第五章 革命前夜
二人の喧嘩の一方で、燈莉らは予定一週間の出張任務へ出ていた。予定より三日の遅れを経た帰還。家族の心配もそこそこに、燈莉は任務の報告を始めた。
第二十九夜 逮夜 ①
素晴らしい計画の話をしよう。
新しい世界の話だ。
我らが神が、この地に帰ってくることを。
*
「全員女ァ?たまたまじゃないのか」
「偶然にしては数が多すぎるんだ。事件性がある」
〝家〟の共用スペース。そこにいつものだらけた空気はなく、殺伐とした雰囲気が重く漂っている。
一週間と三日。出張任務に出ていた
『墓守』へ当てられた
「――気色悪いな。誰が何の目的で……」
「はっ、そんなの、僕が知りたいね。とにかく、この件はまだ未解決だ。そう経たないうちに追加の依頼が来るだろうさ」
目の前で繰り広げられる頭を使う会話に、
「……何の話?」
「何って……
「なに、【女王】大量発生的な?」
「……アホか。だとしたらこんな呑気にしてられっかよ。うちは
ほう、と感嘆の声をあげて。そういえば忘れていた。『廻命亭』は本来は民間の葬儀屋である。
空いていた向かい。しっとりとぬるい空気を纏った真実と唯葉が帰ってきて。唯葉のシャンプーがふわりと香ってくる。おかえり、と未遥と声が揃った。
「ただいま。聞いた?」
「うん。マジ?女だけって」
「大マジ。しかも聞いてよ、最悪だったんだよ。全員どっかしら
顔を顰めて言った唯葉を軽く諭し、しかし真実もため息混じりに首を振る。
「あんなの異常だね。言っちゃ悪いけどキモすぎる。酷い人なんて顔が無かったんだ」
「かお、?」
非現実的なワードに声が裏返って。真実が続ける。
「剥がれた、って感じかな。明らかに人為的だったし意図があるとしか思えない。なのに人がやった証拠は出なかった。出てきたのは死屍守の痕跡だけ。……絶対犯人が居るはずなのに。早く捕まえないと、放っておけば次の犠牲が出る」
「……じゃあ、次は犯人探し?」
海月の問いに、しかし真実は首を横に振った。
「――いや。おれ達は次の要請が来るまで待機。現状おれ達に出来ることはないし、下手に手出しして、過激派とぶつかる方が面倒だもん。おれ達に人の心配してる余裕は、残念だけど実はないよ。そもそも、警察じゃなければヒーローでもない、おれ達はただの葬儀屋だからね」
返す言葉はなく。溜まった疲労に二人の欠伸が漏れて、その場はお開きとなった。
*
自室。人工の明るさに、無理やりに眠気が覚まされて。燈莉はひっそりと眉を顰めた。スマホの時計は朝の九時を示していて。深くため息。逃げるように硬いソファに顔を埋めて。今のうちに睡眠を取っておかなければ。夜になれば、また死人が動きだす。
「……」
脳内で、任務の記憶が渦を巻いていた。生前とは変わり果てた人間の死体。もう見慣れてしまった、情も湧かぬ命のその抜け殻。
ただ、今回は。
ぼす、とすぐ隣に人の気配が落ち着く。見ずとも分かる、薄く掠めたスパイシーウッディに浅く顔を上げた。
「……寝ないのか」
「眠れていないからね」
「……重症だな」
ふん、と
「……いつも、部屋は怒る癖に」
「私情だ。受け取れ」
甘えて。咥えると臨が火を寄越す。
深く煙を吸い込んで。肺へ流れる熱が、ささくれた気分を落ち着けた。靄のかかった思考がクリアに晴れて、鼻を、煙草の甘さが抜けていく。
「……ちょっと、思い出した」
呟きに、そうか、とただ一言が返って。
「……少なくとも、僕が出てよかったよ。
また、風化することのない記憶が掘り起こされる。仲間の死。たった一人の、同期の死。燈莉の言葉を、臨は黙って聞いていて。
「……仮に蒼樹が出てたとして、アイツも同じことを言うだろうけどな。……まぁ、今回は適材適所、ってやつだったのかもしれない。お前には悪いが、実際、蒼樹が残ったから海月も無事で済んだ」
「…………何だって?」
海月。臨の口から発せられた部下の名に目が覚めた。しまった、と彼が顔を薄く顰めたのは見逃さなかった。
「海月君が何だって、何があった」
身を乗り出し詰め寄ると、眼鏡の奥から覗くツリ目と目が合った。冷静さを欠くことなく、小紫の双眸が己を映す。
