第十三夜 悪食、それ異端故

 巨体が動き、老朽ろうきゅうした建物を揺るがす。【女王】は死屍守の内部。安全圏であるそこからこの巨体を操っているのだろう。死屍守の腕が海月かづきを捕らえようと迫った。いくらか身軽に感じる自分の身体は、雑で大振りな死屍守の攻撃を容易たやすかわす。


 その時、眼前に迫った異形の腕へ被弾。


「――海月、多分【女王】自体はもろい。隙くらい作ってやる。中直接叩け!」

「あはっ、任せろって感じ」


 内部にて、この巨体を操るなら考えられる隠れ場所は頭か胸。追撃は未遥に任せ至極しごく色の恐らく血液を垂れ流す腕を足場に跳躍ちょうやく。ぎょろりと向いた単眼へ刺すように蹴りを入れて。潰れた目玉から血液とも言えない、得体の知れない液体がく。ここでは無い。ならばやはり、狙うは心臓。


 目を潰したのは好都合だった。視界を失い派手にバランスを崩した巨体が倒れる。無防備にさらされた胸部。肋骨の浮いた、腐りきった屍肉。重力に従いそこへ落下。筋肉質故の重い体重は落下速度に拍車をかけた。巨大な弾丸となり、海月は死屍守の胸を穿うがつ。もろくも、太い骨の割れる音。至極色が噴き出す。焦燥を感じる再生に機械の腕を突き立て阻害。


 逃がすものか。


 まだ戦闘を想定していない機械の腕は海月の粗雑そざつな動きに悲鳴をあげた。構わず、海月は再生を繰り返す死肉をえぐる。救済と正当化された暴力で、暴れる死体を噛みちぎる。


 死をもたらすその暴力に既に抵抗はない。自分が生き残るために。自分の正義を、目的を貫くために。ただ死人を。死ぬことの出来ない死人をとむら生業なりわい。葬儀屋たるもの。如何なる死も、恐れている暇はないのだ。


 ずるりと、食い剥がされた肉壁から【女王】が顔を出した。腐臭に覆われ、変わり果てたその姿。呆気なく戦意をなくした女の胸元、そこで淡くこぼれ出た核を力任せに引く。


 ぶち、と太い管が千切れた。吐き気を催す腐臭がするそれに、海月は犬歯を突き立てる。心臓の真似事。その生あたたかい痙攣けいれんが身体を伝う。飲み込もうとは思えない肉の味。それなのに、気分は満たされて。


 ――いただきます。


 喉の蠕動ぜんどう。ゴムのように固く、しかし砂っぽい舌触りに、どろりとした酸っぱい生臭さを嚥下えんげする。



 死屍守の、崩壊。あたりは異様に静かであった。見渡して、口の周りの不快感を舐めとる。海月は銃を手にしたまま固まっている未遥みはるに歩み寄った。


「……お、お前、……海、月」

「──未遥、銃上手くない?僕にも教えてよ」


 未遥は分かりやすく怯えていた。他でもない、目の前のがらんの人形を見つめて。


「おま……、くった、……のか……?」


 可哀想に、未遥の声は震えている。まるで凍えているように、カタカタと手の震えが伝って銃が音を立てていた。海月はその畏怖いふを上書きするように優しく微笑む。


「うん。僕の副作用」


 自分で事実を確かめるように、ゆっくりと言う。何故だか、あれほど感じていた不快感はなく、海月の身体はこの事実を受け入れていた。その余裕さが、余計に未遥を不安に追いやった。


〝異食〟。海月の副作用。本来、如何なる場合でも死屍守を喰らうのは不可能だ。副作用の絶対条件である自覚症状は、幼少期、体内の抗体が感染した死屍毒を徐々に活性化させることで発症する。歳を重ねるとアレルギーを引き起こすそれと同様に、短い期間で一度に多量の死屍毒が体内に侵入すればたとえドールだとしても無事では済まない。死屍毒の宿主である死屍守を喰らえばそれこそ、命の保証はない。


