第七夜 ドールの飼い犬

 カウンターの奥、三畳ほどの個室に秒針の音だけがささやかに響く。海月かづきの向かいに座るバーテンダーは目を伏せマグカップに口をつけた。


「――要らない?」


 バーテンダーは海月の前に置いたカップを見て呟く。思い出したようにカップを持つと、彼はいだ表情に微かな喜びを浮かべた。薄く湯気を立たせ、ほのかに甘い香りを漂わせるホットミルクが強ばった身体を解していく。このむずかゆい穏やかさに海月はたまらず口を開いた。


「ねえ、」

「ん?」

「話ってなに?」

「……ぼくは、まずは自己紹介からが礼儀だと思う」


 正論だ。だが少しムッとして。


不破ふわ海月」

「知ってるよ」

「………」


 なんだ、この人は。燈莉とうりと言い、変な奴しか居ないのか?類は友を呼ぶ、というのを具現ぐげんしすぎている。反応が気に入ったのか、彼は大きなアーモンドアイを細めて笑った。


「悪かったよ、そんな顔はするな。ぼくは大和やまと美弥乃みやの。ここのオーナーをしてる」

「……合法?」

「一応言っておくが、ぼくは海月よりずっと歳上だ」

「えぇ……」


 困惑。見た目だけを率直に言えば、小学生程の背丈に話さなければもはや女児ロリとしか認識できないその顔立ちと、短く三つ編みにしたミルクティー色の猫っ毛の愛らしさ。その言葉に信憑性は皆無かいむだった。美弥乃は心を見透かしてみせるように上目遣いで海月を見つめる。


「海月の言いたいことは分かってる。後でちゃんと答えてあげるから、まずはぼくの質問に答えてよ」

「……いいよ」

「良い子だね。じゃあ――燈莉の言ったことは、全て事実か?」


 嫌な汗が背中を伝った。頷くと美弥乃は困ったように眉をひそめる。


おきてについては?」

「知らない」

「ふむ……なるほど、ドールの知識は薄いみたいだね。今まではゲンガーとして生きてたってわけだ」

「うん。その方が楽だったんだ。戦いたくなんてなかったし、ドールってだけで嫌な顔する奴も居たから」

「……そうだね。まあゲンガーからすれば、ドールも死屍守も同じようなものだ。過去の影響でゲンガーの潜在意識に、ドールは危険だ、っていうのがあるから。仕方ない」


 君の番だ、とでも言うように美弥乃は腕を組み目を伏せた。胡座あぐらを組み直し、身を乗り出す。


「美弥乃さん女装癖?」

「──とんでもないな、お前」


 美弥乃は眼球が溢れ出そうな程大きく目を見開いた。理性的に落ち着いていた低音が上ずる反応の良さに少し楽しくなる。ふやけた空気感をリセットするように美弥乃はひとつ咳払いした。


「見た目のことを聞きたいのは分かるが、言葉選びには気をつけなさい。――これはぼくの副作用の代償だ。燈莉には縛りと言われたかもしれないけれど」

「……女装しないと使えないってこと?」

「このアホが――、……ぼくの話は一旦やめだ。お前、他に聞かなきゃならないこと山ほどあるはずでしょ」


 熟考。今の海月にとっては、堅苦しく難しい話よりも目の前の人間の方が興味の対象だった。ただ、さすがに言い出せないシリアスさに言葉を飲み込む。


「葬儀屋って燈莉さんに言われた。ここ、なんか関係あるの?」


 それだよ、と美弥乃は安堵の色を浮かべて頷いた。


「葬儀屋――『廻命亭かいめいてい』と言ってね。表向きでは民間の葬儀屋だけど、ぼくらの主な業務はその裏。死屍守の葬送そうそうだ」

「葬、送……」

「あぁ。あまり使いたくない表現だけど……殲滅せんめつ、と言った方が分かりやすい?――死屍守の数は戦時中より減っている。ただ厄介な残党が多くてね。死屍守は死体だから寿命もなければ、自死すらできない。死屍毒ししどくむしばまれて、同胞を守ろうと無作為に人を襲ってしまう。死に囚われてしまった彼らはぼくらドールが殺してあげる以外に救えないんだ」

