第六夜 異食の子
地面を蹴る音。海月は一気に死屍守との距離を詰め返した。対応しきれぬ間に海月の振り下ろした腕が死屍守に突き刺さる。骨が折られる音を鈍く響かせながら、海月は死屍守を喰らった。肉の再生は追いつかず、一方的になった
やがて海月の手が乱暴に死屍守の
「――は、はは、やっば」
燈莉は顔を引きつらせてそう笑った。普段の上品さを忘れた素の表情。だってこんなの、初めてだ。死屍守を食うなんて!やはり自分の予言に狂いはなかった。
崩壊していく死骸をぼうっと見つめる海月の名を呼び近寄って。ふと、異変に気が付いた。
燈莉を見つめ返す海月の目。元から光のないその目は
「…………もっと」
飲まれている。危険を察知した時にはもう遅かった。牙が目の前まで迫っている。
「……参ったな、暴力は嫌いなんだけど」
海月はその攻撃をものともせず接近した。片腕の、力任せの大雑把な重い暴力。それを
「仕方ないね。君をこうしたのは僕だ。責任は取ろう」
そこまで言って、燈莉は動きを止め海月の追撃を受け止めた。筋肉質故の圧に身体が後方へ倒される。大きく開かれた捕食者のそれを腕で防ぐも、海月の歯は容易くそこへ穴を開けた。ずる、と肉が剥ける音。人を接待する為美しく
「――っははは、そんなに僕が食べたいのか。せめて美味しいといいなあ!」
ギリ、と硬いものが擦れる音が聞こえた気がした。顔に降り注ぐ自身の血液とその痛みに燈莉は顔を
「困った犬だ。待ても出来ないのかい」
海月の視線を見つめかえして、やがてその首に鎖が巻きついた。垂れ下がったそれをリードのように思い切り引くと、一瞬遮断された空気に海月が小さく
隙に逃した腕で、燈莉はそのまま海月の頭を押さえた。その抵抗を、焦点の合わない
――帰っておいで
小さく
「──ふっ、あッはははっ!こんなに不味いなんて初めてだ!」
その身に
「……やっぱり、満腹になると寝るんだね」
彼と出会ったあの夜。彼は彼女を
少し考えて、燈莉はその場を離れた。
*
嫌な視線を感じて、海月は薄く目を開けた。
「……。ん……?――おあァっ!?」
覚醒した脳に捩じ込まれた口内の情報。次いで腹の妙な満腹感。その正体を思いつき激しく
そんな海月を見て燈莉は腹を抱えていた。ひいひいと笑い転げる燈莉を精一杯の怒りで睨む。
「笑いごどじゃない!」
「うん、ふふ、ごめんよ」
ほら、と開けて手渡されたペットボトルの水を受け取り胃に流し込む。勢いに負け溢れ出た水は顎を伝って服を濡らした。気管に流れ込んだそれに
「死屍守は……」
「君が食ってしまったよ」
「知ってるよそれは。で?これで死んだ?」
「ああ。任務完了だ」
「……これで、姉さんを探せんの?」
「なんだ、急に素直になったね」
「うるさァ。そう言って火ぃつけたの燈莉さんじゃん」
「まぁね。――じゃあ、僕と一緒に働く気になってくれたのかい」
どこか演技っぽく、それでいて嬉しそうに笑う燈莉に、海月は
「その話だけど。本当はなんの仕事してんの?」
「ホストだって本業さ」
「それは……見たらわかるよ。そうじゃなくて、僕をこうまでして勧誘する仕事」
「興味湧いた?」
「少しはね。教えてよ」
燈莉は薄く微笑み缶に残った炭酸飲料を
「葬儀屋だ」
*
ビルの一階、柔らかく落ち着いたライトが照らすレトロな看板。見つかりたくないとも言いたげな、人通りの少ない路地に身を潜める様は
不思議で上品な香りが空間に淡く漂い、程よく薄暗いアンティーク調の雰囲気に包まれる。耳馴染みのいいジャズ。先客は二人。海月は混乱していた。着いてこいと言われ連れてこられた小洒落たバーと何度
「――おかえり、燈莉」
カウンターの奥から渋い男性の声がかかった。しかしそこから顔を出したのは本来そこにはいるはずのない幼い子供が一人。カウンター席で二人の男女がまた燈莉を迎えた。
「遅いぞ、まーた問題児?」
「また?あの子はいい子の部類のはずだ」
「どうだか」
「ただいま。まぁ色々あってさ。ね、海月君」
燈莉は空けられていた二人の間に腰掛けながら海月に話を振った。タイミングよく子供のバーテンダーが慣れた手つきで燈莉の前に酒を出す。ロックグラスに注がれた
「海月と言うんだね。こっちにおいで。何がいい?」
「オーナー、彼は未成年だよ」
「おっと。ではホットミルクでも入れてあげよう」
酒がいい、とはとても言えない。女に横の席を
突然、視界が回った。理解が追いつかないまま
「話が違うぞ燈莉。なんだコイツは。なんでコイツから死屍守の気配がする?」
「やめとけ、
女の制止も聞かず低く吠えるような荒々しさで、彼女にりんと呼ばれた男は燈莉を睨んだ。燈莉は怯む様子も見せず、むしろ煽るように顎をしゃくる。
「言ったじゃないか。面白いことになるって。僕の予言は当たったってことさ」
「お前……」
「止めないか、埃が立つ」
淡々と。子供のバーテンダーはそう言って二人を
「臨の言い分は間違っていない。ただ客人に暴力はダメだな。彼から離れなさい。――で、燈莉。今の話をその腕の怪我の理由も含めて全て説明しろ」
見た目と調和しない支配力に海月は
「……――いや、嘘でしょ」
「事実だよ。海月君は死屍守を食い殺せる」
燈莉の流し目に、海月は肯定の意を示した。臨はため息とともに頭を押さえる。
「ありえない。コイツは自覚症状もまだだったんだろ。いくら抗体があるとは言え、そんな不安定な奴が死屍守を食って無事で済むはずがない。暴走したんなら尚更だ。コイツの副作用はただの暴力でしかなくなる。分かってるだろ?掟違反になるんだぞ」
「ああ分かってるさ。その上で、僕が僕の責任でやったことだ。彼が副作用を使いこなせるようにするためにね。そうでもしないと第二次性徴を終えた身体で自覚症状を出すのは困難だろ。彼が戻って来れなくなるのも、襲われるのも想定内だ。彼の勧誘の許可は貰った。そうだよね、オーナー?」
バーテンダーはふむ、と目を閉じた。考えの読めない機械的な美しさ。恐怖すら感じるその雰囲気に呑まれる。子供の口から発せられた低い男声に名を呼ばれる。
「少し来てくれるか。ぼくは君と話がしたい」
開かれた
*
静まった店内に、氷の溶ける音だけが落ちる。その沈黙を破るように、女――
「彼は知り合いか何か?お前があそこまでムキになるなんて珍しい」
「いや。五日くらい前?仕事帰りに行った任務で生き残った子だよ。蒼樹が治療してくれたんじゃないか」
「それは覚えてる。けど、赤の他人ってこと?いつからそんなに慈悲深い人間になったんだ」
「酷いな蒼樹。僕にだって情くらいあるさ」
二つのグラスで、氷が溶ける。程よく薄まったウイスキーを口に含み、燈莉は身体に染み込んでいく酔いの熱さに微笑する。
「心配しなくても、僕が間違っているのは僕が一番分かってるよ」
「じゃあなんでアイツを?」
「……悪いね。ただの私情だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます