第二章 葬儀屋たるもの

美弥乃からの合格宣言を受けた海月。姉を探すため、〝ドール〟として生きることを決めた海月だったが、彼にはまだ無数の課題があった。

第八夜 荼毘に付す

 人気のない廃ビル。かび臭い湿度の重さを吸い込んで、蛍光灯の切れた地下通路を闊歩かっぽする。


「うっえぇ、べたべたする……もお、最悪」


 『墓守』所属導師、世良せら唯葉ゆいはは湿気にうねったミントブルーの毛先を不満そうにいじった。細く美麗びれいに整えられた細い眉を下げ、オッドアイの大きな猫目を伏せる。その長い睫毛は得意気にカールし、的確なケアが施された薄いピンクの唇は自信に満ちて。程よい高さの甘い声は鬱々うつうつとする空間に酷く浮いた。なお、その姓、男。


「ほんと、何が楽しくてこんな陰鬱いんうつな場所群がるかな。とっとと終わらせて、アイスでも食いましょ」


 眠気をはらんだ気だるさで、三毛門みけかど真実まさねはうーんと伸びをした。程よく筋肉がついたしなやかな体躯たいく。猫背に丸まった程度ではその繊細な優美さを隠しきれない。


 彼の発する心地よい気だるげに海月かづきはひとつ欠伸あくびをした。


 合格宣言の後、美弥乃のめい急遽きゅうきょ派遣された初仕事。本来二人だけで事足りる任務だからと、特に何をする訳でもない見学。過剰防衛程度の動きはできるだろうと身体ひとつで投げ出された戦場。


 確かに体格は、良いか悪いかで言えば最高だ。だが。副作用も禁止され、護身具のひとつもないこの現実は少し心許こころもとない。だって、片腕の欠損けっそんした身体だ。せめて何か武器は欲しい。


 ふと、前方に激しい破壊の跡。


「……襲われた跡だ。かわいそうに」


 冷酷に、真実はそう吐き捨てる。自業自得だとでも言うような、氷刃ひょうじんのごとく冷ややかに。自業自得。その通りだった。死屍守。死屍毒に感染した人間の死体の、その名称。ゾンビとも言い切れぬ、実体を持った言わば誰にでも見える幽霊。故に。ゲンガーの若者の間で流行ってしまった愚か者どもの肝試し。


 平生へいぜい、ドールの人権の剥奪はくだつかかげ、死屍毒はドールが作り出したなどと妄言を騒ぐ過激派も、彼らゲンガーの命に危険が迫ればドールの力に助けをうて。葬儀屋へ寄せられる大量の出動要請が、その証拠。なるほど、どこまでもらしい矛盾を抱えた滑稽こっけいな生き物だ。


 海月の視界に、折れた鉄パイプが映る。そこそこの重量感のあるそれを軽々と持ち上げて。


「見てぇ、いい感じの棒はっけーん」

「いい感じのハードルたけー」


 真実は年相応に、あるいはそれより幼く目を輝かせて笑った。緊張感の欠片もなくたわむれ始めた男児二人を、唯葉はため息混じりに見守る。傍に転がっていた鈍器のような鉄の塊を見せびらかすように構え、海月は唯葉を振り向いた。


「どーよ、世良せらちゃん。こっちのがいい感じ?」

「それ、棒じゃなくない?」

「あ、欲しい?」

「いらないけど」


 *


 閉鎖されたトラロープの奥。ほの暗い地下駐車場のうつろな広さにうごめく死体の影。じっとり冷えたコンクリート製の巣窟そうくつに、死者の声が渦巻いた。


「うっわ、あれ全部?」

「【戦士】の群れだね。大丈夫です、全員雑魚だ」


 顔をしかめた海月に、そのマスクの下で真実は笑う。老朽化した、ひび割れた壁に囲われた葬儀場へ足を踏み入れて。自らの死に気付かない愚かな死人どもの視線を浴びる。唯葉が楽しそうな声を上げた。


不破ふわくん、お腹空く?」

「勘弁してよ。好きなわけじゃないって」

「ゆーい。――葬儀はおれがします。海月くんはサポート、ゆいは【王】が居ないか確認して」


 了解の意味を持った、真面目を装った返事が重なって。まるでそれを引き金に死屍守が襲い来る。死者の行進。海月の反応より早く、散らされた蜘蛛の子のような、その稚拙ちせつな隊列に真実が独行した。片側、その長い前髪の視界の悪さを感じさせない身軽さ。喜楽を強めた声色で、葬儀の開始が宣言される。


「我慢してよね……ちょっと熱いよ」


 へ連れ込もうとでもするように、真実に群がった死屍守が炎上。焦げた不快な腐乱臭が立ち込め、その死体の、崩壊。偉そうに、の死をなげく様。傲慢ごうまんに「可哀想」を欲しがって、助けをいながら焼けちる。


「――ははっ、すげぇ、派手な火葬」

「豪華でしょ?火傷やけどしないでくださいね、海月くん」


 赤々とした炎が湿った空気を焼き払って。火葬炉と化した巣窟そうくつは、その主役が逃げ惑う賑やかさだ。すがり付くように襲い寄った死屍守の頭部を、海月は片手に握った鉄パイプで打つ。腐った頭部の再生も間に合わず、真実の炎により核が焼けて。逃がしてはいけない。それは見捨てるのと同義だ。葬儀への、死者への冒涜ぼうとくとなる。死んでもなお死に縛られたへの。


