第十夜 逮夜 ②
はっきりした茜色の瞳と、その下に黒々と寝不足の象徴。くあ、と猫のように
白っぽく明るんだ廊下の最奥、与えられた自室の扉を体当たりで押し開ける。二日間。上司である
狭い自室。真っ直ぐ歩いてすぐベッドへ倒れ込める良心的な設計。眠気による注意力の
「うっ」
脳内に疑問がぼやける。今の音は?まるで人間の呻き声のような。それに。いつもより硬く生あたたかいシーツ。それは規則的にうっすら鼓動している。
抜けない倦怠感の中重い身体を起こして、それと目が合った。垂れ気味に
沈黙。脳が覚醒。状況を理解。
――発狂。
「ひゃぁぁぁあああああ――――――ッ!!」
「バッッカうるせぇ!」
時間を弁えない本能の叫びをもろに受け、
彼は恐らく自分の同居人で。前情報によれば、その彼はまる二日の任務帰り。だから非は己にしかない。
寝起きの頭で言い訳を考えていると、部屋の扉が開いた。騒ぎに叩き起されたのか少し不機嫌な
「――なに、こんな朝から」
「ちょっと……ミスった」
「……壁薄いから、程々にしてよね」
数刻後、真実の説明により漸く落ち着いた未遥は海月に凄んだ。律儀に交した自己紹介の後の、消え入りたくなるような気まずさ。
「……悪かったって。ベッド一個しかなかったし許してよ」
「布団使えよ」
「その習慣なかったんだよ」
「なんでだよ」
もっともなツッコミ。もはや海月に返す言葉などなかった。
「……でも僕が来るのは知ってたろ?」
「知ってても初めましてでこれはないわ」
正論が堪える。再び降りた沈黙にどけ、と軽く足でベッドを追い出されて。海月は大人しくベッドに潜り込む未遥を見守った。
「――悪ぃ、やっぱ寝かせて。死にそ」
まるでそれを遺言のように、やがて静かな寝息が聞こえて。反対に冴え切ってしまった眠気を置いて、海月は静かに部屋を出た。
〝家〟の共用スペース。早朝のそこには既に人影があった。
「――お。おはよ、問題児」
翠色のマグカップを手に、
「……はよざいます」
「なぁに、不服?」
「そりゃあ」
目を逸らしながら彼女の対角へ座って。こと、と隣にカップが置かれる。嗅ぎ慣れた甘い香り。
「早起きだね、海月君」
「未遥に追い出された」
「あっはは、いいね」
思い出して交わす朝の挨拶。今日までに起きた非日常が嘘のように、平和な日常が流れている。
「……そういやさ、僕を制御する術って何?」
「単純だよ。僕の副作用で君に首輪をつける」
「……え、」
「言っただろう?僕は僕が愛したものを支配できる。その応用さ。これで一時的に君を支配して、異食の力が暴走しないように制御する、単純だろ?」
「じゃなくて――愛せんの?僕のこと」
その言葉に、燈莉は
「なぁんだ、そんなこと?」
心臓が跳ねる。大人の色気を
「安心したまえ、実証済みだ」
「……は、あ……?」
隠す気のない、大きなため息。
「――ステイだ。まだ明るい」
蒼樹は酒のようにカップの
*
死屍守は予告なく動き出す。
廃病院にて対象出現。詳細情報、【王】不在により、巣 無し ゲンガーへの被害 未だ無し
葬儀担当者
特殊指令 対象者の副作用の使用を禁ずる。 対象:不破海月
カシュ、と缶の開く小さな音が鳴り響く。ショート缶タイプのエナジードリンクを喉へ流し込みながら未遥は
「海月お前、何やらかした?副作用禁止って、相当だろ」
「……さあ……うーん、色々?」
「マジかお前――ま、いっか、今日は軽めだし」
部屋の扉がノックされ、入ってきたのは燈莉だった。脇に大きな荷物を抱えている。
「やぁ二人とも。準備できたかい」
「うん。……それは?」
「海月君の
手渡された箱を開けると金属製の左腕が横たわっていて。燈莉は手際よく海月の左へ義手を装着した。
試しに
「すげ……うごく」
「ふふ、腕がないと不便だろう?まだ海月君用に調整してないから、帰りに『廻命亭』に寄っておいで。
さて、と燈莉は二人の顔をまじまじと見つめる。
「海月君、今朝言ったことは覚えてるね?」
「……あぁ、制御の話?燈莉さんが副作用でなんかするって。でも今日使わねぇよ?副作用」
「使わないからこそだよ。急に本番はリスキーだろう?」
確かに、と海月の納得に燈莉は微笑んだ。
「――制御を正確かつ効率的にするには、僕が海月君の傍についているのが一番だ。……けど、残念ながら僕は海月君のバディにはなれない。僕には最高の相棒がいるからね。だから、この役目は
「それって……まさか、未遥に」
その通り、と燈莉は指を鳴らした。
「未遥君に、君の新しい『飼い主』になってもらう」
「――待ってなんの話」
一人放心していた未遥が帰ってくる。
「海月君の副作用はちょっと特殊でね。まだ自分で制御するのが難しいんだ。だから僕の副作用で彼を支配することにした。未遥君には、僕の代わりに海月君の『飼い主』になってほしい」
「かいぬし……?どういう……」
「詳しい説明は後で海月君が教えてくれる。今話すには時間が足りないからね」
頭がひとつの疑問を宿し、海月はふやけた声で問うた。
「燈莉さんじゃなくても使えるの?その副作用」
「まさか。ただ肩代わりしてもらうだけさ。
「……あぁ、妹、いるけど」
「なら
流れるように、その深い青に視線を絡め取られて。気付いた時には相手の吐息がかかる位置まで近寄っている。腹立たしい程の
油断に力は抜けていて、気がついた時にはベッドへ身体が仰向けに倒されていた。余裕そうに笑い見下ろす燈莉が
その時、首に薄い体温が触れ、ゆっくりと重たく圧がかかった。
空気が遮断。
「――か、ッ」
細い指がくい込み首を絞められる。苦しい。必死に酸素を求めて
未遥が、我に返ったように怒鳴ったのが聞こえた。彼は燈莉を引き剥がそうと肩に掴みかかる。
落ちる。それだけが
途端、海月は燈莉を力任せに突き飛ばした。激しく咳き込みながら霞んだ視界で彼を睨みつけて。
「なに……すんだ」
「ははっ、そんな顔するなよ。僕なりの愛情表現だ」
その笑顔は崩さず、燈莉は未遥を振り向いた。怯えたように固まった未遥の肩が跳ねる。
二人の手が微かに触れ合う。腰の引けた未遥の手を、燈莉は楽しそうに握って。悪意の欠片もない純粋な握手。それ以上何もせず、彼は部屋の扉へ向かいノブへ手をかけた。
「これでいいはずだ。さあ、行ってらっしゃい」
嵐のように、燈莉はそう言い残して部屋を出ていって。その言葉を理解するまで、二人は一歩も動けなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます