第二十六夜 家族。

「……は、なに――」

「動くな、綾那あやな


 よく通る大人の男声。雨音あまねに銃口を向けながら、りんは落ち着きをもって彼の傍に転がる海月かづきを見据えた。


「その子から離れろ」

「……………………はぁあ、萎えるなぁ」


 軽蔑のように臨を薄く睨んで。雨音はあっさりと身を翻した。


「まだ生きてんじゃない?早く助けてあげなよ」


 他人事のようにそう突き放して。闇に紛れていく雨音を見送るのもほどほどに、臨は倒れたまま動かない海月の名を呼び駆け寄った。


 酷い有様。測るも弱い脈。敢えて遅れて来させた蒼樹そうじゅの愛称を怒鳴り声の如く叫んだ。




「…………ぁ、……れ。――リンリン、?」


 声にすらならないような掠れた声が臨の耳へ届く。安堵からか、喉が詰まる。


「――なんだ、生きてるのか。しぶとい奴だな」

「ん……へへ、……ひどぉ」


 海月は血塗れの顔で子犬のように笑った。鼓動が耳元で鳴るような心拍の上昇。生存確認に訪れた安心と脱力感もつかの間、なぜ生きているのかも分からない状態に戦慄。


「さがし、きてくれたの?」

「……それ以外何がある」

「いや、ぁ……きらわれてるとおもってたからさあ」


 恐らく痛みすら感じていないのだろう。身体の状態の割に流暢な少年の声に臨はあえて普段通りの態度を選んだ。


「仕事に私情は持ち込まない主義だ。勘違いするな」

「んはは、ツンデレぇ?」


 無理に動こうとする海月を制し、息を切らした蒼樹に受け渡して。



 蒼樹の副作用。激しく損傷した紙人形が三枚作られた末、漸く海月は自力で身体を起こした。ひりつく痛みは未だ消えず。大きな痛みに誤魔化されていた少し前の吐き気がぶり返して。不調を訴える海月に臨は呆れ、ため息をついた。


「……お前、雨音を食ったのか」

「そ、。だけど」


 続けて蒼樹の呆れた声。


「ほんと……バカだな。赤ちゃんじゃないんだ。何でもかんでも口に入れるんじゃないよ」

「ごめ、ん――ッえ、ぅ……待っ、、……はく、」


 サッと顔を白くした海月に蒼樹の肩が震える。


「なっ、待て待て、あまり吐かない方がいい。喉に害が行く方が面倒――」


 間に合うわけもなかった。海月にとっては通算何度目かも分からない嘔吐に、蒼樹は額を押えた。



 臨の鞄から取り出された水を受け取り、漸く嘔気が収まる。その代わり、忘れていた罪悪感がまた顔を出した。応急処置も終わったようで、帰るぞ、と車へ意識を向ける二人に海月は後込む。


「……っ、あ……の」


 何も知らず。不思議そうに振り返る二人に言葉が詰まる。帰れない。僕は罪人だ。きっともう『墓守』でいられない人殺し。けど堰き止められるように言葉は口に出せなくて。


 海月の様子に、臨は少し考え込んで。やがて、しゃがんで目線を合わせると臨は海月の頭に軽く手を置いた。大きな、ゴツゴツと筋張った厚い掌。お前はまだ子供であると、強引に自覚させられるような大人の包容力。


「話は後で聞いてやる。だが今は治療が先だ。……何があったか知ったこっちゃないが、未遥みはるが待ってるのは事実だよ」

「…………」


 眼鏡の奥から覗く優しい目が。逆らう気は起きそうにない。海月は手を引かれるように二人へ続いた。


 爽やかな香りがふわりと香る車内。押し込められた後部座席。シートが汚れる、と臨に投げつけられた大きめなバスタオルに身を包み、追いついてきた疲労に凭れる。


「……ね、なんで僕がいるとこわかったの?」


 車に揺られながら、海月はぼんやり問うた。助手席で煙草をふかす蒼樹が呆れたように笑う。


「お前の首には何が下がってんのさ。本気で家出する気なら外してから行くんだな」

「……あぁ。……や、別に、事故じゃん。家出しようとしてたわけじゃ」

「ははっ、冗談だ。わかってるよ。よかった、生きてて」

「……、」


 蒼樹の言葉は本心なのだろう。後ろめたさに喉が詰まる。誤魔化すように海月は窓の外に目をやった。流れる風景。空には薄く朝日が反射していた。


「――海月」


 臨の落ち着いた低い声。名を呼んだ彼の声はとても優しい。小さく返事を呟いた。


「断片的なことは未遥から聞いてる。――俺から言うことじゃないが、未遥に悪気はないことだけは知ってあげてくれないか」

「あぁ……へーき。わかってんよ。……悪いの、僕の方だしね」


 違うな、と薄く笑った海月の言葉に即答が返る。


「今回の件に悪者はいない。強いて言えば環境が悪かった。……お前たちはまだ互いのこともそう知らないだろ。一度しっかり話し合え」

「…………、……ん」


 ぼんやりとした声しか返せなかった。肯定とも否定とも取れないような。発した自分ですら、返事に含ませた意味を理解できなかった。


 未遥は優しい。だから己はきっと受け入れられる。自惚れだろうが、そんな気がして。受け入れられてしまう。綺麗で純粋な彼を汚してしまう。それが酷く怖かった。優しさは、受け取ろうとしなければ時に何よりも鋭く牙をむく。


