら何故か伊吹の匂いに包まれていた。落ち着いて辺りを見渡してみれば、そこは数える程しか入ったことがない伊吹の寝室だった。


「なんで私伊吹のベッドで寝てるんだろ」

「​──、​─、​─────!」


 困惑したままベッドから這い出ると隣の部屋から伊吹の話し声が聞こえてきた。会話の内容までは分からないが、時折私の名前を呼ぶ声がする気がする。


 朝ごはんの催促だろうか。時刻を見れば朝の6時半。伊吹にしては随分早い目覚めだが、昨晩は夜食を作ってあげなかったからお腹がすいて目が覚めたのだろう。


「なんで夜食作らなかったんだっけ…?」


 ふと疑問を口にしてから昨夜のことを思い出した。


 いい加減彼氏でも作ってやろうかと思って伊吹にその旨を伝えた時、突然伊吹に抱きしめられたのだった。


「​────ッ!!」


 思わず赤面した顔を手で覆って隠してしまう。この部屋には私以外誰もいないが、それでもあまりに刺激的だった記憶は私を羞恥の渦に沈めてくる。


 何を考えて伊吹はあんな事をしたのか。しばらく考えてみても答えは見つからない。


「考えるだけ無駄かな…。朝ごはん用意してあげよ……」


 伊吹は昔から天然気質の不思議ちゃんなのだ。たまに意味のわからない行動をしても、それは本人の気まぐれであって特に深い理由はなかったりする。今回のも伊吹の気まぐれだったのだろう。心臓に悪いからああいった事をする時は事前に言って欲しいものだ。事前に言われたら私だって気絶するようなヘマはしないのに。


「伊吹のばか……」


 私の気持ちを知らないとはいえ、あんなこと突然するようなタラシに成長していたなんて知らなかった。誰よりも近くで伊吹を見てきたはずなのに、私の知らない一面もあるらしい。


「なんもないや」


 伊吹に対する愚痴を零しながらキッチンに立つも、元々泊まる予定ではなかったせいで冷蔵庫の中身は作り置きのおかずしかない。しかし、作り置きしたものは伊吹の好みに合わせてガッツリ系のものばかりなので、食が細いうえ寝起きの私の喉は通ってくれそうもない。


「んー…オムライスとかなら作れそうかな?」


 米はある。卵もある。昨日の夜食用にと残しておいた食材も少ないながらもある。大食いの伊吹が満足するかは怪しいが、女性2人分の常識的な朝食の量にはなりそうだ。


 普段一人の時は朝食にしっかりしたものを食べないから、伊吹の家に泊まった時は健康的な食生活を送れているような気がする。


「あれ、千乃起きたんだ」

「お、おはよう伊吹」


 誰かとしていたっぽい通話は終わったのか、伊吹が自室から出てきた。親の顔より見慣れた伊吹の顔なのに昨夜のことを思い出してしまってなんとなく気恥しくて目を逸らしてしまう。


「朝ご飯はオムライスにしてみたよ。好きだったよね?」

「うん大好き」

「ッ!!」


 あくまでもオムライスに対する好きだというのに、ちょろすぎる私は都合よく脳内変換して幸せな気分になってしまう。


「それにしてもさ」

「うん?」

「千乃太った?」

「は?」


 伊吹の大好きを脳内で反芻していたら、私の想い人は可愛い顔してとんでもないことを言い出した。


「え、なに急に?誰が太ったって?誰が?」

「圧すご。昨日寝ちゃった千乃をベッドまで運ぼうと思ったんだけど、なんか重いし、お腹周りとかタプタプしてた気するし。若干胸も大きくなってたから太ったのかなぁって」

「は?太ってないし。忙しさにかまけて食生活疎かにしたせいで最近お腹周りが気になってきたとかないし。伊吹何言ってんの?」


 全く。どうしてこんなにデリカシーのない子に育ってしまったのか。まぁ確かに数年前に履いてたスカートは入らなくなったのもあるし、二の腕とかぷよぷよしてきたし、胸も……ん、胸?


「胸が大きくなったってなに?」

「え、気の所為だった?揉んだ感じ若干大きくなってた気がしたんだけど」

「も、ももも揉んだ?」

「うん」

「はぁぁあ!?」


 伊吹はなにを呆気からんと肯定しているんだ。生まれてこの方誰にも触らせたことの無い私の大胸筋をいつ揉んだと。


「千乃が寝てる時にたまに揉んでるよ?手のひらサイズで丁度いいんだもん」

「て、手のひら……。いつから…?いつからそんなことするようになっちゃったのよ…」


 こんな子に育てた覚えはない。伊吹の両親は忙しい人達だったから、ずっと私がお世話してきたのだし、実質私が伊吹を育てたのだ。なのに私の育て方が間違っていたのか、いい大人になったのに幼馴染を寝ている隙に襲うようなひとになってしまったなんて。


「初めて千乃のおっぱい触ったのは中一くらいだったかな?自分のが膨らんできて、不思議に思って千乃の触ったらぺったんこで笑った記憶がある」

「殴る?え、殴っていい?喧嘩売ってるよね?中一なら無くても当然だよね?」

「千乃のおっぱいがようやく膨らみ始めたのって高二の冬くらいじゃなかった?揉むと大きくなるとは言え、私の努力も虚しく今でも手のひらサイズ…。およよ」


 一昔前の下手くそな女優のように伊吹は嘘泣きして目元を拭う。


「いーぶーきー?誰が手のひらサイズですって?」

「千乃のおっぱい。手の小さい私だから手のひらサイズになれてるけど、男の人が触ったらないと勘違いされそうだね」


 確かに伊吹の言う通り、伊吹の小さな手なら私の慎ましやかな胸部も手のひらに丁度収まるサイズと言えるだろう。だが相手が普通の男性なら別。もし仮に触られたとしても、お相手が満足するような感触は提供できないことだろう。


「むむ?」


 伊吹も口にして私の悲しい現実を想像したのか、自身の胸を抑えて首を傾げている。そんな可愛い仕草したってもう私は許さないけどね。


「ふふふ。伊吹ちゃん、親しき仲にも礼儀ありって日本語、教えなかったかしら?」

「待って千乃。なんか胸がモヤモヤするというか、変な気分に」

「そんな言い訳は聞きたくなーい!人のコンプレックスを弄るようなやつには天罰をくだしてやる!覚悟ー!」


 一緒に過ごしてもう20年近く。伊吹の天然発言で喧嘩に発展というよりは、私が一方的に怒るだけの喧嘩が起きたことも何度もある。その度に私は伊吹の弱点を突いてきたのだ。


「な、なにするつもり」

「今晩の食卓には緑色のものしか並ばないと思いなさい。火も最低限しか通してあげない」

「そ、そんな!」


 私の逆鱗に触れた伊吹のその日の夕食は、ヴィーガンもビックリの野菜尽くしパーティーだった。もちろんお残しは許しません。

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