第十四夜 刺客と師

 振り下ろされた刀を咄嗟とっさに機械の腕で受け止めると、耳障りな金属音とともに火花が散った。


 体型は双方同じようなアスリート型、その上背丈もしっかり恵まれたまるで彫刻の。だが戦闘素人の海月かづきの身体はその経験のともなった質量に容易たやすく吹き飛ばされた。怒涛どとうの、その無駄のない立ち回りに海月の身体はただ生傷が増える。


 一際ひときわ、大きな予備動作。俊敏しゅんびんなそれに身体は追いつかず。横へ振るわれた刀が、海月の腹部を一文字に切り裂いた。


「あッ、ヅ――っ」


 熱のともなう激痛。壊れたような流血。膝をついて、信じられない量の鮮血を見た。自分のものだと認識できない、もはや他人事のような深い負傷。海月は男を見上げた。ひゅうひゅうと、水が混ざったような呼吸音。


 べったりと付着した海月の血糊ちのりを、男は涼しく振りはじく。風を斬る音。その刀の先端が、海月の喉元へ向けられた。


「遺言あるか?言ってもええよ」

「……はは、ッ。意外と、あるんだ。慈悲じひ

「ないなら黙っとけ。騒ぐと苦しいで」


 押し当てられた刃の先、薄く皮膚に穴が空いて。細くにじみ出た血液が黒地のシャツを汚した。かゆみにも似た不快な痛みが小さな主張を繰り返す。


「……――あの、さぁ」


 男を見上げ、海月は熱に浮かされたようにぼんやりと呟いた。静かな視線が返る。


「『飼い主』に呼ばれてんだ、僕。戻って来いって」

「……そうか」

「死んだらさ、殺されちゃうんだよね」

「そりゃあ、残念やったな」


 無慈悲に刀が振り上げられ、迷いのない一太刀が海月の首へ。


 ――いたるより速く、海月はその寸前で刃を握り受け止めた。細部まで手入れの行き届いた刃は掌を豆腐のように切り裂く。だが。離さず、自ら握力を強めて。開いた瞳孔どうこうで、海月は不細工な笑顔を浮かべた。


「でも生きてたらご褒美だって約束したんだ……!死ねるわけないよなあ!」


 そのまま刀を引き男の体勢を崩す。知能の低い野性的な反撃にようやく男は動揺を見せた。


「な……」


 胸ぐらを掴み口を開けて。男の喉元、ゴツゴツとあまり美味しくはなさそうなそこへ噛みつく。


「――ヅぁッ」


 男の呻き声。次に身体に引き剥がすような蹴りが入る。体勢を立て直し彼を見ると、鎖骨の辺りを押さえこちらを睨んでいた。急所は外してしまったようだ。袖で乱暴に拭い口に残った小さな肉片は飲み込む。


 蠕動ぜんどうした喉を見て、男は絶句する。


「食っ……、」


 その様子に、海月は挑発的に舌を突き出した。


「案外美味いんだね。ごちそーさん」


 男は顔を引きらせて笑う。


「へぇ……〝異食〟って、そうか。自分……イカれとるよ」

「そおかなァ。褒められるの大好きなんだよね。そのためならなんだってする」


 男は刀を構え直した。更に濃くなった殺意に細く息を吐く。


 その時、構え直した刀が妖しげな気をまとった。不穏な雰囲気に海月は警戒を強めて。その正体が彼の副作用だと、本能がそう察知した。身近になった死に、すっかり慣れてしまったそれに不思議と気分がたぎる。


「手加減せんからな。死んでも文句言うなよ」

「死ぬ気ないけど。せめて一発貰った分のお返しはさせてよ」


 先に動いたのはどちらだったか。振り下ろされる刀を防ぎつつ、未完成の体術を叩き込む。


 振り上げた脚が男の手に命中。重たく弾かれた刀が宙を舞った。からんと乾いた音をたてて落ちる。チャンス、と海月の接近と、男の二本目の刀が抜かれるのはほぼ同刻であった。


 海月の身体に刀身がいたる、その寸前で。


 ぎち、と張り巡らされた鎖によって両者の動きが封じられた。時間が止まったかのような拘束に、ひとつの足音が近寄る。


「こら君たち、なぁにやってんの」


 身体の力が抜けて、海月は燈莉とうりの名を呟いた。拘束が解かれ、燈莉の圧に二人は押し黙る。


「もう、海月君は後で説教だね。……んで?杜也となり君は何の用かな。君たちは僕らとあまり喧嘩したくないんじゃないの?」


 その笑顔の挑発に表情を曇らせ、杜也と呼ばれた彼は刀をさやに収めてから燈莉に向き直る。


「自分らと喧嘩は御免ごめんだな。ただ、この件は『浮浪兵ふろうへい』も『墓守はかもり』も関係ない。俺たちドールの問題や。……自分、そいつに襲われたんやろ。下手したら死んで、ゲンガーにも被害が行くかもしれんかった。もしそうなれば、掟破りじゃ済まんやろ。裏切り者には罰を。ここ何年もそうしてきたはずやないの」

