第六章 散る桜、残る桜も
生き残ったゲンガー二名を連れ、一時帰還した海月ら一行。任務で感じた違和感。【女王】に告げられた教団の再興──。事態は、想定より深刻なようだった。
第三十六夜 胎動
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─
─
きん、と乾いた金属音が聞こえた。
風に攫われる桜のように。瞬きの間にその音もなく。
「―――。」
少女の落とした墓標を拾い上げて。薄い金属板一枚のそれは、皮肉にも人形の命を象徴するかのように酷く軽かった。
報告書
死屍守との交戦による殉職
─────────────無名『回顧録』
***
かたり、金属同士の軽く当たる音。露出する、つるりと作り物じみた乳白色の肩にまだ新しい裂傷が赤々と映える。
「――随分と珍しいねぇ
「そうかな?……まぁ、確かに私に容赦なく傷をつける男なんて、アイツらくらいしか知らないね」
「けど、一度でもそんな男が好きだったんだろう?」
手際よく巻かれていく包帯を眺めながら、玲於はふ、と、微笑んだ。
「昔の話はいい。私は私を好きになるような馬鹿な男は嫌いだ」
「そうかい」
それ以上は返らず。その淡白さに少々つまらなそうに、対抗するように玲於は続けた。
「まあ、こんなにもいい女を逃がすなんて、アイツは実に愚かだと思うよ。なぁ
闇色の死んだような双眸がちらと玲於を向く。一七〇に満たない小柄な体躯にオーバーサイズの白衣。ルーズな着こなしが却って様になるような気だるげを纏う男。朔夜と呼ばれた彼は躱すように玲於の手掌に消毒綿を押し付けた。
「あぁ君は可愛いよ。何年も前に別れた男の事をまだ気にしているところとか特に」
「……気にしているように見えるのか?参ったな。まるで私の方が本気だったみたいじゃないか。言っておくが――」
分かりやすい早口。軽く身を乗り出した玲於を制するように、し、と朔夜は彼女の唇に示指を添える。
「言い訳はいいかな。君に男を見る目がないのは事実だろ」
「……私のことが嫌いなのか?朔夜」
わざとらしく、いじけたような上目遣いで言う玲於に、まさか、と朔夜は笑ってみせる。
「──ところで玲於、うちの戦隊長とその恋人がまだ帰ってないみたいだけど。大丈夫?」
年少の二人を思って。薄っぺらな心配を含ませたその問いに、同じ厚さの答えが返る。
「二人で居るなら大丈夫、
戦場で導師が長く行動するには、適度に拠点へ帰還することが最善策である。葬儀屋はその人材の少なさ故、替えのきかない職だ。一人の故障は大きな損失となる。額を押えた朔夜に、玲於は得意げに鼻を鳴らした。
「全く、あの当主もお優しい。私らのような浮浪者を気にかけてくださるだなんてさ。……まぁ今回ばかりは何も言ってこないだろうね。下手したら戦争が起きるかもって言うんだから」
*
「――なるほどな。二人は大学の友人で、あそこに行ったのはサークルの合宿で肝試しに?」
はい、とか細い返答。また呼び出されたBARの二階。聞いているだけでいいと、
「――皆と、私達四人はぐれちゃって。……私と彼が落ちた時に怪我をして、二人が助けを呼びに行ってくれてたんです」
質問する蒼樹の後ろで、十数時間前の葬儀を思い返し隣の
皆、というのは。恐らく。
やがて。話し終えた彼女らに蒼樹は目を伏せて言った。
「死屍守は、知っているよな?」
驚いたような無言。その問いに、今度は男が答えた。
「……それは、もちろん。けど、まだ実在するとは思ってなくて。……戦争が終わったと同時に居なくなったものだと。……本物、見た事がなかったから」
嫌な沈黙が降りた。分かりきっていたことだった。ただ、言葉となって告げられた現実に何も返すことが出来ず。
