第五夜 人形の産声

 咄嗟とっさに振り向いて、その光景に目が奪われる。


「あっはは、海月かづき君、ボロボロじゃないか!」


 躊躇ちゅうちょなく死屍守の臍部さいぶに食い込む高そうな革靴。プラチナブロンドの髪をたくみに整えて、きらびやかなスーツを完璧に着こなして。それに似合わない俊敏しゅんびんさ。洗練された無駄のない動きに死屍守が圧倒される。


燈莉とうりさん、その格好」

「言っただろ?僕はホストだよ」

「仕事中だったの?」

「おや、君、そんなこと気にできたのかい」


 死屍守は消耗している。突如現れた燈莉に理解が追いつかないようで、その不細工な顔を更にゆがめて海月を睨んでいる。


 一方で、燈莉は疲れを感じさせない余裕のたたずまいで笑う。銃口を向けるような冷酷さで指を向けると、あの鎖が強く死屍守を拘束した。顎を引き、死屍守を見据えたまま海月の名を呼ぶ。


「死屍守について、どこまで知ってるのかな」

「ん、……副作用で倒せるってことくらい?」


 ドールには、死屍毒への抗体がある。体内に入れば簡単に、確実に死に至るその病毒を、ドールはその抗体で活性化させ支配できるのだ。


 その抗体の主作用として死屍毒への順応と一つの突出した固有の身体機能があげられ、またその副作用としてあげられるのが、ゲンガーに異端視される所以たる、特異症状。


 海月の回答に燈莉は満足気に頷いた。


「ふむ、上出来だ。知っての通り、彼らは副作用でしか倒せない。まぁ、詳しいことはあとで教えてあげるけど。――良いニュースと悪いニュースがある。どっちが先がいい?」

「えぇ……良い方は?」

「僕らはドールだ。抗体がある」

「……悪い方は」

「僕の副作用は、とんでもなくあれと相性が悪い」

「え、……手こずるかもってこと?」

「いや?そもそも効かない」

「はあ!?」


 海月の反応に燈莉はケラケラと笑う。


「そんなことある!?効かないってどういうことだよ!?」

「そのまんまの意味さ。いいかい、抗体の副作用には必ず縛りが伴う。僕の場合だと対象を愛さなければならない、とかね」

「あい……?」

「うん。僕の副作用は、簡単に言えば僕が愛した対象を支配できるって効果だ。逆に、僕が愛せないとどうにもならない」

「……ピッタリの能力だね」

「ありがとう。でも、だから今回僕にできることはせいぜい、こうやって作戦タイムを設けることくらいだ。主作用は僕の場合脚力に作用しているし攻撃は可能だけど、主作用では死屍守は殺せない。分かるね」


 粘ついた唾液を飲み込む。、海月の予感は当たっていた。


「……あの死屍守、やっぱミユちゃんなの」

「気付いてた?……まあ気付くか。けど半分ってとこかな。側は違う。彼女は取り込まれたって方が正しい」

「……っ、じゃあどうすんの、?助けがくんの?」

「君だよ」


 すらりと綺麗に伸びた指がトン、と胸を突く。その視線の圧に、海月は一歩引いた。


「君が彼女を倒せ」

「……いや、無理でしょ。そもそも、僕副作用なんて」

「知ってるよ。だから僕が来たんじゃないか」


 ピシ、と鎖にヒビが入った。残された時間は少ないと、強制的な自覚に頬が引き攣る。


「僕は君を助けに来たよ。けど、あくまでこの助けは助言のことだ。君が悔いのない死を迎えられるようにする為のね」

「悔いのない、?」

「あぁ。お姉さんを探すんだろ」

「……あ」


 脳裏に、夢の中最後に見た姉の姿が浮かんだ。声はおろか、顔も曖昧あいまいなシルエットの。とっくに追い越してしまった彼女の身長。あの日抱えてくれた細い両腕は、今では当時よりも遥かに頼りなくなって。けれど。その姿のままで彼女は兵役した。あんなにも華奢きゃしゃな身体で、どんな思いで武器を持っていたのだろう。どうして戦場に出たのかすらも、自分は知らないで。


「ぼく、は、……っ」


 燈莉は海月をしっかり見つめていた。死屍守はうめき、鎖は耳障りな金属音を立てる。一つ、深く息を吸い込んで。


「……どうすりゃいいの。教えてよ、燈莉さん」

「もちろん。――君の好きなようにすればいい。彼女を見て、強く感じた衝動を行動に移すんだ」

「そんだけ?」

「やってごらん。君なら分かるはずだから」


 そっと死屍守を見据える。吸い込む空気は冷たく気道をなぞり、心臓の鼓動は早まって。そのと視線が交わって、不快な違和感に支配された。


「――副作用は自覚症状が出ることで初めて自由に使えるようになるんだ。基本的に異能って呼ばれているのは、その何らかの症状を異能力に昇華しょうかしている効果。ドールの体内でのみ作られる抗体を外に出す唯一の手段なんだよ。……普通、自覚症状は小さい頃に出るものだけど、稀にそれが出ないまま大人になることがある。まあ副作用はゲンガーとして生きるなら必要ないものだし、使えなくても困るものじゃあないけど」