 まして、その喰らう対象が【王】であれば。【王】とは元ドールである死屍守の名称。故に、その抗体を持っている。ドールの体内に存在していい抗体は一種だけだ。故に。死屍守を。全てを無条件で喰らう〝異食〟は異端の症状。死屍守よりも、遥かに化け物じみた。


「……そ、う」


 未遥の、その絞り出すような納得。表情はひどく青ざめていて、海月を見るその目は微かな後悔を帯びている。


「そう……か、……でも使うの……だめっ、て……」

「ルール違反、って言いたいんだろ優等生。……僕はお前まで殺したくなかった。それだけでまた騒がれんなら、そんな職場こっちから願い下げだね。未遥はなんも悪くない」

「俺じゃねぇ。……お前が、大丈夫なのか?お腹、壊さねぇの」

「……あぁ、んふふ、ま、腹減ってたし、満足」


 視線は無視した。まだは破壊されていない。あと一人、どこかに【王】が潜んでいるはずだった。あまり悠長にしていられない。負傷した未遥の薄い身体を抱え、海月は葬儀場を後にした。



「──乗り心地は五十点ってとこだな」

「振り落とすぞマジで。……それにしても、【女王】ってあんなに大人しいもんなの」

「知らん。俺だって初めて見たんだよ。でも、そもそもアイツら食うなんて有り得ねぇからな、普通。ビビったんだろ」

「ちょろくね?」

「調子乗んな」


 未遥を背負いしばらく歩いて、気が付けば二人は昇降口にたどり着いていた。ただ、入ってきたはずの扉は固く閉ざされ、外に出られる気配は無い。海月は扉の前で安定した瓦礫がれきの上に未遥を座らせる。


「今って【王】に閉じ込められてる感じか?」

「多分な。俺らこっから入ったし」

「だよな。じゃ、【王】倒したら出れるかな」

「……うん」


 未遥は海月の意図を汲み取ったように見つめた。一瞬の沈黙の後で、どこか不貞腐れたように。


「出れるようになったら、すぐりんさんに連絡する。中だと繋がんねぇから、先に出て待ってる。お前も終わったらすぐ帰ってこい。あまりに遅かったら


 首元に、じわ、と支配の感覚が思い出された。犬としての性が刺激され高揚に浸る。


「ご褒美、ちゃんと考えといてよ」



 廃墟の奥へ海月の背中が消えていくのを見届け、未遥は人知れず息をついた。待つしかできないもどかしさも、今はどうすることも出来ず。じくじくと足の痛みが主張を強めた。副作用の効果も、そろそろ切れる頃である。酷い眠気が、未遥を襲って。押し寄せた疲労と緊張。糸が切れたように意識がとんだ。


 *


 一つ靴音の反響。ねずみの気配すら存在しない、ただ果てしない静けさの。


「──は、あ……っ、」


 静寂せいじゃくに、思い出したように身体が不調を訴える。船酔いのような浮遊感に胃が浮ついて。恐らく、副作用の影響。使用頻度にまだ身体が追いついていないのだろう。身体を折り曲げ、激しく咳き込み嘔吐えずく。不純物のない黄色がかった体液。燈莉とうりの言う無力化は済んでいるらしい。


 口に残る不快感は消えず、未だ慣れない生臭さが身体に染み付いている。すん、と服を匂った。鼻がバカになっているのか無臭だが、帰ったら何より先に風呂へ行くべきだろう。


 ──ふと。クン、と首に突っ張る感覚。未遥。咄嗟に振り向いて、次に来る奇襲に反応が遅れた。わずかな殺気を避けきれず、掠めた頬から血液が一直線に空中へ投げ出されて。


「──ッ、!?」


 正体を捉えて、それはただの人であった。死屍守でも、【王】でもない。生きた人間。その証拠、首元にさげられた『廻命亭かいめいてい』の認識票ドッグタグ褐色かっしょくの肌によく映える銀色の双眸そうぼう氷刃ひょうじんのように海月を見据えていた。


