第十一夜 人間万事塞翁が馬

 空虚くうきょな静けさの廃墟に反響するふたつの靴音。退廃たいはいした瓦礫がれき欠片かけらを蹴り飛ばし、一層虚しさを増したその音に笑いがこぼれた。


「え、レク?死屍守どころか、ユーレイの気配もないけど」

「だとしたらセンスねー。悪質だろ」

「吊り橋効果ってやつじゃん」

「勘弁しろ。男二人の肝試しなんて需要ない」


 代わり映えしない暗い廊下を進み、思い出したようにぼんやりと未遥みはるが声を上げる。


「つーかなに、『飼い主』」

「あー……まんまの意味だよ。最近まで人に飼われてたんだ、僕」

「え、――ヒモ?」


 距離を置くようなその言い方に海月かづきは口を尖らせた。


「人をクズみたいに……。自分で働いて生きるペットがどこにいんだよ」

「…………俺はお前に餌なんざやらねぇからな」

「なにネグレクト?……いや、別に燈莉とうりさんこういう意味で言ったんじゃないでしょ」

「じゃあただのマゾ気質か」

「……上に乗られるのはしゃくかな」

「黙れ」


 舐め腐った、霊も逃げ出すほど下品な会話。ふと。未遥が足を止め前方を凝視する。何も無い。だが微かに聞こえてくる、静寂せいじゃくの耳鳴りにまぎれる雑音。


「……出たな、バケモノ」

「うん。――始めるか」


 前方に、その影を捉えた。未遥の声を合図に床を蹴って。幾分いくぶんか走りやすくなった身体にきょうが乗る。


 飛び出して行った海月に、未遥は少し遅れて反応した。海月は今副作用を禁止されていて。加えて武器も持たない生身の無謀むぼうさ。


「ちょ、待て!海月!」


 海月は動ける部類の人間だ。無駄なく無駄に詰まった筋肉と恵まれた高い背丈がその象徴で。だが出会って一日も経たない未遥がその全てを知る由もない。未遥の目にはただの危険行為としか映らない海月の行動。故に叫んでしまった咄嗟とっさの制止。


 その瞬間、頭を撃ち抜かれたかのように海月の身体は後方に吹っ飛んだ。


「……っ――、?」


 骨が鈍くきしんだ。衝突事故のような重い衝撃。チカチカと痙攣けいれんする視界にゆら、と死屍守のグロテスクな姿が映って。その多眼一つひとつと目が合うような錯覚。混乱した頭に死が浮かぶ。


『…ろ、……ろロ、』

「は、ぁ……?」

『ろゥ、か……ハし、はしルな……』

「は……!?──ぅあッ」


 振り上げられた奇形の腕は、未遥の発砲により動きを止めて。海月は後方へ飛び退いて距離をとる。姿勢を低くしたままの警戒態勢で死屍守を見据え。首が擦れたようにヒリヒリと痛んで、〝首輪〟の意味を理解する。


「っぶねぇ……つーか、そういうことかよ。最悪」

「何だ?何が起きた今。何も見えんかった」


 海月は狼狽うろたえる未遥を見上げた。己の首を示してにへらとわらう。


「すげぇよ、燈莉さん。しつけのプロだ」

「……何言ってんだ?」

「お前だよ。〝待て〟って言ったろ。未遥」


 そこまで言って、未遥も理解したように目を見開いた。若干引き気味の高揚を含ませて。海月は首元を摩り、死屍守を睨む。


「安心してよ。僕、過剰防衛は得意だからさ」

「……おー、悪かったよ。そんじゃ、派手な葬儀にしてやろうぜ」


 ぐぱっ、と多眼が見開かれ、耳障りな奇声が脳を揺るがす。二人目を合わせて。意識の方角がそろった。


「俺が核潰す。お前隙作れ」


 それに応えるように。わん、と海月は調子良く了承の意を鳴いてみせた。足の筋肉を集中させ先に飛び出す。リーチの長い死屍守の腕が伸び、それを跳躍ちょうやくかわし背後に回る。奇怪な巨体は死角だらけだ。狭い廃墟の廊下では急な旋回すら叶わない。


 意識から未遥が完全に外れ、海月をも見失い動きを鈍らせた死屍守の、その眼前に躍り出て。その多眼に捉えられるより早く、海月の回し蹴りがめり込んだ。怯みバランスを崩したその巨体に畳み掛けるように拳を打ち込む。


「どーよ、未遥さん」


 海月の作り出した死角で、得意気なその声色に未遥は細く息を吐いた。握られた拳銃を構え直して。死屍守の核を見据え、狙いを定める。


「最ッ高、後で撫でてやるよ」


 刹那せつな、増大した威力が死屍守の核を穿うがった。噴き出した至極しごく色とともに死体は崩壊を始める。虚空こくうへ溶け込んでいく死骸しがいちりに、二人は静かに手を合わせた。


