第三章 正義に独歩す花あかり

『浮浪兵』。それはヨコハマの裏に生きるアウトサイダー共の総称。──初仕事の数日後、『廻命亭』の職人の元へメンテナンスに訪れた海月は、彼からとある依頼を受けた。

第十五夜 いつも月夜に米の飯

 心地よく、それでいて耳障りな振動が、少年のだる微睡まどろみを揺るがす。細身の体躯に残る、筋肉が強ばるような重い違和感。乱れたシーツに投げ出されたスマートフォンを手探り、寝起きのかすれた声で応答。


「……なに」

『──おはよう、か?今どこ』

「ご主人のとこ。なんの用」

『そうか。新しい依頼が来たんだ、お前宛の──』

「無理ぃ。この後も仕事詰まってんの知ってるよね」


 器用にスマートフォンを肩で支え、ベッド下に散らかった黒いシャツを拾い上げて。少年はそう遮るように悪態をついた。耳元の沈黙に一つため息。


「……聞くだけ。内容は?」


 ぱぁっ、と液晶の向こうから安心したような気配を感じとる。


『例の異食症のね。流石、だよ』


 異食症。その単語に、少年は微かに眉を上げた。


 ――が、すぐにムッと口を尖らせる。


「……残念だけど、今回はパス。急ぎなら他のやつに――」


 言いかけて、少年はふと口の端を上げて笑う。


「ちょうどいいじゃん。紗世さよに行かせれば。僕から言っておくよ」

『──や、待て、それは……』

「あいつに、傭兵として生きる覚悟がほんとにあんのか、試すのにはいい機会じゃない?それとも、僕の次の依頼、紗世にやらせる?──僕はいいよ。てか、紗世の方が上手くいくんじゃない」


 液晶の奥から、軽い怒りをはらんだ静止が入る。次いで、諦めたようなため息。


『分かった。伝言は任せるよ。──ところで』


 通信の切れる間際。探るような問いが投げられる。


『お前の主、のか?』


 その問いに、少年はまるで世間話のように、至って自然に返した。


「ううん」


 *


 鉄の焼ける匂い。工房の、油臭さと混じりあって。慣れた鼻は不快を訴えることなく大人しい。


「ありゃぁ……派手にやったな」


 腕をかたどったボロボロの機械を睨んで、志織しおり呆然ぼうぜんと唸った。気まずく、海月かづきは笑う。


「最初っから戦うつもりはなかったんだって。想定外って、志織さんも聞いてるでしょ?」

「あぁ……それは、分かってるよ。そうじゃなくて、そもそもよくこの腕で戦おうとしたなってさ」

「んへへ」

「……取りえず、まずはちゃんと測らせて」


 手際よく。己の義手が作られていく様を、海月はぼけっと眺めていた。穂村ほむら志織。八重桜やえざくら家に雇われるドールであり、金属工芸の職人。副作用である金属操作により効率化された作業時間が葬儀屋たちの働きを支えている。


作業を続ける志織の隣。暇に足をぶらつかせて、海月は自身の首に下げられた認識票ドッグタグを眺めた。


「ねー、この認識票ドッグタグもさ、志織さんが作ってんでしょ?なんか凄い機能あったりする?」

「……あぁ。認知出来んのは俺だけだが、ちょっとしたGPSになるよ。不破ふわみたいに、戦場に出る葬儀屋の人間はどこで何があるか分かんないからな。仮に瀕死で戦場に放置されれば乗っ取りのリスクは上がる。そういう時に便利だよ、それは」

「すげぇ……けど、どこいっても足跡つくってこと?」

「なんだ?……あぁ。ホテル行く時は外してけよ」

「ッはあ!?なんっも言ってねぇ!」


 志織はケタケタと笑いながらも溶接を続けて。生きているように金属が機械の一部へと変化していく。


「……つーかさ、『墓守はかもり』と『浮浪兵ふろうへい』って仲悪いの?」

「――仲悪いって言うか……単純に、その二つは仲間って感じでもないと思ってるけど。目指してる結果は同じでも、それを導くための正義が正反対だ。『墓守』は個が強めでも逸世はやせ――当主の決定には協力的だろ?『浮浪兵』は知ってるだろうがそもそも傭兵ようへいだ。自我の塊のやとわれ兵。〝共生〟って同じ目的があるだけで、アイツらはそれが正義なら平気で当主に武器向けるような奴らだ」

「……なんで、そんな奴ら監督してんの?」

「『浮浪兵』からしか得られない情報もあるからじゃないか?目離すのも危ねぇしさ。大前提、『浮浪兵』には傭兵としての依頼人が別に存在する。葬儀屋の業務だってあっちからすればそういった依頼の延長でしかない」

「治安悪ぃー」

「その通り。……はぁ、だから、お嬢もあんま関わんないでほしんだけど……」


 小さなねじが締められる。既に作業は微調整に差し掛かったようだ。仮装着も、元から生えていたような安定感に惚れ惚れする。


「お嬢、誰?」

「……八重桜の長女だ。当主の妹。唯一の肉親でさ。二ヶ月前くらいに家出したきり帰ってこない」

「なんで?思春期?」

「……奥様が亡くなられてから塞ぎ込むようになったんだ。学校も行かなくなっちゃったし。当主は忙しいから、俺も精一杯ケアしてたけど。やりたいことがある、って。大丈夫だから、探さないで欲しいって言われてそれっきり」

