第三十三夜 墓守と浮浪兵

 *


 重力変化。りんの副作用に押され、死屍守の身体が自重でひしゃげる。視界の悪い夜の無人倉庫。死体から噴き出した返り血のような至極しごく色の液体を涼しく拭い、しかし臨は不愉快に顔を顰めた。


「おい燈莉とうり。――これ、か?」

「…………」


 耳に残ったひしめく死体の嘆きに、燈莉は口内で舌を打つ。


「……あぁ。だね」


 不機嫌な低音。向けられた視線に答えるように唸って。


「先客だ。嫌な匂いがする」


 態度に臨も無言の警戒。直後。背後で女声が笑った。


「――ほら、言ったろえい。嘘吐きの匂いがするってさ」


 低い女声と高らかなヒールの音が広い倉庫内に虚ろに反響。ふと水を差すような残党の咆哮に臨の銃声が被さる。溶けるような死体の崩壊。繁吹しぶき、ビタビタと音を立てて地面に染みを作った至極色の体液は気にも止めず、ただ燈莉は声の主をきつく見据える。


「……何しに来た」

「そう怖い顔するなよ坊や。猟犬のこと、まだ拗ねてるのか?」


 見下ろすように顎をしゃくって。燈莉の苛立ちへの挑発。さらに煽るように、わざとらしく玲於れおはこてんと首を傾け続けた。


「何って、効率悪い君たちを手伝いに来てやったんだよ。ここの【王】はもう処理済だ」

「……そうか。感謝するよ。――それで、負傷者は」


 燈莉の前に出るように臨は淡々と尋ねて。しかしその問いを嘲笑うように、玲於の隣で叡士郎えいしろうはそのサングラスの奥から鋭利に視線を向けた。


「自力で逃げれるやつは逃がしたよ。あとは殺した。感染リスクが高かったんでな」


 は、と問い返す臨の声は掠れて。


「……殺した、?全員?」

「そりゃあ。万一死屍守に化けちゃあ面倒だろ」


 言いながら、しかし口調は歌うような叡士郎の軽薄さに臨は眉をひそめた。


「なにが面白い?……だ。被害者なんて本来出るはずがなかった。教団が絡んでる可能性が高いって言われなかったか?生きた証拠が必要ってことくらい分かるだろう」

「逆に聞くが教団に関わった人間がどうなったか忘れたのか?そいつらにまともな証言が出来るとでも?私が死屍守に化けなかったのはただのまぐれなんだぞ」


 眼帯の奥、隠された左目もしかし真っ直ぐに二人を射抜いて。押し黙った臨へ、ニヤ、と笑い玲於は捲し立てるように続けた。


「……に落ちれば普通人間は無事には帰れない。どっちにせよすぐ死ぬ命だ。いつ死のうが変わらないじゃないか。むしろ、人として死なせてやった事を感謝して欲しいくらいさ。それともなんだ?今ある命を守るために危険を排除するのが悪だと言いたいのか?」

「……違うね。僕らはただそれが無実の人まで殺す理由にはならないって言ってるんだよ。救える命は救いたい」


 唸るような燈莉の助け舟に失笑が起こる。再度口を開きかけたのを遮るように、玲於はきろりと薔薇色の片目を向けた。


「それ、あの女医への贖罪か?」

「――、」


 刹那。破裂音を伴う発砲とともに、弾丸が玲於の肩を赤く掠めた。しん、と空気が冷える。


「――ったくお茶目だなぁ。図星?」


 深く抉れ、赤い鮮血が流れ出すそこを玲於は他人事のように眺めて。次に銃口を向けたまま荒い息を漏らす燈莉を見やり薄く笑う。


 地雷原を踏み荒らすような純粋な悪意へ咄嗟に出た衝動。その表情は底知れない怒りを封じかえって冷静で。彼女の薄い胸の中心を正確に狙った殺意を瞳へ湛えたまま、燈莉は臨を睨め上げた。