「……アイツらあんなはっきり話せたっけ?」


 目を伏せたまま海月はそう疑問を投げる。


「個体差はあるよな。同じ【戦士】でも、雑魚からちゃんと強いやつまでいる」


 死屍守が消え去るのを確認し、先に進んだ未遥に海月は駆け寄った。


「てか、未遥の副作用どんな?よく分からんかった」

「言ってなかったっけ。俺のは――」


 未遥の言葉が止まる。見ると、前方、黒い塊がひしめき合っていた。かつて廃ビルで見たような、【戦士】の群れ。無言の警戒。


「……本気出してきた感じ?」

「群れたとこで全然雑魚だ。へでもねーよ」


 弱者の群れの、その一人も二人に気付かない。奇襲の絶好のチャンスであった。向かっていこうとして、海月は顔をしかめて動かない未遥に首を傾げた。


「どした?」

「……ちょっと……うるせぇ」

「は?なんも聞こえないけど」

「主作用。耳いいんだよ、俺。――まあ行けばわかる。やるぞ」


 振り払うように群れを睨んで。未遥は布告の如く虚空を撃った。


 一斉に向けられた、無数の目。陽炎かげろうのように、黒々とした死体の群れがうごめく。押し寄せる波のような死屍守の不格好な行進。迫って、そこでようやく理解した。


『ママ、ママ、ままマ、まママ、まママままママま』

『おかあさんおかあさんおかァさんおかぁサンオカアサンオカアサン』

『だいすきだいすきダイすきだいスきダイスきだイスキ』


 戦慄せんりつする。覚えたての言葉を披露するような赤子の無垢むくな、その純粋さをけがす機械的な。死屍守の声を聞くのは初めてではない。ただ、ここに居る死者たちの叫びは狂気をはらんでいて酷く空虚くうきょ。行き過ぎた愛情の、腐りきったどす黒さ。


「――き、海月!耳貸すな!」


 応戦中の未遥の声に呼び戻され、海月は頬を叩いた。頭痛さえ覚える騒音そうおんに無理矢理に笑い合って。


「ビビってんのか?」

「いーや?動き足りなかったとこ」


 腐乱ふらんした死臭をまとった人外どもの葬列に二人飛び込む。核は未遥が潰してくれる。己はただ、道を作るのみ。持て余していた身体能力。それを発散出来る快感。振り下ろされた攻撃をさばいて、伸び迫る腐敗した四肢を引きちぎる。


『助けて助ケてたすけてタすけてたすケテたスけてタスケテ』

「うははっ、最悪――いーよ、ほらおいで!」


 何者かの、恐らく足をバットのように振って。死とは救済であると。死者のあるべき場所への、これはそのとむらいだ。生者より、哀れな死者へ。打ち上がったその腐肉は、未遥によってちりとなる。彼らの成れ果ての不謹慎ふきんしんな美しさを。


 ――死屍どもよ、安らかに。


 *


「――ふぅ、こんなもんだろ」

「さすがにつっかれた、腹減ったよォ」


 派手に使われた葬儀場の、その荒れた事後現場。割れた窓から微かに見える外は潜入時と変わらない薄暗さ。だが、体感する遥かに長い勤務時間に腹は情けない響きを奏でる。死屍守の気配はないらしかった。気の抜けた夕飯の話題とともに廃墟を歩く。


「あれ、この後『廻命亭かいめいてい』寄るんだっけ」

「……あ、そうじゃん。忘れてた」

「一番大事だろうよ。で?なんで腕無くなっちゃったんだ?聞いていいやつ?」

「別に?『飼い主』が死屍守になっちゃって、それで千切られた」

「……気まず。なに、その人生」

「楽しいよ」

「ポジすぎんだろ」

「――あの、」


 突如。背後からかけられた女声に二人は肩を跳ねさせる。勢いよく振り向いたそこには、若い女が立っていた。艶のある黒髪を高い位置で結って。背丈は未遥と同じくらいの。背筋のしっかり伸びた、その生気に満ちたたたずまいに霊ではないことを密かに安堵あんどする。


「……どうしたんですか?こんな時間にこんなとこ。肝試しならやめたほうがいい」


 未遥はそう優しく笑って。彼女はそれでもにじみ出る不安そうなその顔色を変えずに。


「私の子どもが、帰ってこないんです」


 未遥は海月と目を合わせた。最近の若者の間で流行している肝試し。最悪の場合を脳に浮かべたのを、未遥は見破ったようだった。小さく首を横に振り、好青年らしく女性に向き直った。


「えと、特徴とか、教えてもらえますか?力になれるかわからないけど、できることなら協力しますよ」


 女性の表情に、微小な希望が浮かぶ。彼女は言った。


「私が大好きなんです」


 直後。


 風を切るような轟音の後で、視界から未遥が消えた。ぐちゃ、と嫌な水音。


「……ぇ……、?」


 混乱。耳が鼓動するような、血流がはっきりと確認できる心拍。目玉だけを動かして下を見て。遮断されたように、掠れた空気が、冷たく喉を焼いた。


 己の足元。鮮やか過ぎる血溜まりのその上、脱力し倒れた未遥の、その胴から下がどこにもなかった。

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