第九夜 逮夜 ①

 葬儀屋、その自衛隊『墓守はかもり』。その拠点であるバー『おりぃぶ』。一見ただのすたれた〝隠れ家〟コンセプトのバーだが、そこが拠点とされるのにはもちろん理由があった。


 任務を終えた導師三名が帰還を告げれば、子どもの姿のバーテンダーが穏やかに迎えて。簡単な報告の後で美弥乃みやのに連れられた、バーのその裏の顔。


海月かづき、ルームシェアに抵抗は?」

「ないけど。なんで?」

「お前はもううちの子だからね。お前にも部屋をやらないとだ」


 バーの端に位置する少し年季の入ったエレベーター。その空白の行き先ボタンを押した先にはあった。アンティーク調のバーの雰囲気とはかけ離れた鉄扉。素朴そぼくに落ち着いた〝隠れ家〟の玄関。


「……いえ?どこ、ここ」

「ああ、地下だよ。ここはぼくの副作用が作用していて、ぼくが許した人間しか入れないし、出られない。この〝家〟はぼくら『墓守』の拠点だ」

「……なんつーか、何でもありだね、副作用」

「まあ。言ってしまえば結局は異能力だしな」


 ここだ、と通された部屋には飽和ほうわした人の気配が染み付いていた。干されたままの洗濯物に整頓された上でなお使った痕跡が残るパイプベッド。感じるはずのない妙な懐かしさに喉が詰まる。


「今日から使え。同居人には話は通してある。お前と同い年だよ」

「男?」

「ああ、残念だったな。その子は今、りんと任務に出てる。明日には帰ってくるはずだから、仲良くな」

「りんって……僕のことめた人?」

「そうだな。さ、行くぞ。お前もやる事が山ほどあるからな」


 どこに、という問いに答えは返らなかった。


 *


廻命亭かいめいてい』――。人の輪廻りんねたっとぶ葬儀屋。その裏の顔、ドールの戦力を兵器とし、統率する対死屍戦闘監督機関。白と黒を基調としたシンプルな外装は鯨幕くじらまく彷彿ほうふつとさせながらどこかいびつな華やかさをはらんでいる。


 キン、と寒いほど冷房の効いた室内。出迎えたのは黒の礼服に身体を詰め込んだ屈強な男二人。彼らは美弥乃に頭を下げると海月の両脇に立った。海月の無言の疑問を美弥乃は知らないフリをして。ただ海月は視線で何かを訴えられているのをみ取った。何か、までは分からない。そもそも目配せで会話できるような、そんな信頼関係もまだ築けていない。雰囲気的に、「いらんことすんなよ」程度の圧は感じる。


 男二人と並べば背丈はそこまで大差ないが言いようのない圧があった。囚人のように誘導された先、海月は思わず声を上げた。


燈莉とうりさん?」

「――やぁ海月君、遅かったじゃないか」


 おごそかな雰囲気を漂わせる部屋。その中で燈莉は相も変わらず緊張感のない明るさで笑っていた。ただし。その両腕にかけられた手錠に、背筋にきしむような嫌な感覚が走る。「いらんことすんな」。あながち間違っていないのかもしれない。


「お待ちしておりました、不破ふわ君」


 そう声がかかって目を向ける。また飽きず高級感の溢れる岩のような机。そこからこちらを見据える目つきが悪めの切れ長の目。


「……だれ?」

八重やえ様。ゲンガーの純血の家系……ドールの産まれない血筋の家だ。あの方はその八重桜家の当主様。〝葬儀屋〟については美弥乃さんから聞いたろ?葬儀屋の総支配人だよ」


 低くなった小声で話し合うのを、彼は微笑んで見守っていた。


「初めまして。私は八重桜やえざくら家現当主、八重桜逸世はやせと申します。燈莉が言ったように、葬儀屋『廻命亭』の総支配人をしています」

「不破海月……です」

「えぇ、知ってます。では不破君、なぜここへ呼ばれたか分かりますか」

「…………お叱り?」

「――まあ、ニュアンスは合っていますね。本日呼んだのは貴方の抗体、並びに燈莉の裏切りの処分についてです」


 ちら、と燈莉を見て、彼は真っ直ぐに逸世を見ていた。その顔に不安は無く、自信に満ち溢れていて。顎は引けている。見栄を張っている訳ではない、心の底から湧き出るような自信だ。逸世は静かに、さとすように言った。


「美弥乃からも聞いていると思いますが、貴方たちのやったことは『墓守』だけでなく、葬儀屋全体に関わる違反行為です」

「だからお怒り?」

「――そうですね。簡潔に言いましょう。貴方たちに死刑の判決が出ています」

「判決?裁判なんていつ――」

「そのことですが」


 海月の次の言葉を遮るように、美弥乃が声を張った。低くともよく通る大人びた声だ。


「当主殿。私は今日、その交渉に参りました」

「……なんです?」


 逸世と、海月らの間に入るように。美弥乃は演説のように手を広げる。


「おっしゃる通り、二人のやった行為はまごうことなき裏切り行為です。ゲンガーにまで被害が及ぶ可能性があり、我々のかかげ築き上げた共生をも傷つけかねない無責任な行動だ。……それを理解した上で、私は彼らを生かしたい」