「………あぁそうだね。確かに君の言う通りだ。でもね、彼はとして育てられて今日まで生きていたんだ。自覚症状が出たのだってつい最近の話。生まれ持った力も、使わなければびる。それは君も知ってるだろう?確かに僕は彼に食われかけたけど、今日はその力で仲間を守ったんだ。それでいいじゃないか」


 その言葉に、はっと『飼い主』の顔を思い出した。


「ッねぇ燈莉さん、未遥みはるは?」

「ああ。大丈夫。リンリンがついてるよ。今頃、蒼樹そうじゅが治療してるだろうね」


 優しい声色のまま、牽制けんせいするように燈莉は目を細めた。


「誰の依頼か知らないけど、海月君は別に無罪になったわけじゃない。猶予付きの死刑が決まってる。八重やえ様の決定だよ。そもそも、僕が首謀しゅぼう者だしね。彼はただの共犯者だ」

「…………もしそいつがまた暴走したらどうする気や」

「ははっ。……そんなこと、僕がさせない。まぁ……もしその時が来たら、僕が責任をもって葬儀するさ」

「………ッ…………裏切り者に変わりはねえ。ずっと狙われとると思うときや」


 彼は顔に影を落とし、髪をなびかせながら部屋を出ていった。ふぅ、と息をつく燈莉に、海月は患部を抑えながら立ち上がる。


「……誰?あの人」

傭兵ようへいは、まだ聞いてない?葬儀屋には僕ら『墓守』の他に監督してる傭兵団があってね。彼はその集団――『浮浪兵』の部隊隊員だ。まぁ、なに、『浮浪兵』は異端児の集まりだからね。あまり関わらないことをおすすめするよ」

「相当やばいんだね、じゃあ」

「どういう意味で言ってるんだい」


 演技じみた講義の声。燈莉は海月の顔を包み込むように両手で押さえて、はあ、とわざとらしい大きさのため息をついた。


「……正直、君がしっかり指令を守る気はしなかったよ。けどまさか、ここまでするとはね」


 ここまで、の理由にピンと来ず間抜けな表情で首を傾げる海月に、とうとう燈莉は破顔する。


「【女王】とは思わなかったけど。死屍守を食べちゃうところまでは想定内だったってことさ」

「……正当防衛だし。あ、死屍守よりは美味かった」

「それは聞いてないけどね。……全く君って子は……悪食だなぁ」


 海月はその言葉にわざとらしく鼻を鳴らした。


「だってあいつ、トナリ?……強かったんだもん。僕には食べることしか思い浮かばなかったの」

「正解ではあるんだよ。仲良くして欲しいけど、まぁ組織が分かれてるくらいだし。副作用ありの喧嘩はそんな珍しいことでもないからね。ただ、それを平気で出来ちゃう君に引いてるんだ」


 そこまで言うと燈莉はそっと海月の身体を抱き寄せた。想定外の行動に体幹が容易く揺らぐ。きらびやかな装いのままの燈莉と、血塗れの海月。汚すわけにはいかないと身を引きかけて、やめた。空気を読むのは得意だ。今は大人しくしているべきだろうと。それでも少しむず痒くて、迷った後海月は燈莉の背を軽く叩いた。


「──汚れるよ」

「構わないよ、そんなの」


 それ以外、何も言えなかった。微かに、彼の手が震えていた気がして。


 ──よかった、生きてる。


 多分、そう聞こえた。


 しばらくして、燈莉は何も無かったようにけろりとした態度で海月から離れた。


 視界が交わる。つぅ、と頬の傷を優しく撫で、燈莉は眉を下げて微笑んだ。


「──失礼。……まぁ、僕はこんなでも君の上司だ。部下が傷付くのは、あまり見たい光景じゃない。……が、今日は君のおかげで未遥君も無事だった。そもそも、の報告はなかったのにここまで被害を小さくできたのは凄いことだよ。よくやったね」


 くしゃりと頭を撫でられて。酷く久しぶりの感覚に海月は少し狼狽うろたえた。飼い犬としてでなく、後輩としての、弟としてのさがが。照れ隠しのように、海月は少しむくれた。


「さぁ、帰ろうか。美弥乃みやのさんのお叱りが待ってるよ」

「えぇ……やっぱ怒られるんじゃん」

「指令無視したことに変わりはないだろ?それはそれ、これはこれだ」

「ちぇっ、じゃあせめて帰る前に飯奢ってよ、

「ふふ、……可愛い後輩の頼みなら仕方ないね。どこかで食べて行こうか、何が食べたい?」


 熟考の末、「にく!」と元気な声が響き渡って。燈莉は楽しそうに笑った。


「君ってやつは……やっぱりぶっ飛んでるねぇ。この後で肉が食えるのか。――いいよ。未遥君とも相談しな。……けどその前に、蒼樹に治療してもらってよ。そんな血塗れじゃどこにも入れない」


 湿った暗闇に平和的な空気が流れて。合流した新人二人の元気な喧嘩を大人たちは面白そうに見守って。


 この後の食事が肉か寿司か。二人がそれで揉め始めるのは、また別の話。

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