第十二夜 葬儀屋の務め

「――は、ッ、―――ぅぁ、」


 ただ本能で感じた恐怖にうめく。喘鳴ぜいめい。間違いない。この女は、あっち側だ。


 海月かづき咄嗟とっさ未遥みはるの両脇を抱え持ち上げた。ビタビタと流血。身体の半分を失くしたそれは酷く軽い。女は見ないように、未遥を抱きかかえて走る。身にまとう衣服が、血液で不吉に濡れていく。置いて逃げることは出来なかった。そうしてはいけない気がした。


 無我夢中で走って、入り組んだ廃墟の方向感覚は掴めない。厚い壁の崩落の音。あの女の仕業か、【戦士】らしさのない膨大な圧をまとった死屍守が背後に迫る。幸か不幸か、死屍守は大型。故にできる限り闇の中を縫うように疾走。崩れた瓦礫がれきの間を抜けて、少し開けた空間に出た時。ふと肩に弱い力がかかって、心臓が跳ねた。


「……海、月」


 絞り出すような、震えた未遥の呼ぶ声にかえっていくらか冷静になった。


「――なんで生きてんの、お前」

「はあ?勝手に殺すなよ。……あとそこ持たないでくんね、痛い」


 海月は無意識に触れていた生ぬるい断裂部からそっと手をずらした。まだ死屍守は追ってきている。速度は落とさず、曲がり角に差し掛かったところで未遥が静かに言った。


「〝待て〟だ。海月」

「……はあっ!?──ッ」


 くん、と首に吊られるような感覚。意思に反して、海月の足は走るのをやめた。


「何やってんのバカ!死にたいの──」


 轟音とともに、呆気なく死屍守が追いついて。未だ動く気配のない足。既に、眼前に死屍守の無機質な殺意。青ざめる海月の耳元で、未遥が不敵に笑った。


「大丈夫。俺は死なねぇ」


 次に。突き放すように、未遥は海月の肩を押して飛び上がる。突然の、予想外な衝撃に海月の体幹はよろけて。不安定にぶれた視界で、未遥のが死屍守の恐らく胴にめり込んでいるのがはっきりと見えた。


 フェイントをもろに受け、死屍守の体勢が崩れる。呆気に取られる海月を差し置いて、未遥は軽々と倒された死屍守の上に。流れるように、彼の発砲が的確に核を穿うがつ。


 まるで返り血のように死屍守の体液を浴びて。崩壊を始めた死屍守の、その死塵しじんの中心。顔を引きらせたままの海月を見下ろし、未遥は笑顔でピースサインを向けた。


「俺の副作用だ。俺は夜、一時間だけ不死身になる」


 *


 積み上げられた古い段ボール。中で散乱していた入院着を漁り、比較的綺麗なものを未遥に投げ渡す。下半身丸出しの人間と真剣な話ができるほど、海月は大人じゃない。


「不死身って……死なないってことだよな?」

「そう言ってんじゃん」

「チートかよ」

「イレギュラー抜きで夜の一時間だけな。再生はしても怪我は治せないし、死屍守みてぇに痛覚ないわけじゃないし。対人だとすぐ攻略される。そんなでもない」


 葬儀屋の所謂いわゆる制服である黒シャツに、薄い色の入院着。あまりに不自然な未遥のよそおいに、二人緊張感を忘れげらげらと笑い合う。


 笑いの波が引き、ふっと真面目な空気に戻って。海月は浮かんだ疑問を投げる。


「お前が不死身になんのは分かったけど、それでどう死屍守殺したんだよ」

「武器に反映させんの。ちょームズいけど。──副作用は抗体をドールの体外に出す手段だってのは知ってるだろ?基本ドールの体内でしか正しく機能しないし作れない抗体を、体外で死屍守に作用させて殺す。そもそも、副作用の異能ってのは自覚症状が出てから、自分でそれを徐々に異能力として完成させるものなんだよ。上手く使いこなせれば、副作用の効果も派生できる。武器に反映させんのはりんさんに教わったんだ。俺の不死は、死屍守にとっちゃ毒だろ。わかった?」

「なるほどな。……確かに燈莉とうりさんもそんな事言ってたかも」


 死屍守はドールにしか殺せない。終戦からいくら経とうと、この哀れな死体が未だ現世に残る、それがその理由。ドールにしか作れず、使えない唯一の救い。過去の過ちにより、それらを宿す人々は数を減らして。ましてや、人の為と戦地におもむく人形など稀有けう。葬儀屋の人形たちも、皆が人への嫌悪を克服したわけではない。