怒りが湧くことも、悔しさが押し寄せることもなかった。ただ、そうか、と漠然とした納得があって。だって
今を生きる若者は皆戦時中の生まれである。だがその生き残りと括ろうと、そのほとんどは戦争が激化する前に疎開地へ逃げ延びた者達だ。本物の死体など、そんな彼らが見た事なんてあるはずも。加えて、地下街へ逃げた者の末路。それこそ海月のような、地下街での襲撃から逃げ延びた者など稀有。
知らないことがもはや当たり前とされていて。当事者であろうと知らずに死ねる程度の、彼らにとっては御伽噺のような過去だ。知らない方が幸せになれる現実。
そうか、と蒼樹が呟いて。その声色が、少しの
「他になにか、知ってることはあるか?――例えば、宗教の話、とか」
肌に触れる温度が冷える。人知れず上がった心拍数を悟られないように目を閉じて。対し、宗教?と首を傾げた二人にやがて蒼樹は手を振った。
「――いや、いい。……ありがとう。君らも病み上がりなんだ。今日はここら辺にしておこう。明日からまた手伝って欲しいこともある。今はゆっくり休んでくれ」
不思議そうな表情のまま彼らは立ち上がって。蒼樹が貸し出した部屋の奥へ消える寸前、女が思い出したように立ち止まった。
「……宗教、かは分かりませんが……。二人はよく、〝お母さん〟と言ってました」
扉の閉まる音がやけに大きく聞こえていた。辛うじて誰かが口にした、絞り出すような反応と就寝の挨拶を最後に、三人は黙りこくって。
「……お母さん、って。教祖の事だったりすんのかな。人を死から救えるって、信じたって、それっぽいこと【女王】が言ってた」
静けさを破った海月の呟きに真実が少し背筋を伸ばした。
「そうだろうね。――【王】も言ってた。騙されたって」
「騙された……か。だとしたら、その二人がほんとに教徒だったかも微妙なとこだな」
ふと思い出し海月は真実の名前を呼んだ。
「あそこに居た群れって、やっぱあの人が言ってた皆って認識?」
「……多分ね。けど、おれはあれがほんとに完全な【戦士】だったとは思わない。骨が残ったんで」
絶句。人体実験、戦争の文字列が脳をチラつき、不穏な空気が充満して。思考に集中するように、蒼樹は目を伏せたまま動かない。耳がおかしくなるほどの静寂に、三回のノック音が軽く浮いた。
「――蒼樹さん、結果出た、けど……」
まるで通夜のように。およそ人間三人が居るとは思えないほど静まった空気感に、そう入ってきた
礼とともに、彼女は彼の持ち込んだ書類を受け取って。灰緑のタレ目が、読み進めるにつれて苦々しく細められた。
「……やっぱり、か。……参ったな」
その小さな呟きに、ここまでの嫌な思考を振り払おうと海月はあえてあっけらかんと首を傾げる。
「なんそれ。例の研究の?手伝ってもらうとか言ってた」
「いや。そっちはどちらかと言えば私個人の用事だ。これは別件」
無言の問いに蒼樹の視線が向く。海月の頭では理解できるはずもない書類の難しい文面を見せながら、蒼樹は口を開いた。
「【王】の血液の成分だ。未遥の服にたっぷり付着してたから調べてたんだよ」
「へぇ。なんか分かんの?」
「うん。抗体は血液中に含まれるものだ。彼がドールなのかゲンガーなのかが分かる」
感心。直後、疑問が生まれた。
「……え、【王】ってドールがなるもんでしょ?わざわざ調べる必要あった?」
「ないな、本来は。……ただ今回は例外」
目の前の机上に書類を投げ置いて。彼女の表情に焦燥が滲む。はっきりした、と蒼樹はそれを睨みつけた。
「……抗体の正常な反応がない。【
沈黙。理解の追いついていない少年らへ、無慈悲なように蒼樹は淡々と続けた。
「ここまで来ると、ただの模倣犯であって欲しいまであるな。──教団は
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