「んー、殺しが救済――ってこと?なんつーか、漫画みたいだね」

「はは、いい感性だ。――けどね、まだドールをよく思ってない所謂いわゆる過激派のゲンガーがいるのが現実だ。ドールが死屍毒を作っただとか、感染を広げてるだとか。そんなデタラメで私人逮捕まで正当化しようとする始末。こんなんじゃあどころじゃないだろう?」


 私人逮捕。その単語にひっそりおののく。確かにドールへの偏見は知っていた。海月自身も無知な幼い頃に受けた視線に覚えがある。だが、まさかそこまでとは。絶句する海月に、美弥乃は眉をひそめて笑う。


「――だからね、ぼくは葬儀屋の総支配人に申請して、所属するドールが葬儀の際、導師として自由に動けるように軍を作ったんだ。それがここ、葬儀屋の、『墓守はかもり』だ」


 以上、と美弥乃が細く息をついて。彼は軽く身を乗り出して問う。


「それで……海月は何のためにここに来たの?わざわざゲンガーとして生きる平穏を蹴ってまでここにいるってことは、相当の理由があるんだろ」

「……姉さんを探しに」


 ピク、と美弥乃の片眉が動いたのを、海月は見逃さなかった。顎に手を当て、美弥乃はブツブツと呟く。


「――なるほどね。戦争で別れたの?」

「……あいつ、戦場に行ったんだ。正直、生きてるかも分からないし、顔も声も覚えてない。けど、理由を知らないまま死ねなかった」


 そうか。とだけ美弥乃は言って黙ってしまった。壁掛け時計の規則的な秒針の音が、不規則に己の心音と混ざり合って。酷く長い沈黙だった。耳がおかしくなったようにキンと鳴る。


「――確かに、生死は問わずともここならお姉さんを探せるだろう。だがその前に、海月にはおきてについて話さないとならない」


 おきてりんもそのような言葉を言っていたことを思い出した。嫌な緊張に筋肉が強ばる。


「葬儀屋にはいくつかおきてがある。その中でもひとつ破っちゃいけないのがあってね」


 ふと。ぱたた、と水分が机に落ちた音が聞こえた。続けて頭に血液が集中するような圧迫感。自覚した途端、身体が冷えていく。冷や汗ととも机に落ちた己の鼻血を唖然あぜんと見つめる海月を見て、ほう、と美弥乃は目を細めた。


「さすが、死屍守も食える身体だ。普通のじゃ効かないよね」

「なに、した、?」

「ちょっとね。大丈夫、死にはしないさ。……副作用はね、死屍守だけ特別に作用するものじゃない。ゲンガーにも、ドールにも、使い方によればその持ち主すら殺せる危険な力だ。始まりの話は知ってるか?ゲンガーとドールの関係に亀裂きれつが入ったのはその当時の暴走が原因なんだよ」


 美弥乃の目は氷刃ひょうじんのように、酷くしんとわっていた。ゆっくりと、過去を巡るような重厚さで、彼は口を開いた。


 *


 ――その昔、突如現れた病毒びょうどくにより、世界は一度死んだ。


 それを人々は『死屍毒ししどく』と呼んだ。根源をしずめた後もそれは広がり続け、多くの人体をむしばみ、死に至らしめた。実体のないそれに人類は為す術もなく、残酷な死神に怯えるばかりであった。


 ある日、その地獄に一筋の光が差した。死屍毒を克服する者が現れたのだ。死屍毒を無効化する奇跡の抗体を持った人間。その抗体は人体に感染した死屍毒を支配し、それを活性させ異能として使用することを可能にした。


 異能は抗体の副作用とされ、人は抗体を持った人間を神使しんしと呼びあがめ始めた。始まりの神使となった彼は抗体を使い、死屍毒に苦しむ多くの人々を救った。その後、彼を追うように抗体を宿した人間が続々と現れ、人類は死屍毒への完全なる克服を果たした。


 彼ら神使が英雄とあがめられ、抗体を持たない人間にゲンガーという名がついた頃、人はその二つの人種が共存する社会を築いた。神使はゲンガーを死屍毒から守り、ゲンガーは神使の生きやすい環境を与える。人類の平和は永遠を約束された。――筈だった。