「……何を言い出すかと思ったら。ついに脳まで劣化を始めましたか?美弥乃」


 逸世の声は平坦ながら微かな呆れを帯びていた。美弥乃は顎を引き不敵に笑む。燈莉と同じ顔だ、と海月はぼんやり眺めた。


「十年です。もう十年の付き合いだ。私は燈莉を信用している」

「信用しているから、燈莉が裏切るわけが無い、燈莉を見逃せ、と言うのですか」

「いいえ。燈莉がなんの意味もなく海月を拾うわけがないと言っているのです」


 ビリ、と緊張が走った。耳がおかしくなったように錯覚する沈黙。それを破ったのは燈莉だった。


「当主様、私に発言権をいただけますか」

「――どうぞ」


 ニヤ、と、口の端だけをあげた獰猛どうもうな笑み。


「⋯⋯海月君を拾った一番の理由は私情です。ですが、彼の副作用は使い方次第でゲンガーとの共生を叶えられると感じています」

「ほう?──なぜ、そう言い切れるのです」

「死屍守は本来ドールの体内でしか作用できない抗体を副作用により体外へ放出することで崩壊、殺すことが出来ます。その際、稀に崩壊が遅れ、乗っ取りによる面倒な死にぞこないが出てきますね。ですが海月君がこの抗体を完璧に支配出来れば、死屍守を食べ、体内に取り込むことでさせることができるはずです」


 ちら、と燈莉と目が合った。言いようのない安心感。


「──確かに、海月君の副作用は未知数で不安も多いでしょう。ですが一度暴走を経験した海月君だからこそ、彼が私たちと同じ葬儀屋として死屍守をとむらうことでゲンガーからの、過激派からの不信感をも払拭できるのではないですか。ドールは安全であると」


 逸世は目を伏せて黙りこくって。燈莉は捲し立てるように続けた。獰猛どうもうで、暴力的な怒鳴り声にも似た主張。燈莉の両腕を拘束する手錠が擦れてチリチリと鳴る。


「これは憶測おくそくですが、海月君の主作用は適応力として作用している。それを踏まえて、僕には海月君を制御する術があります。だから、その死刑に執行猶予を付けていただきたい。海月君が少しでも反抗したら、また裏切るような素振りを見せたら。その時は僕が必ず、その場で彼を殺しましょう。僕の死刑もただちに実行してください」


 再び静寂が降りて。少し唸り、逸世は浅く顔を上げた。


「……不破君、貴方はどうお考えですか?貴方の行動に二人の人間の命がかかっている」


 不意に投げられた問い。その逸世の視線に含まれた真の疑問を、なぜかはっきり理解することが出来た。「お前はいつ死にたい」と。今すぐ処刑されるか、戦場で死ぬか。お前で死時しにどきを選べと。この問いは初めてじゃない。故に。海月の答えは決まっている。不敵に、そっと顎を引いた。


「助けて貰った恩はある。ちゃんと返すつもりもあるよ。けどまだ燈莉さんとは他人だ。……他人の命とか、考えれるほど僕は器用じゃない。その上で僕の自己中な正直を聞いてくれんなら言ってやる。――僕は姉さんを探すために生きるって決めた。そのためなら何だってする。ここで死ぬなんてやだね」


 なぜ姉を探したいのか、この未練の、まだ正体ははっきりとしない。けれど、何かが己の心につっかえていて。


 隣で吹き出すのが聞こえた。くつくつと止まらない燈莉の笑声しょうせいに笑い返す。互いの命を預けておきながら互いを盾に、矛にするような。そこはなんとも心地よい狂気に満ちて。二人は守り合う仲間でありながら、殺し合う敵同士であった。


 いびつなこの師弟を前に、逸世は深くため息をつきながら頭を押えて苦笑する。


「いいんですね。私が言うことではないですが、死ぬよりも過酷な地獄を味わうことになりますよ」

「ハッ、なんだよ、そんなこと?僕の人生はとっくに終わってんだ。今更地獄が怖いわけないね」


 逸世は、今度はついに高笑った。


「そうですか。──仕方ないですね、猶予を認めましょう。ただし、一つ条件があります」

「なに」


 その目つきの悪い目が、優しく細められる。


「必ず、お姉様と再会してください。葬儀屋たるもの、たとえそれがどんなに最悪な再会だったとしても、逃げてはなりません。いいですね」


 予想になかった条件に海月は固まって。そしてすぐにその言葉の持つ意味を飲み込んだ。


「任せてよ」

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