第二夜 ホストと迷い犬
──辺りは静寂に包まれていた。
死屍守の絶叫が止み、血の匂いが濃く残留する現場。その中心で静かに倒れた少年に、我に返った男は駆け寄った。
食われ原型をとどめてない死屍守の傍。それを食い殺した、目を背けたくなる重傷の少年。
疑問は腐るほどあった。ただ何より先にと手持ちの道具で試みる応急手当。切断された左腕を固く縛り、抉られた腹部の傷を診る。
ふと、慣れた動きで掴んだ少年の手首で脈が正常に応じた。次に男の耳へ、少し乱れただけの安らかな寝息が届く。
「……マジか」
思わずそう声が漏れた。死んでいてもおかしくない状態だと言うのに。頑丈すぎる少年に却って冷静になって、男はその手当の片手間に切れていた電話を繋げ直す。ワンコール後の素早い応答。
「もしもし、──あぁ、ごめん。僕は平気だよ。それより怪我人がいるんだ。応援を頼めるかい?多分、……いや。この子は、ドールだ」
***
ツンと薬品の匂い。どこか鼻馴染みのいい刺激臭にゆっくり意識を
「おはよう、カヅ君」
落ち着いた柔らかいテノールにそう呼ばれて。生理的な涙で
白い
「……その呼び方は、やです」
一瞬固まったあと、その男が吹き出した。失礼、と言いながら笑いは止まらないようで。しっかりと口元を隠しているその振る舞いを、無駄に上品だと
「ごめん、ね?ふふ、君と一緒にいた人がそう呼んでいたろ?僕は君の名前を知らないからね。許してくれよ」
「……確かに。ごめんなさい」
「腕、ほんとに無いんだ」
単なる、事実の
「……すまない。僕の過失だ」
海月は
「なんで?お兄さん助けに来てくれたじゃん。きっとここに連れて来てくれたのもお兄さんなんでしょ?」
「あぁ、まあ……」
「謝んないでよ。気にしてないし。それより、」
海月は勢いをつけて上半身を起こした。怪我人らしからぬ行動にぎょっとしたようだ。軽く目を見張った彼に問う。
「女の子は、死んだんですか」
沈黙。あえて言葉を待った。
「彼女は、亡くなったよ。――
死屍毒。その昔流行った
「……そっか」
それだけで答えた。あまりにも素っ気ない納得だと、自分でも言った後でどうかと思うような。男は表情を崩さず、それでどこか探るような顔で口を開いた。
「――彼女とは、どんな関係だったんだい」
当然と言えば当然の問いだった。
「飼い主」
「……なに?」
「飼い主ですよ。僕は犬です。生かしてもらう代わりに愛を与える彼女の
困惑の色を強めた男に、海月は
「薄情でしょ。わかってるよ、お兄さんが思ってること。でも……あっちは知らないけど、少なくとも僕に愛なんてない。養ってもらって、愛を求められたらあげるだけ。なんて言うんだっけ、こういうの。ヒモってやつ?あなたはさっき謝ったけど、間違ってるよ。だって被害者はお兄さんだ。自分だって危ないってのに助けた人間がこんなクズ野郎なんだから」
海月は
「……驚いた。君のが重症だろう」
袖で包帯を隠しながら、長い脚を組み直してからりと笑って続けた。
「君のイカレ具合は嫌いじゃない。思った倍は好きなタイプだ」
「口説いてます?僕は普通でしょ」
「僕の認識では、普通の人間は片腕なくしてそんなに冷静ではいられないんだ。――たとえドールであってもね」
言葉を詰まらせたその反応に嬉しそうに。男は笑みを強めて
「君はドールだろう?でなかったら、君が今生きているのに理由がつかない。君の行動にもね」
「そう、だけど、行動?僕、なんかした?」
海月の返答に男は固まる。しんと沈黙が降りて。幽霊でも見たかのような、焦りを
「おぼえて、ないのか?」
「なんの事?」
「……そう、か」
妙な反応に首を傾げる。顎に手を置き、ぶつぶつと考え込んだ男に構わず口を開いた。
「ねぇ、いっこだけ質問してもいい?」
「ん、ああ、もちろん。どうぞ」
「お兄さん、何者?」
「おっ……と、これは失礼。僕としたことが、まだ名乗ってなかったね」
んん、とわざとらしい咳払いの後、男は目を細めて笑った。既に、彼の先程の驚愕によるよそよそしさはなくなっている。
「僕は
やっと、自分も名乗っていなかったことを思い出す。
「
「海月君。いい名だね。失礼を承知で聞くが、君、成人してないだろ」
探偵チックなその口調と
「お、よく分かりましたね。バレたの初めて」
「……職業柄、年齢詐称を見抜くのには自信があってね。ほんとはいくつなんだい」
「十八」
はあ、と
「すごいな、その歳でヒモか。ワケありかい?言いたくなかったら言わないでいい」
「ワケありっつーか。成り行きです。僕も一人だったから」
「……ほう」
「てか、燈莉さんなんの仕事してんの?」