 *


 時を、少しさかのぼる。


 遠くの方で微かに電子音が鳴っていた。薄く目を開けて、流れ込んできた記憶に飛び起きる。頭に鈍痛。気を失っていたようだった。痛みを振り逃しながらけたたましく鳴り響くスマートフォンを見て。着信を受けた液晶画面、『葛谷くずや臨』の名前。ようやく覚醒し、未遥は慌てて応答した。叫びにも似た食い気味の、安堵あんどを含ませた声が耳に飛び込む。


『……っ、ハル!無事か』

「せんせ……俺は平気、」


 そこまで言って、未遥は思い出したように声を詰まらせた。外部と連絡が取れる。すなわち。転げ落ちるように閉ざされた門に触れると、それは容易く開かれた。海月が帰ってくる様子はない。そもそも海月と別れてからそう時間も経っていないはずだった。何かがおかしい。


「ごめん、先生。助けて欲しい。に閉じ込められてたんだ、俺たち」

『ああ。司令になかったやつだな?怪我は。不破ふわは一緒か』

「い、ろいろあって、海月一人でまだ中にいるんだ。後で全部話すから、だから――」

『落ち着け。今、燈莉と蒼樹そうじゅも一緒に向かってる。すぐ着くから、安全な場所で待機、いいな?』


 見えない画面越しで、未遥は頷いた。通話の切れた後で、臨からの着信が溜まっているのに初めて気がついた。足を引きずり、そびえ立つ廃病院の全貌ぜんぼうを捉え顔が引きる。


「何してんだ、戻って来いよ。はやく……」


 風に木々がざわめき、廃れた建物がごうんと鳴って。深く息を吸って。未遥は海月の名を叫んだ。


 *


 風を斬るような金属音。軽やかで、それでいて酷く重たい圧の一方的な攻撃に逃げることしか出来ない。


「なあ、!ちょっとさ、落ち着けよ。お兄さん、葬儀屋の人じゃないの?」


 絶え絶えの呼吸で、その語りかけはなんの意味も成さない。その男はロボットのような冷静さで、正確に海月の急所を狙い続けて。ふと、彼から出た若い低音が理性的に言葉を並べた。


「……自分、『墓守はかもり』の新人やな?そんな匂いさせて、ここで何しとる」

「任務受けたんだよ。ちょっと話が違ってたけど、【女王】は倒せたはずだ。今【王】を探してる」


 ふぅん、と男は興味無さそうにそれを聞き流す。海月から視線を外そうとはしない。戦闘慣れした態度。


「自分、鈍いな。そんなもん俺がとっくに倒しとる」

「……!じゃあ、は」

「………それより、自称葬儀屋のお前さんから死屍守の気配がすんのは、なんか理由があるんか」


 冷たく鋭い言葉が刺さる。ぐ、と喉が鳴った。このやり方は本来有り得ないと、それは痛いほどわかっていた。ただ、向けられる本気の殺意。同じ人間ドールに殺されることだけは出来る限り避けたい。


「……きっしょいな。まさか死屍守な訳ないやろうけど。だいたい、そのものってより―――」


 近付かれ、筋張った太い指が腹に触れる。 心臓が跳ね上がった。


「こっからするんやわ」


 身体中から冷たい汗が吹き出た。口内がかわき、手が震える。恐らく、彼は全部分かっている。分かった上で、聞いている。耳元で、黒く笑った。


「―――美味かったか?」

「……ッ」


 海月は動揺して男を突き飛ばした。彼は顔色を変えずに動かない。


「……やめてくれ。こうするしかなかったんだ」

「やっぱ食ったんか」


 空気が冷えた。ふん、と鼻を鳴らしてわらって。


「俺は別にどうだっていいけど、悪いな。仕事なんや」


 音もなく抜刀。男は座った目で刀を振り上げた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る