「なんで邪魔した、臨」

「燈莉。……傭兵のために人殺しになる必要なんてない。ソウだってそんなこと望まないよ。こんな所で争ってる暇もないだろ」

「僕のためだ。悪いけど僕はそこまで大人になれない。頼むから邪魔しないでくれ。……お前に強い言葉は使いたくないんだよ」


 懇願に臨は言葉を失って。立ち尽くした彼の耳元、いつの間に距離を詰めた叡士郎が囁く。


「ムードってのがあるだろ葛谷くずや。邪魔しちゃあいけねぇよな」

「……っ」


 首元へ伸びた、わざとらしく殺気を滲ませた手を後方へ回避。燈莉の視線は既に玲於を向いていた。小さく嘆息。


「十分だ。十分で鎮めろ。――殺すなよ」

「……任せなよ、加減くらい。僕だって大人になったんだ」


 ふん、と鼻を鳴らして。次いだ叡士郎の挑発に応えるように臨は身を翻した。




「――大人になれないって言ったばかりじゃなかったか?」

「比較対象が違うね。お前より大人だよ僕は」


 チッと玲於の口内で舌が弾ける。互いが武器を取り、キリ、と空気が張りつめて。暗い血色に錆びた鉈を握り、玲於は眼帯を静かに取り去った。


「相変わらず生意気だな。教育し直してやるよ、青二才」

「やってみなよ雌犬」


 鈍器のごとく、容赦なく振り下ろされる鉈を蹴りあげそのまま後退。続く二度の銃声。明確な殺意を持って胸部へ向けた銃口は燈莉の意思に反して標的をズレて。吐き出された銃弾は倉庫の鉄骨を硬く鳴らす。


 短いため息。再び至近距離に迫った錆まみれの刃を腕で防ぐと、切れ味の悪いそれは絡みつくように皮膚に到達しじわじわと血が滲み出た。粘着質な痛みに嘲笑。


「変わんないね、悪趣味なとこ。そのなまくらが良く似合う」

「……ほんっと苛つく男だなお前」

「なに、貧血?治してやろうか」

「死ねノンデリ」


 振るわれた鉈は躱しきれずに頬を掠めて。薄く裂けた皮膚から宙へ投げ出された鮮血を睨み、機動性皆無の細いヒールへ躊躇い無しに足払う。しかし読んだような軽やかな回避。人の指程度の太さしかないそれの頼りなさを感じさせない跳躍に素直な感嘆。


 一際大振りな予備動作。と言えど戦闘慣れしたその素早さに燈莉の体勢は崩されて。


 博打。燈莉は背に隠した銃へ潜めた殺意をかけた。死角からの発砲。弾丸は脚を突き破り玲於の体幹がガクンと落ちるように傾く。


 目前に迫った凶器を防いで。崩れた体勢につけ込み燈莉は玲於の首を掴み押し倒した。声帯を潰されたような短い喘ぎ。両者大して変わらない体型。ただ性差故の体格の違いを押し付けるように銃口を突きつけて。


 組み敷かれた燈莉の下、しかし玲於は不敵に煽るように笑った。


「……海月かづき、だっけ?あぁ、本当に可哀想だよ。お前みたいな男に捕まってさ」

「自己紹介か?お前も大概だろ。あんま自分のこと棚に上げない方がいいんじゃない?痛い目見るよ」


 愛憎を孕んで絡み合う二人分の双眸。鉈を掴んだままの玲於の手は次第に操られるように自身の首へ向く。錆びた刃があてがわれ、彼女の首から血液がつぅと赤く筋を成して。また燈莉の持つ拳銃は銃口を主の頭へ向け、トリガーにかけられたまま強ばった指にカタカタと震え音を立てた。互いに瀬戸際。歪んだ愛は圧となり、逃れようとする玲於の意思を押さえつけ、また燈莉の思考を自害へ追い込み掻き乱す。


 乱れた呼吸。それでも余裕を装って、玲於は口角を引き攣らせた。


「まだ私が好きなのか?乙帳おとばり

「あぁもちろん、愛してるよ玲於。僕のために死んでくれ」

「……随分、過激なプロポーズだな。断る」


 一層強く腕に、死期を悟ってひっそり背が冷える。掠れた短い高笑い。高揚に熱を持った燈莉の白い肌が紅潮した。


『『――死ね』』


 ――ザラりとした粗悪な刃先が玲於の首を切るその寸前。


 ──己の頭に突きつけられた拳銃の、そのトリガーを燈莉の指が引く寸前。


 殺気と狂気に震えた燈莉の身体が、針に掛かった魚のように吹っ飛んだ。




 


