第三十一夜 導師、皆等しく

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 八月二十日


 兄様にいさまに、副作用のことを話した。

 私のせいなのに、兄様はたくさん謝った。

 もう二度と、兄様と しおり に心配かけない。


 次会った時には、もう話を聞いて貰えないかもしれないけれど、ごめんなさいとありがとうは、あまね に絶対伝える。



 八月二十二日


 今日から謹慎。任務に出れないのは、少し悔しい。けれど、そうじゅ ちゃんはちょっと嬉しそう。

 そうじゅ ちゃんの部屋はなんだか寂しかった。整頓されてるというより、使ってないみたい。


 机の上の灰皿、びっくりしてたら目隠しされちゃった。

 もうここじゃ吸わないって、そうじゅ ちゃんから言った。

 気にしてくれたのかな。すっごく優しい人。


 でもお姉ちゃん呼びは……まだ慣れないかな、



 八月二十五日


 みはる が一人で帰ってきた。すごく悲しそうな顔してたから、どうしたのって聞いてみた。かづき とけんかしちゃったみたい。

 けんかは仲良しの証拠だって、れお ちゃんがいってたこと思い出した。言ってみたら、そうだよなって笑ってくれた。

 ありがとうって、ほんとにお兄ちゃんみたい。


 ちょっとだけ、帰りたくなった。



 八月二十七日


 かづき が、くずや さんと そうじゅ ちゃんに連れられて帰ってきた。傭兵にいたみたいで、ひどい怪我。多分 あまね 。


 とうり さんたちもいないから、かづき が倒れたって知った みはる を落ち着かせるのはすごく大変だった。ひと段落ついて、ご飯の時間になっても来ないでずっと かづき の隣にいた。

 今も離れないみたい。



 八月三十日


 かづき が目を覚ました。みはる のおっきな声がして、そうじゅ ちゃんが飛び起きて走ってった。お医者さんってやっぱりすごい。


 ふたり、ちゃんと仲直り出来たみたいでよかった。




 九月五日


 明日、葬儀屋として初めて戦場に行く。

 おっきな任務の依頼。傭兵も同時に動くみたい。

 少し


「……さよ」


 背後、ハスキーな声が小さくそう呼んで。紗世さよはペンを持つ手を止めて振り向いた。


「なぁに?蒼樹そうじゅちゃん」


 薄手のタオルケットにくるまった彼女が寝返ると、衣擦れとともに軽くベッドが軋む。こちらを向いた灰緑の双眸が、間接照明を淡く反射する。


「……明日から出るんだろ。もう寝よう」

「――うん」


 少し迷ってから、書きかけの日記をそっと閉じて。空けられた隣に潜り込むと、人の体温が御香のような深い甘さと混ざり紗世の意識を眠りへ誘った。


「……邪魔したか、?」

「ううん。こっちの方が大事」

「……そっか」



 小柄な体躯を抱え込むように。しばらくして小さな寝息が耳に届いて。蒼樹は控えめに紗世の髪をさらりと梳く。


 行くな。


 腹が立った。幼気な彼女を戦場へ縛るこの世界に。紗世だけじゃない。家族に、愛する家族に、死ねと命じる現世に。


 葬儀屋。死屍守を葬り、それを生業とするドールの名。そう、生業。人として生きるため、それを祈り叶えるためのこれは仕事で。


 己は医者だ。戦場へ赴き、傷ついた家族を治すのが仕事。己の前では、どんな命も平等で。それがどんなに悪党だろうが、生かすことが絶対の正義であるべきだと。その誇りを忘れたことは今までも、これからも一度もない。ただ。己が治さなければ、あるいは彼らを戦場から遠ざけることが。


 一人も、死なせずに。


「……我儘だな。私は」


 飲み込んで、代わりに口から出たのは消え入るような独り言。彼女に聞かせるべきではないと。ただ、それでも彼女を引き止めたいと欲が渦巻いて。当事者になどならなくていい。まだ知らぬままでいればいいのに。傲慢。この思想が、彼女を呪うことを知っておいて。


