第十七夜 浮浪の桜

「ッ海月かづき君!?」


 そう呼ぶ怒声のような叫び声。真実まさね咄嗟とっさに、飛び退く少女を捕らえようと地面を蹴って。


 直後。


 海月の視界が、真紅に染った。降り注ぐ、雨のような鮮血が。


「――が、ッ」


 少女の手から生成された、濁った色をした槍状の物体が真実の胸部を貫く。


 地面を蹴った勢いはカウンターとなりかえってその衝撃を倍増させた。彼の身体から力が抜けていくのが、彼の胸から鼓動の度噴き出す血液が、やけにゆっくりに見えて。見なくても分かる致命傷。真実の血を赤々と浴びた鋭利な、太い槍。それは弧を描いて少女の手元に戻った。


「まさ――、」


 ビッ、と耳元を不穏な冷気が刺すようにかすめた。頬から静かににじみ出た鮮血に硬直する。何が。何が起きている?


 理解の追いつかぬ間に少女は槍を向けて突進。再び冷たく濁った斬撃ざんげきが海月を襲う。避けきれない、その速さと小ささに生傷なまきずが増えて。


 ――ドールだ。


 この殺意の種類には覚えがあった。恐らく、傭兵ようへいの。だが。


 風があおり、彼女の羽織っていた上着のフードが脱がされる。艶のいい黒髪がなびいて。少女は不気味なほど冷静だった。ただ虚ろな目に静かな殺気をたたえ、こちらをじっと見つめていて。一段と空気が冷える。


 彼女の顔を見て混乱した。間違いなく、〝家〟で見た写真の顔。八重桜やえざくら紗世さよ。八重桜家の長女だ。


 そして燈莉とうりが言っていた。八重桜家は、ゲンガー純血の家系。


 だから彼女が、ドールであるはずがない。


 ちら、と後方を見た。倒れた真実の下に乾いた血溜まり。焦りが募った。相手は人間。腹部に深く刺さった凶器がじくじくと集中を削いで。未遥みはるのように担いで逃げるのは非現実的だった。まして、戦うなど。


 目だけを動かし蒼樹そうじゅを探す。どこかで騒動の後処理をしているはず。彼女なら真実も、どうにか助けてくれるだろう。だからせめて、彼女が来るまでの時間稼ぎを。


 状況に適応した己の身体はそれでも幾分いくぶんか軽かった。つくづく便利な主作用だと、海月はナイフに手をかける。抜かない方がいいのだろうが、如何せん邪魔だ。先程借りたナイフも既に真実に戻している。これ以外に武器もない。相手は初めから戦闘モード。話は通じないだろうし、ここで己が戦わなければ二人死ぬ。細く息を吐きながら、腹の凶器を引き抜いた。熱をともなう痛みに顔をしかめて。己の血が滴る凶器を彼女に向け睨みつける。


「……急に痛いじゃん。なんのつもり?」

「……命令」


 少女が間合いを詰める。痛みに強ばった身体に鞭打ち攻撃をかわす。


 頼りない凶器の短い刀身で彼女の攻撃を受け止めて。こちらの焦りを感づかれないように、低く唸るように言う。


「――君、紗世ちゃんだろ。傭兵の誰に命令されたか知んないけど、多分それ騙されてるから止めときな」


 サッと、紗世の目の色が変わる。冷たい人形のようだった表情が嘘のような、熱に浮かされたような狂信的な怒り。


「……雨音あまねは、私を助けてくれたんだ。雨音を悪者扱いする人は許さない」

「は、ぁ……?」


 その時。腹部の傷がサアッと乾いた。赤く黒ずんでいたシャツから色が抜けていく。それに引きずられていくような、なにかが抜け落ちていくような無質量の不快な痛み。


 ふと、視界に映った己の腹。晒されたそこの健康的な肌色は、病的なまでに青白く変色していく。


 まるで漂白される衣類のように。


「――ッ、なん……これ、」


 乾いた酸素を吸い込みあえぐ。口内から水分が失われる不快な異物感。現実を映し乾いた目を思わず閉じて。


 視界から外した少女が、殺意を振るう気配。



「――海月!どきな!」


 はっと、聞き覚えのある声に目を見開いた。痛みを無視し咄嗟に横へ転がり、目前まで迫っていた紗世の攻撃を避けて。すぐ横を掠めて行った何かが、少女の露出した脚へ張り付く。


「痛いの、痛いの──」


 身体を支配していた不快感は、血液が巡る感覚とともに消え去った。彼女の脚に張り付いたそれ。片足を損傷した紙人形。息の上がった様子で、それを投げた本人である蒼樹は声を荒らげた。


「――飛んでけぇッ!」


 直後、紙人形は溶け込むように足へ同化。鈍い音と短い悲鳴の後、紗世はバランスを崩しその場で倒れた。ぺたんと力が抜けたように。彼女の足は青黒く変色する。どこか見覚えのある痣。痛みからか少女の顔が微かに歪む。


 ぱたぱたと軽い靴音が近付き、疲労を薄く含んだハスキーボイスが頭上へ降った。


「悪い、海月。怪我は」

「……僕はへーき。それより――」


 振り返り、ようやく真実が身体を起こしているのに気が付いた。壁にもたれて、多少顔色は悪いが無事そうだ。ふと目が合って手を振られる。


「……自分で傷口焼いてくれてたんだ。ミケじゃなかったら危なかったよ」


 海月の怪我を治療しながら。あっけらかんと言った後で蒼樹は真剣な表情に戻し、座り込んだまま動かない紗世に近寄った。目線を合わせるように膝をつき、諭すような口調で彼女に問う。