 やめよう。今はシリアスなことを考えるとどうしてもネガティブに落ちてしまう。人知れず頭を振って、少し話題をずらそうと口を開く。


「……リンリンと未遥ってどういう関係?」

「呼び方よせ――……待て、それも知らなかったのか?――未遥は俺の生徒だ」


 引き気味で告げられた初めて知る事実。だが驚きはなかった。未遥が彼を〝先生〟と呼んでいた理由に合点がいく。


「へぇ……学校でもあんな感じ?」

「…………そうだな。あの子はいい子だよ。裏表がなくて真っ直ぐだ」


己の知る未遥の通り。謎の安心もつかの間、けどな、と臨は続けた。


「――未遥はあの性格が祟って苦労したんだよ。知らずのうちに友人を傷つけてしまったりな。……俺が未遥と出会った時なんて特に酷かった」

「……虐められてたの」

「いや、逆……と言うかまぁ、一言で言えば不良だ。素行は良い真面目な子だったが、それが行き過ぎた。不良が理解できなくて、それでも理解しようと努力して、理解した結果暴力に至ったってとこだな」


 言葉を失った。彼の昔話にじゃない。未遥を知らなかった。知ろうともしていなかったことに。それに疑問すら抱いていなかったと、漸く気がついた自分に。気がつけないほど、彼を知った気になっていた自分に。己は彼と友人にすらなれていなかったんじゃないか。そう思うと寒気がした。


「――今は丸くなって、執拗しつように相手を理解しようとすることも少なくなった。だから余程お前が気に入ってるんだろうな」

「……そっ、……か」


 後悔が頭を埋めつくしていた。関係ないと突き放した言葉は、未遥にとってどれほど重たかったろうか。姉にしたことと同じだ。あの日から、己は何も変わっちゃいない。


 今はただ、早く彼に会いたかった。〝罪人〟への制裁が下る前に、彼へ謝意を伝えたかった。


「……許してくれっかな」


 思考は声に出ていたようだった。静寂に吸い込まれたそれに蒼樹が吹き出す。


「ちょっと、ははっ、本気かお前!未遥が珍しく臨に泣きついたからこんな時間から来てやっ――」

「──ッばか、ソウ!それは言うなって言われてたろ!?」


 車内に蒼樹の楽しげな高笑いが響いて。話についていけず海月はひっそり困惑。けれど、この平和な空気感が海月の漠然とした不安を解していた。一人、目の前の日常に微笑む。


 車の揺れも心地よく、酷使され火照った身体の眠気を誘って。もう少しだけ。もう少しだけこの優しさに甘えていたい。葛藤はやがて白旗を振った。糸が切れたように海月の意識は深い眠りに落ちた。


 *


「――何、この怪我」

「これ?野良犬に噛まれちゃったんだぁ」


 地鳴りのような杜也となりの怒りに、しかし雨音は歌うように答える。


「ね、聞いて杜也!あいつ、僕を食ったんだ!しかもしぶとくてさぁ、邪魔入ったけど、そのおかげでまだ生きてると思うんだよね。次はいつ会えるかなぁ」


「――アヤ」


 ひそめられた玲於れおの声にシンと空気が冷たく静まる。途端に聞こえないふりを決め込み、雨音は手元の本へ意識を縛った。この呼び方をする時は大抵が説教。数多の心当たり。現に今も身体中から証拠がじわじわと染み出している。


「……無視するんじゃない。汚れるから、そこに乗るならせめて止血しろ」

「だって連れてっていいって言ったのれお……――え、そっち?」


 頭になかった小言の矛先に拍子抜けする。玲於のの扱いについて咎められると身構えていたのに。彼女は呆れたように鼻を鳴らした。


「馬鹿にするなよ、お前のあの子に対する扱いなんて想定内だ」

「……あは、照れるぅ」


 小さく舌打ちが聞こえた気がした。珍しい反応。案外しっかり怒っているらしい。


「ごめんなさい。……謹慎中は大人しくするよ、安心して?」


 玲於の大きなため息。今回も長くなりそうだと雨音は手元のページをめくった。


「その戦闘癖、まだ治ってなかったのか?それが謹慎期間を伸ばしているのにそろそろ気付いてくれ」

「…………だってぇ、最近戦場は雑魚ばっかりだし、ご主人のもつまんない依頼ばっかりなんだもん」

「それで仕事に支障が出ては本末転倒だろう」


 玲於の諭す声に雨音は幼く口を尖らせる。


「じゃあ何、玲於は僕に自慰すんなって言いたいわけ?僕からすれば同じくらい大事なんだけど」

「……………………話をすり替えるな。私が言っているのはその癖で仕事を選ぶのをそろそろやめろと……」

「すり替えてなんかないもん。ちゃんと依頼は受けてるじゃん?それでちゃんと葬儀屋の仕事もできてるし、自分の欲ばっかでなんでも食おうとするご主人よりお利口さんだよ僕は」

「なっ……どこで覚えたそんな言葉!」


 雨音の口答えに叫ぶように玲於は口調を崩して。どこでも何も、雨音とて思春期の男子だ。ごく普通の感性だろうに。言い負かしたりとでも言いたげに小説へ意識を戻した雨音の名を、今度は杜也の低い声が呼んだ。


「――自分、ご主人にまた身体売ってんちゃうやろな」


 ちら、と杜也を見返す。銀色をした鋭いツリ目と目が合った。凶暴な獣のような視線だ。


 ふふ、と雨音は眉を下げて微笑む。


「そんな怒んないで?僕には杜也だけだよ」

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