 やがて。


 火が、消えた。荼毘だびに付した死人どもの、その遺骨のひとつも残らないコンクリート製のの中心で、真実は手を合わせた。とむらってくれる身内も、自分の死すら忘れ失った哀れな死体へ。与えられる最大限の敬意を込めて。それにならい、海月も目を伏せる。


「――シン、不破くん、おつかれさま」


 そうひょこりと顔を出し、暑い暑いと項垂うなだれる唯葉に真実は微笑んだ。


「おつかれ。どうだった?【王】はいなそう?」

「うん。もないし、本当にただの集団感染だね。全く、肝試しとか馬鹿なことするからだよ」


 そう鼻を鳴らした唯葉に首を傾げる。


「さっきから気になってたんだけどさ、その【王】とか【戦士】とか、どういう意味?」


 海月の問いに、知らなかったの?と真実は問い返して。


「簡単に言うと、死屍守のランクのこと。死屍守は大きく分けて二種類いてね。今おれたちが倒したのは【戦士】。ゲンガーが死屍毒に感染した場合の死屍守のことです。宿主ってだけで、おれたちからすればまあ雑魚だ。そして――問題が【王】。ドールが死んで乗っ取られるか、暴走によって化ける死屍守のことです。奴らはおれたちが持ってる副作用みたいな異能持ちで、を作れる完全人型の個体」

「……す?」

「【王】と【戦士】で構成される家庭みたいなもんだよ。死屍守、って呼ばれる所以ゆえんでもあるっぽい。死屍守同士がお互いを守る為に作る家。最深部は死屍毒の発生源になってて、落ちたらゲンガーはおろか、ドールも無事に帰ってこれないってさ」


 唯葉の説明に頬が引きる。追い討ちをかけるように、真実が低い声で補足した。まるで忠告のような、その眼差しの鋭い真剣さ。


には色んな形状があるんだけど、ひとつのには【王】が二体いることが絶対条件なんです。おれたち葬儀屋の任務は死屍守の殲滅せんめつ。これはの破壊も含まれる。……海月くん、もしこれから先の任務で単独、もしくはバディと少数で行動する時、事前情報も何もなしに【女王】と【王】の巣に当たった場合は、そこでは何もせず逃げるんだよ」

「【女王】?【王】と何か違うの?」


 聞いたままでは雄か雌かの違いしか見い出せない。能天気な返しに、強められた語気で返される。


「基本的には【王】と変わらない。せいぜい女型ってとこだよ。、同性同士のものとは決定的な違いがある。分かる?」


 静かに思考する。雌雄だからこそ、その間にできる事象は。


 ひとつピンと来て、まさかと確かめるようにおずおずと口を開いた。


「……………子供?」

「その通り」


 言ったあとで、その想像した気色悪さに嘔吐えずく。


「――【王】クラスの死屍守には、生殖機能が残ってるんだ。まあ所詮しょせん、ほとんど死体だからけっこー都市伝説めいてるけど。実際そのの報告だと想定以上の死屍守が居たことあったみたいだし、そもそも残ってない【戦士】にも、繁殖しようとする意思はあるからね。もしそこへ落ちて襲われでもしたら、きっと死ぬより地獄です」


 いいね?と念を押すように。海月はただ首を縦に振ることしか出来なかった。その反応に満足したように、真実はパッと笑う。


「まあ、そもそも女性のドールすら少ないから、滅多にないんだけどね。……帰ろうか。あんまり遅いとオーナーが心配します」

「ちょっと真実君、あんまビビらせないでよ」

「アイス〜」


 *


「──当主様、『墓守』の新人ですが」


 きっちりとスーツを着込んだ男は、ひとり重厚な机につく人物にそう告げる。当主と呼ばれた彼──逸世はやせは視線を動かすことなく答えた。


「もう手続きは済んでいます。明日にでも、燈莉とうりと一緒に私の元へ連れてくるよう、美弥乃みやのへ連絡してください」


 は、と男は深く頭を下げてから部屋を出て行って。またすぐに、外から二回ノック。


「──いいよ、お入り」


 言葉を合図に、再び扉が開かれる。


「……お疲れ様です、当主」


 入ってきた男は、来客用の広いローテーブルへ小さな盆を置く。まだ湯気の立つ二つの湯呑みと微量の茶菓子が盛られていた。


「ありがとう。後でいただくよ」


 微かに、彼がムッとする気配。


「いえ。茶が冷めます。それに、また寝てないでしょう。休息を取るのも、俺は立派な公務だと思いますよ、


 絶妙に崩れた口調でそう呼ばれ、逸世は冷たく笑った。八重桜やえざくら逸世。ゲンガーの血筋を継ぎながら葬儀屋を運営する八重桜家の現当主であり、その葬儀屋、『廻命亭かいめいてい』の総支配人。


 大人しく机を離れ、来客用のソファへ沈む。淡い緑茶と和菓子の香が鼻を掠めた。


 身に染み付いた上品な動作で湯呑みの茶を呷って。向かいへ、どっかりと無遠慮に腰掛けた男──穂村ほむら志織しおりは長く持て余した脚を組み湯呑みを掴む。


「睡眠薬でも混ぜてやろうと思ったんだぜ」

「睡眠は取ってるさ」

「俺からすれば、仮眠は睡眠とは言えないね」


 茶菓子の封を切り、志織は真剣な目で逸世を覗き込む。


「──で?決まったのか、裏切り者の処分は」


 その問いに、逸世は薄く笑む。


「ああ。副作用の暴走とそれを後押しした掟違反。これは重罪だ。よって――『墓守』所属の不破海月、乙帳おとばり燈莉。この双方を死刑にする」

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