「じゃあ……今から自覚症状ってのが出ればいいわけね。自力で出せるもんなの?」

「結局は自分で自覚するものだしね。順番が少し狂うだけさ。ただ、君みたいにある程度成長してから副作用を使えるようにしたい場合、ちょっとリスクがあってね」


 死屍守を拘束していた鎖が弾け飛ぶ。


「基本、自覚症状はいくつになっても出るものだ。何歳をすぎたら出なくなるってものじゃない。なんだけど。……歳を重ねるほど、重度のアレルギーを起こす可能性が高くなる」


 解放された死屍守は海月を狙って一直線に突進した。「避けて」と燈莉の短い指示に、咄嗟に身体を捻り前方に回避する。


「――ほう、やっぱ海月君動けるね。100点だよ」

「……まぁ、一応ドールだし。てか、重度のアレルギーって結構ヤバいやつ?」

「場合による。まあ死にはしないと思うし、万が一そうなっても、僕が何とかしたげるよ。で、どう?なんか分かった?」

「うーん。そう言われてもな……」


 その時、会話を遮るように海月の腹が空腹を訴えた。情けない飢餓きがの叫びのそれに海月は首を傾げる。だって。奇妙だったのだ。自分は恭介の金で満腹になるまで食事をしていた。普通より多い量を食べたはずだ。今腹が減るはずがない。加えて、少し前の、その食事の痕跡のない嘔吐物。確実に、自分の体内で何かが起こっている。困惑する海月とは反対に、しかしなぜだか燈莉は楽しげだった。


「なんだ、海月君。お腹減ったの」

「……いや、そんなわけないと思うけど」


 腹を軽くさする。気の所為せいではない。そこの切なさはくっきりと存在を主張するばかりだ。それに誘われるように目が死屍守を捉える。ドクンと内蔵が渦巻く感覚。


 込み上げてくるものに、咄嗟に身体を折り曲げた。また。制御不能の嘔気おうき。吐き出されるのは、少し黄色がかった体液の。喘鳴ぜいめい。喉奥に痛みを感じてもなお嘔気おうきは収まることなく増していく。


「……ほら、空っぽじゃないか。我慢は良くない」


 苦しいね、と背をさすられる。


「してな、っえぅ」


 ごぽ、と胃の中が掻き混ぜられる不快感。嘔気を伴う空腹。身体が食事を欲している。歪めた口から唾液が溢れ出て。たべたい。食べたくて、食べたくて仕方がない。


 ――他の何でもない、目の前の死肉が。


 強く食いしばった歯が唇に突き刺さり穴を開けた。その痛みに我に返る。何だ、今の思考は。飽きず攻撃を繰り返す死屍守に、燈莉は蹴りを入れて不気味に笑う。


「食べるといいよ。ただの生理現象だ、何も躊躇ためらうことじゃないでしょ」


 激しく動いても崩れない美しさの燈莉を、ぐちゃぐちゃになった醜さで海月は睨めあげた。


「ヤバいな、あんた……ひとを、ッ、食えっての」

「──ああ。言ったろ、衝動のままに動けって。心配しなくても、共食いなんて別に自然界で見れば普通のことだ」


 燈莉が目を細めて、海月を薄く睨んだ。ぞく、と不気味な寒気。


「や、嫌だ。食いたく、ない」


 海月は血走った目でそう唸る。いつの間に降り出した霧雨が涙のように頬を流れ落ちて。本能の訴えを、理性が必死に押さえつけた。


 小さくついたため息の後、燈莉は笑みを浮かべた。狂気とは縁遠い、聖母のような温かさのそれ。


「大丈夫だよ。空腹は罪じゃない」


 割れるような頭痛。内部で暴れるどうしようもない鈍痛に海月は蹲った。



 死屍守が、動かなくなった海月に襲いかかった。無慈悲な血飛沫。無抵抗をいいことに容赦なくなぶられて。痛みとすら認識できなくなるほどの負傷。対して、生きようと貪欲な意志が海月の闘志を滾らせた。


 しばらく見守った後で、燈莉は救出しようとした手を止めた。好き放題暴れ回っていた死屍守が、体勢を崩して。その身体から、色の悪い血液のような至極しごく色の液体が流れ出る。次に、ゴムの切れるような音と共に、腐った皮膚が食い剥がされた。


 絶叫。振るわれた異形の腕を軽やかに躱して。片腕の無いハンデを補うように、振り上げた海月の脚が腐敗し脆くなったその関節を破壊。


 暴れる脇腹に深く食い込む海月の犬歯。死屍守が逃れようと藻掻もがくほど深く、深く。


 覆いかぶさっていた巨体は自ら肉を削ぎ落とし飛び退いた。無造作に千切られた損傷部からボタボタと滴る腐った血液が地面へどす黒い染みをつくる。


 海月はくわえられぶら下がる死屍守の肉片を咀嚼そしゃくした。口の周りを黒っぽく汚して、なんの躊躇ためらいもなく嚥下えんげする。


 死屍守が損傷部を再生させた。ひとつの生命体のように波打つそこを見て、海月は獰猛どうもうに笑う。


「――食い放題じゃん」


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