「うーん、接客と言っておくよ。一旦質問コーナーはここまでにしようか。ここからは真剣な時間だ」
燈莉はその薄い舌で唇を湿らせる。
「海月君、僕と働く気はないか?」
部屋が静まり返った。燈莉の青い
「接客?冗談……そもそも、僕は人と働くの、向いてないんで」
海月はその視線から逃れるように顔を背けた。燈莉に向けた方の頬がピリ、と張る。
「そうか。それは残念」
思わず燈莉を見た。意外だったのだ。感じていた視線から想像もつかないほどさっぱりしている。海月の反応に、やはり燈莉は笑った。
「意外って顔してるね。そりゃあ、初めましての少年相手だ。無理な勧誘なんてしないさ」
何しろ未成年だしね、と燈莉は付け加える。
「――だから、今から言うことは僕の勝手な独り言だと思ってくれ。……海月君は二番目だね。兄か姉がいる。僕の勘だと姉かな。そして恐らく、死屍守によって家族とッ」
硬いベットが軋み、燈莉が短く
ぐ、と力を込め直して海月は燈莉を睨んだ。片腕を失った故の不格好さのままで身体は震えている。その原因が怒りなのか恐怖なのか、自分では分からなかった。
「……ははは。君にはやっぱり才能があるね。急所を狙うのが上手だ」
我に返って、海月は握力を
「なん、何なんだ、あんた。なんで」
「その反応だと、当たってるみたいだね。僕は観察が好きなんだ。君の口ぶりとか態度からそう予想したよ。君は素直でいい子だね。犬というのも頷ける。ただ……家族の話は地雷だったかな」
「…………地雷じゃ、ない。普通、初対面の人にそこまで言い当てられたらビビるだろ。そんだけだよ」
海月は
「どこまで正解か聞いても?」
「なんでそんな興味あんの?」
「単純だよ。僕は君が気に入ってる」
ふたつの視線は交わっていた。しかし目が合っているように思えなくて。自分じゃない、自分にも見えていない、もっと奥深くの何かを見られているような、放任的な支配力。まるで
「ほとんど合ってますよ。あんたの言う通り、僕は死屍守に両親を殺されてる。あの戦争の時だよ。二番目ってのも、姉も当たり。その姉とも今は音信不通。生きてるか死んでるかも知らない」
機嫌の悪さを隠そうとはしなかった。全部吐いたあとで、なんで分かるんだ、と少しの嫌悪もオマケして。燈莉は黙って聞いていた。あの青い
仕返し、と無遠慮に彼を観察するも、『どっかとのハーフっぽい』程度の
「お姉さんとは、いつ別れたんだい」
「母さんが死んだあと。目の前で母さんが死ぬのを、姉さんに抱えられながら見た記憶がある。孤児の施設に一緒に入って、いつだったか姉さんがいなくなった。あとから施設の人に兵役したって聞かされた、気がする。確かそん時十歳。戦争が終わった頃」
「兵役……お姉さんもドール?」
「……違う、と思う。ゲンガーがどうとか言われてた気がするし、僕だってゲンガーとして生きてた。……正直、あいつの顔も声もあんま覚えてない。施設入ってから、一緒にいた記憶もないし。今更探そうとも思わない」
「そうか。……また君を怒らせるかもしれない。今度は締めないでくれよ?」
「なに?」
「嘘だ」
「はあ?」
また。あの視線に思考が絡め取られる。逃げれない。奥歯に力が入り喉が鳴った。
「嘘だと言ったんだ。現に君は無意識的にお姉さんを追っている」
「――っ」
「自分の顔は自分では見えないから、気が付かないのも無理はない。ただ『飼い主』さんの
そんなはずがない。頭に浮かんだのはその否定だった。だが己の口から言葉は出せなかった。自分が今どんな顔をしているのか分からない。燈莉が薄く微笑み、小さな紙を取り出す。手渡されてそれは、黒ベースに
「君はまだ、お姉さんに……家族に、未練があるだろう。勧誘みたいな言い方になっちゃうけど、僕と来るってんなら、お姉さんを探す手段がある。これは事実だ。もし君にお姉さんを諦めたくないって気が少しでもあるんなら、連絡してよ」
「……
「あっはは、違うさ!もしそうだとしても面白いけどね。ほら、君には特別だ」
すると燈莉は取り出したメモ帳に一筆し、破いて名刺に重ね置いた。
「人気No.1の番号だ。間違っても売らないでくれよ?必ず役に立つ時が来るからさ」
「……金に困ったら助けてもらいます」
海月は紙ごと名刺をポケットに
「今日は泊まっていくだろう?元気そうだが、その腕で帰らせるほど鬼じゃない」
「ありがとうございます。……けど、帰る。枕変わると眠れないんだ」
「……んふふ、そうか。じゃあ仕方ないね。最寄りは?タクシー代くらい出したげるよ」
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