第16話

 なんだか少しだけ違和感を感じる。


 なにがと言われると明確に答えることはできないが、なんとなく伊吹の様子がおかしい気がする。


 いつも通りご飯はたらふく食べるし、ぐうたらしてるし、朝は起きてこないけど、少しだけ会話がぎこちない気がする。


 話しかければ普通に返事してくれるけど、目が合わないと言うかなんというか。


「ねえ伊吹」

「なーに?」

「なにか隠し事してる?」


 今更私達の間に無駄な遠慮はない。ラノベ小説のように、ここで相手の悩みを聞けずにすれ違うような関係性ではないのだ。


「なんの話?」

「隠し事よ隠し事。私に黙っていることあるんじゃない?」


 なにか間違って壊したか、そうでなければ私の買ってきたアイスを2つとも黙って食べたか。


「いやー、なにも隠してないよ?ほんとだよ?」

「怪しい…」

「本当になにもしてないから。まだ未遂だから」


 ジーッと見つめ続けると目を逸らされる。なにもやましいことがないのなら堂々としていられるはずなのに、伊吹は上気した顔を隠すようにソファから立ってキッチンの方に逃げてしまった。


「ぜーったい何か隠してるじゃん。別に怒ったりしないから話しなさいよ」


 お互いに嘘なんてつき慣れてないからか、誤魔化し方が分かりやすすぎる。あんなあからさまに何かやっちゃいましたみたいな態度取られたら、余計に気になるだろう。


「えぇ……。怒らない?」

「そう言ってるでしょ」

「うー……」


 飲み物片手に私の隣に戻ってきた伊吹は、唸りながら頭を揺らして何事かを葛藤している。そんなに言いづらいことなのだろうか。


「あのさ、昨日千乃帰ってきてからお酒飲んでたじゃん」

「知らないけど。記憶飛んでるってことはそうなのかな…?」


 昨夜の記憶が殆ど残っていなくて、伊吹に介抱されて寝かされていた現状を鑑みるに久々にお酒を飲んだのは確かなのだろう。伊吹の前で飲むと安心してしまうのか、記憶が無くなるまで飲むことが多いのだ。一体昨夜の私は何本のお酒を開けたのだろうか。


「え………また全部記憶飛んでんの?」

「うん。帰ってきたくらいまではなんとなく覚えてるけど、それ以降は全然。何かあった?」

「​………はぁ。千乃のばか」

「なに急に。酷くない?」


 確かに何も覚えてない状態になるまで飲むのは頭悪い行動かもしれないけど、最近社畜と化しているのだから少しくらい許してくれたっていいじゃないか。


「なんも覚えてない千乃が悪いんだもん。あんなこと言ったのに」

「え、私何言ったのよ」

「仕事辞めて私の専属のメイドになるって言ってた。期待してたのに裏切られた気分だよ」

「うそ、私そんなこと言ってたの!?……いくら仕事辞めたいからって幼馴染にそんなこと提案してたなんて…。暫くはお酒飲まないようにしよう………」


 酔った勢いでとんでもないことを言ってしまったらしい。仕事を辞めて伊吹の身の回りの事だけお世話して生きていきたいなんて妄想をした事はあるけど、流石にそれを口に出すのは駄目だろう。


「ごめん伊吹…。メイドになりたいなんて口にしたなんて……自分が恥ずかしい………」


 メイドになりたいという点よりも、好きな人のヒモになりたいと言ってしまったことに恥ずかしさを覚える。結婚した後なら伊吹の収入的に専業主婦になるのもありかもしれないが、恋人ですらない状態でそんな関係になるとかありえないだろう。


「そんな落ち込むこと?」

「当たり前じゃない。大事な幼馴染に寄生してニートになりたいって言ってるようなもんだし。自分がそんなこと口走ったなんて信じられないけど…。お酒って怖いのね」


 酔うと理性を失うのは聞いたことあったけど、それで現れるのは自分の本性のはずだ。つまり私の本性は、片思い相手でも構わず寄りかかって、楽をしたいと考えるニート気質の人間だということなのだ。今回ばかりは己に幻滅してしまう。


「そんなに気に病まないでよ」

「無理だよ…。だって自分がこんなやつだったなんて」

「気にすることないじゃん。全部嘘なんだから」

「気にするに決まってるじゃん!私は今まで伊吹を守りたいーとか、大切にしたいって思ってたはずなのに本心では…………嘘?」

「うん。千乃がメイドになりたいって言ったのは嘘だよ」

「は?」


 思わず口を開けてマヌケな顔で伊吹を眺めてしまう。


「あんたねぇ……」

「ちょ、怒らないって約束じゃん!」

「それは本当のことを話した時の約束よ!」


 適当なこと言って誤魔化そうとした伊吹には罰を与えなくては。


 隣で寛いでいた伊吹に後ろから覆いかぶさって、両手を腋に差し込む。


「嘘つきには擽りの刑だ!覚悟しろ!」

「待って、無理!無理だから!」


 私もそこそこ弱いけど、伊吹は私以上に擽りに弱い。腋だけでなく、足裏とか首筋とかの小さい子によく効きそうな場所の尽くを苦手としている。中でも伊吹が特に弱いのが。


「ふーっ」

「ひゃっ…!」


 耳に息をふきかけてみせれば、案の定いい声を聞かせてくれる。びくんと跳ねる身体を押さえつけて、今度は逆の耳だ。


「ふっ…伊吹は相変わらず耳弱いねぇ」

「耳元で喋らないでぇ……」

「だーめ。これは嘘ついて誤魔化そうとした伊吹への罰なんだから。もう少し我慢しなさい」

「分かった話す。ほんとのこと話すからぁ……もう離れて…」


 長めにゆっくり息を吐いたり、短く攻撃してみたり、耳元で囁いてみたりと様々な方法で虐めてやれば、呆気なく伊吹は降参した。


 しかしはいそうですかと引き下がっては面白くないので、ほんの少しだけ顔を離して、後ろからの抱擁は解除しないでみた。


「はぁ…はぁ………」


 少しだけ弄っただけなのに、息があがって少し涙目になっている伊吹が可愛すぎる。もっとやりたくなってしまうから、早く話の続きをしてほしい。


「それで。本当は何隠してたの?」

「隠してはないよ。ただ…」

「ただ?」

「千乃が酔った勢いで私の事世界一好きとか言うから、なんか千乃と話すの緊張しちゃって……」

「え、う、嘘よね?」

「本当だもん。可愛いとかいい匂いーとか言って抱きついてきた癖にその事本人は全部全部忘れてるし…」


 顔を真っ赤にしてそう口にする伊吹に嘘をついてる様子はなくて、その内容が真実だと理解した途端今度は私が赤面する番となった。


「そ、それで、私が変なこと言ったから伊吹は最近ぎこちなかったんだ」

「うん。だって普通に離してても、千乃は世界一私のこと好きなんだなって思ったら恥ずかしくって……」

「それは…ごめんね」


 抱きしめていた腕を解いて、そっと離れた。


 私はこの日決意した。深酒は辞めようと。飲むとしても適量を心がけようと。こんな恥ずかしい思いさせられるなんて、お酒は怖いものなんだと、この日私は理解した。


「ぐぅぅぅう…恥ずかしい……」


 熱くなった頬を抑えて天を仰いで唸っても、羞恥心は抜けやらない。酔った勢いでとんでもないこと暴露してたなんて。


「…………キスしようとしたのは未遂だし言わなくていいよね」

「もうお酒飲まない……絶対酔うまで飲まない…!」


 恥ずかしさに悶えて転げ回る私には、伊吹がボソッと洩らした独り言が聞こえることはなかった。

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