第24話<伊吹side>

 私は昔から自分の感情のコントロールが上手な子だった。


 同い年の子達より身体が弱くて寝込んでばかりの私を心配して、お父さんもお母さんも全然笑えなくなった。そんな両親の負担になりたくなくて悲しくても泣かないように、頑張って笑えるように過ごしていたら、自然と自分の心を抑えられるようになっていた。


 高熱が出た日だって、怪我をした時だって、私に懐いてた近所の猫が亡くなった時だって。


 そんな私も千乃の前でだけは取り繕えなくなった。元々千乃には何を隠していてもバレていたけど、一緒に暮らすようになってからより一層私は心の制御が下手くそになった。


 千乃が好きだ。


 そんな気持ちに気がついてから、千乃の一挙手一投足に心を乱される自分がいる。それ自体は嫌な事じゃなくて、むしろ幸せなものなのだけど、日に日に強くなっていくこの気持ちは少し持て余し気味だ。無事この想いが成就すればいいが、もしも千乃に告白を断られたりしたら、私はどうなってしまうのか。想像するだけで苦しくなる。


 この気持ちはしっかりと言葉にしなければ千乃には伝わらない。態度に表しただけでは鈍感な千乃には、ほんの1ミリだって私の感情は理解されていないだろう。もしも伝わっているのなら、多少なりとも意識してくれるはずだ。だが実際のところ、今の千乃は……。


「どこ行くの伊吹」

「ちょっとトイレに」

「やだ!もう外真っ暗だよ!1人にされたら困る!」

「家の中だし外は関係なくない…?」

「関係あるよ!お化けは夜に出るんだよ!?」


 千乃が配信を横で見ていたいと言ってくれた時は嬉しかった。千乃の後押しで始めたことだったし、リスナー達に千乃のこと紹介出来るかもしれないって思ったから。でも、配信内容にホラゲーを選んだのは失敗だった。千乃がホラー苦手なのは知ってたけど、横で見てるだけなら気にならないと思って普通にプレイしたら、大きな赤ちゃんが誕生してしまった。


 配信終了後部屋から出る時には私の気も知らないでベッタリとくっついてきて、私が御手洗いに行こうとすれば身体を擦り寄せて引き留めようとしてくる。ラフな部屋着を着ているせいで、体勢によっては普通に中身が見えてしまいそうで、正直気が気じゃない。


「すぐ戻ってくるから離してー」

「いやだ。絶対に離さないもん」

「もんって……じゃあ千乃がトイレ行きたくなったらどうするのさ」

「それは…………分かった…」


 逆の立場で想像してようやく分かってくれたらしい。怖がっているところを放置するのは申し訳ない気もするが、こちらもそろそろ下の方が危ないのだ。流石に解放してほしい。


「じゃあ行ってくるよ」

「待って、私も行くから」

「………はい?」


 離してくれたはずの手が再び伸びてきて、私の手を捕まえてしまった。


「トイレまでついてく」

「えぇ……仕方ないなぁ。耳塞いでよ?」

「うん」


 これ以上は譲歩してくれそうもないと察して、諦めて千乃を連れてトイレまで向かう。音を聞かれかねない位置に千乃がいるのは嫌すぎるけど、最悪耳を塞いでもらえているなら我慢するしかないだろう。


「…千乃さん?」

「なに?」

「いや、なにじゃなくて。もうトイレついたから離してくれない?」

「え、嫌だけど」


 トイレの扉を開いても一向に手を離してくれる気配がなくて、振り返ったらより一層掴まれてる腕に力が伝わってきた。


「そんな当然のように拒否られても。離してくれなかったら出来ないじゃん」

「目瞑るし耳も塞ぐよ?」

「そういう問題じゃないよね」

「でも暗い廊下に放置されたら困るんだけど」

「……電気つければ?」


 まさかトイレの中にまでついてくるつもりだなんて思いもしなかった。


「ねぇお願い伊吹。1人は怖いの。一緒にいさせてよ」

「うっ……」


 嫌なのに。いくら相手が好きな人で世界で一番信頼している千乃でも、流石にトイレの中では1人にさせて欲しいのに。薄暗い廊下で正面から抱きしめられながら、薄着の女の子が涙目で離れたくないと乞うてくる姿に首を横に振れなくなってしまった。


「くっ…………分かった。ちょっとついてきて」

「どこいくの?」


 もう千乃を一瞬でも私から剥がすのは諦めた。但しそのまま千乃を連れてトイレに入るのは私が羞恥心で軽く死ねるから、装備品を付けることにした。


「まずは猫耳ヘッドホンね。音楽ガンガンに鳴らすから外さないでね」

「わかった」


 リスナープレゼントで貰ったはいいものの、結局使えていない猫耳が着いたヘッドホンを千乃に装着させる。可愛い。


「あとはこれ。アイマスク。こっちは普通のだけどちゃんと付けてね」

「はーい」


 1人で暮らしてた頃、寝れない時に使っていたアイマスクも千乃につけさせる。1人だった時はちょくちょく寝付けないことがあったけど、今は千乃のお陰で規則正しい生活を送れているから、アイマスクを使うことはなくなった。


「つけたよー。これでいい?」

「あとは、これもつけて」

「なにこれ?」


 ヘッドホンで聴覚を塞いだ。アイマスクで視覚も取り除いた。しかしまだ嗅覚が残っている。


「防塵マスクだけど」

「なんでそんなの持ってんの…?」

「リスナープレゼント」

「余計意味がわからなくなったけど…」


 猫耳のヘッドホンをつけてアイマスクを隠すようにフルフェイスの防塵マスクをつけた幼馴染の姿は、流石の私でも人生で初めて見た。ちょっと面白いかも。


「これ何も見えないし何も聞こえない…。伊吹ちゃんとそこにいる?」

「はいはい。いるよー。じゃあ行くよー」


 音楽の音で聞こえていない千乃の手を引いてトイレまで連れていく。


 狭い室内で、片や下半身を露出して用を足す私と、片や猫耳ヘッドホンをつけたうえで見た目世紀末のガスマスクのようなものをつけた千乃。なにこれ。


「伊吹もう終わった?外していい?」

「ちょ、まだまだ!」


 何も聞こえていない千乃には当然声は届かない。ヘッドホンを外そうとして身動きを取る千乃を慌てて抑えて、自分の用をとっとと済ませた。


 ようやくトイレから2人で出て、ふと私は思った。目も見えず、耳も聞こえない状態の千乃なら、態々バカ正直にトイレに連れ込まなくても、外で待っていて貰うことも出来たのではないかと。


「もう終わった?終わったなら外してー」

「はぁ……。考えないことにしよ」


 一方的に辱めを受けた気がするけど、一旦気にしないことにした。この借りは千乃がホラゲの記憶が薄れた頃にやり返そう。そう決めて千乃のフル装備を外してあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る