 ある神使達が、集団で原因不明の暴走を起こした。理性をなくした彼らは副作用を用いてゲンガーを襲ったのだ。


 その場に居合わせていた別の神使達により、彼らは始末された。だが、神使という、神に認められた力を宿した強者が、本来守る対象である弱者を虐殺したこの事件は、ゲンガーが神使を敵と認識するのに十分な理由になった。


 この暴走を引き金に、他の神使達にも不信感を抱く者が増え、彼らは神使を奇病の感染者、人紛ひとまがいと差別し、遂には一人残らず拘束、抹消まっしょうするという思考に至ってしまった。まだ数の少なかった神使達はすぐに拘束され、男性は人体実験の対象に、女性は神使の増加を防ぐ為無条件に殺された。


 それを火種に神使とゲンガーは対立し、再び世界を地獄に塗り替えてしまった。その名残は今もなお、完全に消えることなく、人類は静かな争いを繰り返している。


 かつてあった、永遠の平和を求めて。


 *


 美弥乃は悲哀ひあいの表情を浮かべながら語った。


 ドールとは、元は差別用語である。今でこそ、その意識は薄れてきたものの、当時では存在すら許されずに無条件で拘束された。純潔じゅんけつな〝人間〟であるゲンガーに対し、貴様らは病気に汚染された感染者だと。崇拝の対象であったはずの神使は、汚い人紛いだとさげすまれて。


 人形ドール。人の形を模した


 盛られたものの作用か、視界がかすんだ。苦しい。意識を飛ばさない程度の計算されたような痛みが余計に。


「破ってはいけないおきて、それは副作用を用いた組織への裏切りだ。暴走もまたしかり。違反した場合、残された者が始末しなければならない」

「だから僕を、?」

「海月はまだ葬儀屋の人間じゃないだろ。お前はただの死屍守と同じ殺処分対象だ。……まあ結果は変わらないか。ただ、今回言ってる裏切り者は燈莉のことだ」

「っ、どういうこと。燈莉さんは――」

「暴走に加担することだって共犯だ。分かるだろ。掟を知っていながら違反を選んだ。これが裏切りじゃないってんなら他に何になるって?」


 ギリ、と欠けるほど噛み締めた歯が鳴った。美弥乃の言葉は正論でしかない。顔に伸びた美弥乃の小さな手にきつく目を閉じる。


「ねぇ海月、君に選択肢をあげるよ」


 その手に顔がもたげられ、苦しさに身をよじる。少女のような顔から発声される低音が背筋を撫でた。薄く開いた視界に優しい微笑みが映る。どこか、燈莉に似ていた。


「燈莉の共犯者としてここで生きるか、このまま死屍守として死んで全てなかったことにするか。どっちか選んで」

「……は、?」


 目の前の人間が何を言っているのか理解できなかった。構わず、美弥乃は淡々と続ける。


「海月は暴走の前科があるから、どっちにしろ処分を受けなきゃなんない。死時しにどきを選ばせてあげると言っているんだ。それに、悪いけど燈莉をここに置いてるのにはぼくの私情があってさ。ぼくは、あの子を裁けない」

「――僕に、燈莉さんを擁護ようごして欲しいんだ?」

「随分、語気が鋭角だね。まあどう解釈しても構わない」


 その言葉に、野性的な笑いで返す。未だ痺れの残る片腕で、それより何倍も細い手首を掴み引き剥がして。表情を崩さない冷静さで、美弥乃は海月を眺めていた。


「嫌だね。確かに燈莉さんには借りがある。けど、先に僕を拾ったのもそっちだろ」


 飼い主なき迷い犬を拾ったからには。海月は元飼い犬だ。人の顔色を見る力は、普通の人間のそれよりもけていて。


「美弥乃さん、僕のことも殺す気ないよね。本気でそのつもりならいつだってできたはずだもん」

「……共犯者を選ぶんだね?」

「あの人のことよく知ってるわけじゃないけど。燈莉さんはこっちのが好きだと思ってさ。――この副作用は使いこなしてみせる。だから僕のこと飼い慣らしてよ」


 その言葉に美弥乃はくつくつと笑った。


「合格だ、この猛犬め」

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