「……未遥と喧嘩した。……それだけだ」
「嘘だね、それだけじゃない。無事って何、何隠してんだよ、話せ、臨」
語気を強め、棘を孕んだ声は、臨の視線にただ制される。
「落ち着いて、燈莉。俺は今のお前にお前が制御出来ると思えん、ちゃんと話すから、今は――」
チッ、と舌が弾けて。脳を支配する苛立ちと焦燥に、疲れも忘れて燈莉は彼に背を向けて。
「燈莉ッ!!」
怒鳴るような。追いかけようとした臨の身体が強ばる。ぎり、と冷たく食い込むそれ。
「――チィッ……あの、馬鹿……!」
まるで追跡を拒むように。踏み出した脚へ見慣れた鎖が巻きついていた。
勢いよく扉を開けて。壊れるほどの衝突音が響く。
「……、ど、な、どしたの、燈莉さん」
部屋には未遥一人。驚きからか身体は硬直し瞳孔が開いていて。取り繕うように、海月の居場所を問う。
「……カヅ……?寝れねぇって、外……」
そうか、と返事は掠れた気がした。呟いた謝罪と礼が届いたかも分からない。だが確認する余裕もなく、燈莉はエレベーターへ向かった。
「……なにが……?」
室内に、困惑した未遥の呟きだけが残された。
*
秋の気配を感じる晩夏の朝。人気のない路地へ細く射し込むまだ暑い日差しに目を細めて海月は伸びをした。
あの一件から体力がかなり落ちている。早めに戻しておかないと仕事にも支障が出そうだ。念の為とフードで顔を隠して。ふと、ポケットでスマホが未遥からの通知を受け取った。
『とーりさんが探してたけどなんかした?』
?のスタンプと共に届いた問いかけ。心当たりはない。
『いや なんで?おこなの?』
「──海月君」
未遥からの返信より先に。背後。突然投げられた呼び声に肩が大袈裟に跳ねて。振り返ると珍しく息を切らした燈莉と目が合った。
「どした、?燈莉さん」
「――、どこ行くんだい」
「……ちょっと走ろぉと思ってさ、体力落ちちゃったから」
落ち着かせるように、あえてへらりと躱すように。とった行動は逆効果なようだった。
「なんで、なあ、何があった」
しくじった、と、詰め寄られ人知れず汗が伝う。ここまで彼が取り乱した姿は見たことがない。その綺麗すぎる顔に張り付いた疲労と、滲み出るような憤怒。平生の飄々とした彼はどこにも居ない。まるで酷い悪夢を見た子供のような、ただ迷い子のような幼さがあった。
空気を読むのは得意だ。恐らく雑に隠す方が彼の不安を煽るだろう。優しく触れるように言葉を選ぶ。
「何でもないよ、……大丈夫だから。聞いて」
宥めようと目を合わせて、いつもより濃く感じたその瞳の青さの深淵に背が冷えた。
「……や、ごめん。何もないは嘘。けど大丈夫なのはほんと。……色々あって、
「色々って」
「……傭兵、連れてかれちゃって」
「……
端的な事の詳細へ。その返事として間を置いて呟かれた問いに喉が冷えた。低い声だった。聞いた事のない、人が変わったような低音。その圧に声が詰まって、燈莉はそうか、と目を細めた。
「……あの……クソ女……」
「へ……、?――おわっ」
襟首を掴まれ、後方へかかった力に体幹は大きく揺らいで。壁に追い詰められ逃げ場はなく。もっとも、逃げる気も起きぬほど己を映す青色は今は怒りに爛々と暗く光って見えた。
「アイツが君を
「……拐っ……、まあ……?」
間違ってはないと曖昧な肯定。彼の怒りの理由は分からず。ただ生身で彼の地雷原に立たされている事だけがはっきりと理解出来て。はあ、と深いため息に反射で背筋が伸びた。
「……いいか海月君、今後アイツとは一切関わるな」
「あぁ……そのつもりだけど……なんでそんな怒ってんの?僕、どこも行かないよ。そもそも、僕が裏切ったら燈莉さんも殺されちゃうんだし。さすがに、本気で恩を仇で返そうなんて――」
言い切る前に。耳元を、不穏な風圧が掠め遮った。思考は停止。顔のすぐ横で硝子の割れる音が。
「――は、」
目が合うことはなく。パラパラと硝子の破片が音を立てて落ちるのを遠くで聞いて。彼の名を呼ぼうとして、それより先に腹部へ重い衝撃が入った。
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