「……ふーん。まさか、そのお嬢って人が傭兵に?」


 沈黙。その態度のわかり易さに思わず頬が緩む。


「そーなんだ」

「あくまで推測だよ。ただ……他に思いつかないんだ。連絡だってずっとつかないし……はあ……、逸世は好きなようにさせろっつーけど、傭兵だぞ?」

「ふえー。とーしゅ様、放任主義?」

「そうでもない。ただ、旦那様も奥様まで亡くされて……多忙なんだよ、あの人は。自分だってお辛いだろうに、悲しむ暇もないくらい公務が寄せられる。逸世が〝逸世〟でいるのを見たのは、もう随分前だ」

「うーん。てか、ゲンガーも受け入れるんだね、『浮浪兵』。意外」

「『浮浪兵』の支配人も、そもそも逸世だってゲンガーだからな。『廻命亭かいめいてい』所属のゲンガーが居ないわけじゃない。お前のとこの世良せらだってゲンガーじゃなかったか?」

「そーなん?それは初知り」


 確かに彼が死屍守と直接戦っているのは見たことがない。海月は新しくなった左手を握る。丈夫で、それでいてしなやかな。精巧せいこうな作りのそれは大きな遅れもなくしっかり機能して。志織は、静かに海月の名を呼んだ。


「俺から、お前に依頼したい。お嬢の捜索だ。紗世……お嬢のこと、『墓守』に勧誘してくれないか?」

「……それ、僕に頼んでいいレベルのやつ?もっと適任いると思うけど」

「正直、お前にしか頼めない。大和やまとにも、事情は俺から話しておく。頼むよ」


 大人の。すがるような、丁寧な。断る理由も、特に思い浮かばず。気がつけば海月は頷いていた。


 *


「――却下だよ。僕はパスで」


〝家〟に燈莉とうりの声がストンと落ちた。


「同じく。聞く限り、俺の出る幕じゃない」


 りんもそう続いた。眺めていた写真付きの資料を机へ投げ置く。美弥乃みやのによって集められた会議。『廻命亭』のお嬢様勧誘作戦とされた志織の依頼。乗り気な人間は、いなかった。「お前にしか」の意味を理解する。かつて燈莉が言っていたように、傭兵とはやはりなるべく関わりたくはないらしい。沈黙を決め込んだ雰囲気に、蒼樹そうじゅはひとつ、つまらなそうに欠伸あくびをして。


「……仕方ないな。海月、私と行こっか」

「え」

「なぁにびっくりしてんだ。そもそもお前が貰ってきた依頼だろう?……そうだな、――ミケ、一緒に来てくれる?」

「っ、おれですか?」


 名指しを受けた真実まさねが猫のように肩を震わせて。蒼樹はふにゃ、と微笑んだ。


「他にいる?未遥みはる、ゆい、ちょっと相棒借りてくよ」


 流れるように。反対意見は無し。蒼樹はよし、と小さく息をつき、席を立った。


「二人とも、明日はお出かけだ。寝坊するなよ」


 おやすみ、と言い残し蒼樹は自室へ戻って行く。呆気あっけなく、その一声で会議はお開きとなった。



 硬いパイプベッド。中途半端な体勢で寝そべり、海月は天井を見つめた。ベッドが占領せんりょうされ悪態あくたいをつきながらも、未遥は布団を広げて。


「寝るなら寝ようぜ、電気消すぞ」

「……さすがに早くね?まだ九時だけど」

「知るか。俺は眠い」

「え、赤ちゃん?」


 起き上がり、薄手のタオルケットに包まる未遥の背中を見つめた。薄暗さの中、影が少しうごめいている。


「夜更かし苦手なの?」

「……うん」


 そのふやけた返事に思わず吹き出した。


「それ致命的じゃね?お前の副作用夜限定じゃん!」

「うっさ……」


 ふと。記憶の片隅、任務の直前彼が飲んでいたエナジードリンクの存在を思い出す。その意図を想像しツボにはまった。


「なあ、せめてあと一時間頑張ろ?ゲームしよ」

「むり」

「おねがい、僕、ごほーびまだ貰ってない」

「こんど……」

「ちぇっ……あ、――負けるのビビってる?」

「…………上等じゃねぇか」


 眠気のえきった目で飛び起きた未遥は備え付けられたテレビの電源をつけた。あまりの扱いやすさに多少心配になりながら、海月はいそいそ彼の気が変わらないうちにとコードを繋げて。〝家〟の狭い一室、ささやかに開催された大乱闘大会。もちろん白熱。騒ぎを聞きつけた隣室の唯葉ゆいはと真実も参加し、次第に持ち寄られたジュースと菓子が広げられて。二本目の炭酸飲料が空になる頃、「寝ろ!」という臨の見回りが入るまでその宴は続けられた。


 次の日、案の定未遥は起きて来なかった。

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