「――さて、十分だろ。一服でもしようぜ葛谷」

「……遠慮しておこう。お前と吸う煙草が美味い気がしない」

「そうか、そりゃ残念」


 思ってもいなそうな飄々とした返しに、やり場のない視線を腕時計に向けて。背後の銃声には目を瞑り、鼻馴染みのない銘柄の匂いを吸い込みながら臨はそっと口を開いた。


「……続きだが、本当に殺したのか、全員」

「何を疑ってんだ?そう言ってんだろ。んな事で嘘吐かねぇよ」

「何故」

「ああ?……何故って、言ったろ、残して万一死屍守に化けちゃ面倒だって。つーかよ、お前らだって薄々思ってんじゃねぇのか?バカを助ける必要なんてねぇって」


 宙へ溶けるように崩壊した吸殻を握り込み、呆れるように叡士郎は肩を竦めてみせる。


「弱いくせに、自分なら大丈夫だって変な自信があるんだよああいう奴らには。危機感ってやつがないんだ。平和ボケしてるんだろうな。そいつら助けるために仲間が死んだとして、それでも美談にできるかよ」


 深く息を吐く。ただ静かに、心の奥底で沸いた怒りを冷ますように。


「……無理だな。だがどれだけ揺すっても俺たちの正義は変わらん。間引いて残ったゲンガーと成す共生は俺たちの理想と程遠い。ある意味不平等だろうが、俺たちから見た命に優劣は無いよ。殺すこと以外で救える命があるなら平等に救いたい。それだけだ」


 こちらの言い分を、彼らは本当に理解出来ないようだった。信念の、正義の違い故の齟齬そご


「そうやって危険を犯してまで救った命が、いつか死体に化けたとしてもか?……今際の人間をこの世に縛ることを救済って言ってんなら、考えを改めろ。そんな生ぬるい優しさじゃ人は救えない」

「そうかもな。けどそのための葬儀屋だろ」


 黙り込んで。目の前の男は、己より遥かに長く、深く戦場を知る傭兵である。その歴故の考え方を、しかしこちらはそういうものだと理解出来た。生かすことばかりが救済では無い。無駄な苦しみを知らぬ内にと、終わりを与えることも救済だと。彼らの葬儀もまた正義であった。人を救った実績が、確固たる証拠となって彼らの戦歴に刻まれている。


 戦場で生きる者として、どうしようもなく正しい彼らにだから怒りが湧いていた。葬儀屋の求める〝共生〟を願うことが、理解することが。『墓守』にできて、『浮浪兵』にできないはずがないと。それだけの力を、経験を持っておいて。正義とは、また別の正義に対抗する手段である。


 ふと、叡士郎は迷子のように問うた。


「……なんで、お前は葬儀屋にいる?」


 沈黙。そんなの。臨は柔らかく微笑んだ。


「俺の大事な人が、人を救いたいって言ったんだ。俺がここにいる理由なんてそれで充分だろ」


 人は皆正しく死ぬべきだと。その対象がどんなバカだろうが悪党だろうが、そんなのは正直どうだってよかった。それを裁くのは自分じゃないから。


 ただ単純に見たくなかった。人が不必要に殺されるのが黙認されるのは。死屍守の存在に、当たり前に生まれて死ぬのが有難いこととなったこの世では、どんな命であろうと尊く平等であるべきだと。戦争のリアルを知らぬ己と、己の愛する幼なじみの、戦場で生きようと約束したそれが単純な理由。


 はは、と叡士郎は乾いた笑いを笑った。


「随分と淡白なんだな、お前」

「自覚済みだよ。だって俺はただの余所者だ」


 ちら、と時計を見た。そろそろ。


「――ところでなぁさかき。うちのやんちゃ坊主と遊んでやってくれよ。次の戦場に支障が出たら面倒だろ?お互いに」

「……は?」


 とん、と爪先が硬いコンクリートの床を叩く。内蔵が浮つくような重力を錯覚。


「時間だ」

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