 人形とされてしまった元英雄たちの呪いのごとく、死屍守は今日も人々の平穏を踏みにじる。


「──てかさ、あの人、まさか【女王】じゃないよな?報告にはなかったろ」

「……そのまさかだよ。多分、この建物もの一部なんだ。……スマホ、繋がるか?」


 そう問われて海月はスマートフォンの電源を入れた。液晶左上に表示された圏外の文字。外との連絡は取れない。覗き込んで、未遥は察したようにため息をついた。居心地の悪い静寂せいじゃくが降りる。鮮明な死の訪れに笑いさえこぼてしまうような。


「臨さん、だっけ。未遥、その人との駆除行ったことあるんだろ?何したの」

「……基本的に、は【王】二人倒せば崩壊する。後は【戦士】とかその残党の駆除。つっても、の駆除に行けんのは臨さんとか経験積んだ人と一緒の時か、もっと人手がある時だけだ。俺たちみたいなド新人二人、しかも副作用も使えねぇと、どうしようもない。お前はともかく、俺だってまだ葬儀屋ここ入って一ヶ月とかだ。死屍守に対する副作用の扱いとか、上手いわけじゃない」

「……助けが来る確率は?」

「気付いてない?時間、俺たちがここ来た時から進んでないだろ」


 絶句。再度スマートフォンを起動して、言う通り時刻は十九時過ぎを指している。ちょうど、廃病院に入った頃の時刻だ。未遥はいじけたようにため息をつく。


「【女王】のだ。時間操作とか、そんなのは珍しくもなんともない」

「……じゃ、詰み?」

「その通り」


 ふと、言いようのない嫌な気配に海月は思わず息を止めた。来る、と未遥が独りごち海月のそばへ寄る。


 神はいないと、二人はそう悟った。パラ、と天井から埃が降って。次に、鈍い衝撃。二人は目を見合わせる。


「……遺言、考えときゃよかったかな」

「僕、まだ言い残せるほど愛着ないよ、この人生」


 極限におちいるほど、人は冷静になるらしい。


 刹那せつな。ミシ、と一際大きく建物がきしんで。崩れる轟音とともに、天井から巨大な無数の手が。二人を探るように、やがて巨体が突き破る。巨体の傍、それを従えるように、先程の女性がたたずんで。海月は未遥を抱え跳躍ちょうやくした。元いた場所に亀裂きれつが入る。


「私の、子供。知りませんか」


 未遥と視界が交わる。覚悟は出来たと、無言の会話。


 なるようになれと。女性──改め、【女王】を見据えて二人の少年は凶暴に笑った。


「知るかよ、バーカ!!」


 伸びる死屍守の腕を交わし、余裕にこちらを睨む【女王】への接近を試みる。彼女を守るような死屍守の妨害ぼうがい


 互いを気にかけ合う必要は、二人にはなかった。お前なら心配ないと、放任的で乱暴な、しかし絶対的な確信を持った信頼。


【女王】に操られた死屍守の、その機械的な暴力を受け流す。コイツの核は。攻撃の大きな予備動作のその隙で、さらけ出された模作もさくの心臓をとらえて。背後、相棒の銃口が真っ直ぐにそこへ向いているのを察知。


 肉っぽい破裂音とともに、死屍守の核が飛散ひさん。甲高い、【女王】の悲鳴。


「──死んだの?」

「……わかんねぇ。手応え軽すぎる」


 途切れない緊張感。周囲を見渡して、ふと未遥の息を飲む音とともに海月の身体が突き飛ばされる。


「なっ──」


 仲間内故の微かな油断に漬け込み、思い切り海月を突き飛ばした未遥が、死屍守の赤黒い巨大な手に片足を捕らわれ逆さにぶら下がる。


「……チィッ、コイツ、かしこぉ」


 未遥が死屍守を睨みつけると、それは奇声をあげて彼の足を持つ手に力を込めた。


「お、ぁ……っ」


 未遥の短い悲鳴とともに、何かの砕ける音が鼓膜こまくを揺らした。死屍守は彼の身体を玩具がんぐのように放り投げ、未遥は勢いのまま壁に叩き付けられて。ゴッ、と鈍い音が嫌に耳に残り脳を揺るがす。続けざまに、次に海月を狙いを定めた殺気。怒涛どとうごとく己に降りかかるそれを後方にかわしながら、相棒の元へ。頭からの流血。悲惨ひさんな顔面を向けて未遥は笑う。