 艶のいい黒の前髪が緩やかに乱れ、軽く露出した白い額が視界に入る。


「…………」


 そっと口付け、蒼樹はやがて目を閉じた。


 逮夜たいや。時計の秒針だけが、うるさく寂寞せきばくたる部屋を打っていた。


 *



 廃ホテルにて巣を確認。構成 【女王】【王】 【戦士】複数

 ゲンガーへの被害 十代〜二十代男女四名が負傷

 葬儀担当者 三毛門みけかど真実まさね 有栖川ありすがわ未遥みはる 不破ふわ海月かづき 八重桜やえざくら紗世 以上四名。



 涼しい夜風が、遠く騒ぐ死者の嘆きを運ぶ。この地に、死にながら生に縛られた同胞へ、憐れむように、若い導師は笑う。


「当主サマも無茶言うよね。全部って、一個二個でもしんどいってのにさ。お小遣いアップ案件かな」


 暗い前方を見据えて、真実はそう不敵に吐き捨てる。場の空気感に不釣り合いに皆無な緊張感。海月は同じく笑った。


「新作出るじゃん?皆でやろーよ。……つーか、世良せらちゃんは?」

「ゆいは留守番。基本、があるって確定の時は危険だから待機って決まってんだよね。まぁゆいは未遥と同じかそれ以上に動けるし、おれも行きたいーって言ってたけど。【王】が居るって分かってるとね……。この認識票ドッグタグも、GPSの機能はドールしか使えないから」


 かちゃ、と彼の首輪でタグが揺れる。葬儀屋である証明のそれ。皆の首に等しく掛かる、名の刻まれたシンプルな金属プレートはある時安否を知らせる命綱となり、またある時は持ち主の墓標となる。


「なぁ、負傷者って四人だっけ」

「そう書いてあったはず。十代二十代の男女だって」


 未遥の問いに紗世が答えて。はあ、と未遥は呆れたように首を掻いた。


「まーた、肝試しかな。多分大学生とかだろ」

「ほぼ確でそうだと思うよ。カップルだったりして」

「なんでわざわざ……もっといいホテルあったでしょ」

「やっ……めとけよお前」


 けたけたと戯笑ぎしょうを交わす男児二匹は無視。隣で首を傾げた紗世に何でもないと首を振って、未遥はふと耳を澄ませた。


 静かに、静止の合図。


 途端に、ざっと真面目な空気が降りて。未遥は声を潜めて言った。


「――いる」


 *


 同刻。ヨコハマ某所にて深いため息。対して一つ、楽しげな笑いが上がった。


「リンリン。うちの子はみーんな優秀じゃないか。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


 おどけたように燈莉とうりりんに肩をぶつけて。揺らぐことなく、臨は目を細めて燈莉を見下ろした。


「優秀なのは知ってる。ただ……未遥一人にあの問題児共を預けるのはさすがに荷が重くないか?」

「一人じゃないだろ?八重桜のお嬢さんだって居るんだし」

「……いいのか、お前はそれで」


 痛みを堪えるように臨は額を抑えて。状況を面白がるように、それでいて安心させるように、燈莉は優しく微笑む。


「真実君も海月君も、やる時はしっかりやる子だ。僕はあの子たち全員を信用してるよ」

「それは……そうだが」


 言葉を濁らせた臨の脇腹を、燈莉は悪戯っぽくつつく。


「……てか、仮にも先輩を問題児発言だなんて、無礼だなぁリンリンは」

「尊敬も信頼もしてる。けど俺が何をしたところでミケが問題児である事実は消えないだろ。……あれは海月と混ぜる人材じゃない」

「なははっ。いいじゃないか、元気でさ。――さて、」


 不意に。凍りつくようにシリアスな空気が充満して。目前。見据えた黒い塊に無言の目配せ。


「……僕らは、僕らの仕事をしようじゃないか、臨」

「あぁ。そのつもりだ」



 無人倉庫にて巣を確認。構成 【王】二体 【戦士】不特定

 ゲンガーへの被害 多 死者あり

 葬儀担当者 乙帳おとばり燈莉 葛谷くずや臨 以上二名。



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