「生きてる?」

「お前がな。──ふざけんなよ。死なねぇからって僕のことかばいやがって。……大丈夫じゃ……ないよな」

「あぁ……んはは、死んだかと思った」

「つまんねぇから。変な冗談言うな」


 その時、後ろから不気味な気配が動いた。


『わ、ワタしの、ここ、こドも』

『か、かカ──さがシ、さガして、サガシテ』


 そう繰り返し、秘められた狂気が圧をかけて。よろけながらも立ち上がり、未遥は海月の名を呼ぶ。


「俺置いてけ」

「……なに」

「俺は置いてけ。お前だけで逃げろ」


 海月は嘲笑ちょうしょうした。あまりにも愚かな命令。


「やめとけよ、ヒーロー気取りは」

「……あのな、あんま調子乗んなよ。俺には副作用がある。時間稼ぎくらいしてやるから、分かったらとっととお前のその無駄に早い逃げ足で出口探してこい」

「調子乗ってんのどっち?だいたい、その効果後何分持つって?走れないなら担いでく」


 未遥は海月の胸ぐらを掴んだ。


「いい加減にしろ!共倒れになる気かよ!!アイツは【女王】だ!さっきので分かっただろ!?今の俺たちじゃ勝てない!!……いいか、ここは死屍守だけの葬儀場じゃない。人が死ぬ場所なんだよ。それが当たり前の〝戦場〟だ。人なんて簡単に死ぬんだよ!!」


 未遥がそう怒鳴って。海月は、ただ。


「…………しってるよ。そんなの」


 冷徹な、感情の乗らない低音。その圧に、未遥は微かに怯む。

 

 空気の読めない死屍守の追撃を回避し、海月は残骸ざんがいの陰に未遥を引き込んだ。


「もううんざりなんだ。目の前で死なれるのは」

「は、……」

「ミユちゃんが死んで、僕は泣けなかった。……お前が死のうが、僕はきっとまた泣けない。けど、もう捨てられるのは嫌だ」


 たどたどしく海月の名を呼ぶ未遥に、海月は微笑んだ。笑顔が上手く作れない。どろりとした黒い何かをまとわせた、人形のように冷め、引き攣った表情。わかった、とうつろに呟く。まだ不明瞭ふめいりょうな正義。ただ、己が今どうすべきなのかは。


「僕に、戦う力があればいいんだよな」


 その変わらない冷たさで女性をとらえて、未遥はやっと意図に気がついたようだった。


「――バカ、海月、やめろ」


 無視して歩みを進めた海月の、その見えない首輪を引く。


「よせって!ダメだ。お前は──」

「……案外優等生なんだね。生き残れる可能性より大事?そのプライド」

「プライドじゃない、ルール違反だっつってんの。大人しく逃げろってば。……俺はお前の『飼い主』なんだろ。俺の言うこと聞いとけよ」


 首に、無質量の重さが加わった。重圧な虚空に締められる。その冷たい鎖がくい込んで、じわじわと皮膚の内側で血が冷えた。挑発のように笑ってやると、未遥の顔が微かにこわばる。


「……ふはっ、なぁに、ビビってんの?」

「お前な……ッ」


 感じていたのは愉悦ゆえつだった。目の前の男の必死さに興奮して。


「僕のためだ。お前を見捨てるのも、これでヘマしてお前と一緒に死ぬのも、僕にとっちゃどっちも結局同じ死だ。選べるなら、僕は後悔したくないね」

「…………」


 笑みを浮かべた。心の底からあふれ出てくるような、快楽によく似た笑みを。


「ね、未遥。?」


 舌打ち。絞り出すように未遥は海月をめ上げた。


「……死んだら、殺してやる」

「じゃあ、生きてたらご褒美ね」


 縛りが緩んだ。与えられた自由。当たり前のように再生した死屍守と、それを飼い慣らす【女王】を視界にとらえて口の端をあげる。脳は正常に、それを食材だとは認識しない。だが確かに、じわじわとそこの切なさが存在を主張して。


 僕はドールだ。自らの死に気付けず、墓すら持たない死者たちの『墓守』だ。――もう、ただの迷い犬なんかじゃない。


【女王】は冷たい目で腕を振り下ろした。まるでそれを合図に、死屍守はその巨体に【女王】の身体を抱え込むように取り込む。守るように、まるで鎧。


 軽く腰を落とし、静かにそれを見据えた。葬儀屋として、記念すべき初仕事はルール違反のおまけ付き。悪い気はしなかった。理性を保つために低く、葬儀の開始を宣言。


「……来いよ、食ってやる」

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