「一旦足、折らせてもらったよ。私の質問にちゃんと答えてくれたら治してやる。……君が紗世ちゃんだな?なんで二人を襲ったの」

「……私の目的はその人だけ。マスクの人は邪魔したから」


 その人、と視線を向けられ海月は首を傾げた。彼女は構わず続ける。


「あなたは生きてちゃいけないって、言われた。だから、殺さないと」


 きろりと睨まれ、強まった殺意に身構えた時、容赦のない蒼樹の手刀が紗世の急所を打った。小さくうめき、白目を晒す少女に蒼樹はやれやれと肩をすくめる。


「まったく、八重桜の子とは思えないな。誰の入れ知恵だ?」

「……容赦ねー」

「うちの子の命のが大事だ、当然だろ。加減はしてる」


 蒼樹はそそくさと真実のもとへ向かう。少し考えてから、海月は紗世の身体を持ち上げ後を追った。


「わりぃ、油断してました。……その子が例の……連れ帰るんです?」


 真実は胸を擦りながら不安そうに首を傾げて。衣服に付着した血液は、真新しい染みとなって彼の身に起きた事の悲惨ひさんさを物語っている。


「あぁ。勧誘の前に、色々聞きたいこともあるからな。ひとまず〝家〟に戻ろう」


 *


 廃業したカジノの、その一室。後付けされた麻雀卓マージャンたくに少数の大人がたむろする。ありとあらゆる娯楽ごらくが無理やりに詰め込まれた異質な遊技場。酒と煙草たばこの匂いが汚れた金に染み付いて。


 その喧騒けんそうから離された、改装の跡の残る防音室。ソファに寝そべる少年の元へ大きな影が伸びる。


「ほら、綾那あやな。こないだの報酬だ」

「ん……わぁい、遅かったね」


 白い大きめな紙袋を手渡し、やってきた男はわざとらしくため息を吐いた。


「そもそもお前の依頼料だけで良い中古車買えちまうくらいの額取られてんだ。早い方だろうが」

「でもそれを知って僕を指名したのはお前らでしょ。僕はちゃんと働いたし、お金の文句はマスターに言ってよね」

「……チィッ、文句はねぇよ。――また頼むぜ」


 言われ、少年は返答しなかった。既に意識は報酬の中身へ奪われていて。直近の新作ゲームタイトルと二台の最新ゲーム機。数日前。彼の元へ舞い込んだ、一組織の転覆てんぷく依頼。ドールによって構成された二つの反社勢力の、その組織の対立と抗争への予防線として。これは証拠を残さず相手をほふる彼の副作用の、その高い殺傷さっしょう能力を買った組織の長へ彼が要求した報酬だ。彼の前では人の命は娯楽ごらくより軽くもろい。


 ――一晩のうちに組織は全滅。遺体は血痕けっこんのひとつも残さず消え失せて。まるで、初めから組織すら存在していなかったように。依頼通り、もはやそれ以上の仕事だった。要求された報酬とはあまりにも不釣り合い。


 男は少年の態度に苦笑をこぼして、手を挙げて身をひるがえす。それと入れ替わるようにまた、硬い革のソファに寝そべる彼の元へ二つの人影。


雨音あまね。依頼やって、こいつ」


 杜也となりに連れられ、小太りの中年が向かいの椅子に座る。少年──綾那雨音は体勢を変えようともせず、男のひたいに滲む大粒のあぶらっぽい汗を嫌そうに見つめた。


「何、手短に言って。僕忙しいの」

「こ、ここ、殺して、欲しい奴がいる。俺の上司だ」


 焦点の定まらない目で。この錯乱状態からに手を染めているのは明らかだった。もっとも、その粗雑そざつき方から見て新参しんざん者だろうが。


「……それ、僕じゃないとダメ?気分じゃない」

「あ、ああんたの能力が必要なんだ!証拠を何一つ残したくない!報酬は倍出す!」


 舌打ち。付き合ってられないとでも言いたげに、目も向けずに手を払う。


叡士郎えいしろうのがその道のプロだろ。ちゃんと調べてから来いよ。……わかったら行って」


 冷たくそう突き放し、雨音は手元のゲームへ視線を移す。その態度に、男は顔を不細工に歪めて立ち上がった。


「このガキ……舐めやがって――ッ」


 雨音の頭上へ、その熊のような太い腕が伸びた。ガタ、と家具がぶつかり合う騒音。身勝手な怒りが向けられ、少年の小さな頭が掴まれる。


 ――より早く、その肉厚な首を背後から刀が突き破った。喉が潰れ、かれた蝦蟇蛙ガマガエルのような短い悲鳴が落ちて。貫通した刀を引き抜いて倒れる男の、寂しくなった頭を鷲掴わしづかみ、杜也は腹が震えるような低音で威圧した。


「俺の男に何する気や。殺すぞ」

「んは、杜也ぃ、もう死んでるよ」

「……わり。……こいつ、やーっぱ薬やっとるわ。ったくしょーもない」


 刀にこびり着いた粘性ねんせいの血液を男の衣服でぬぐう。そのまま死体を探り、胸ポケットから飛び出た男の薄い財布を取り出した。


「……警官やないか。何してんだか」

「このおじさん、殺そうとしてまで僕をやとおうとしたんだ。ちょっとおもしろ」

「なんや。受ける気か?」

「まさか。やぁっとゲーム届いたんだよ。やるでしょ?」

「やる」


 横の死体の存在は、その一瞬のうちに無いものとされて。複数のゲームタイトルを見比べながら狭いソファに身を寄せ合う様子は、殺伐さつばつとした娯楽ごらく場と結びつかない年相応のむつまじさである。


 ふと、杜也が口を開いた。


「紗世、どこいってん」

「僕の仕事変わってくれた。依頼がダブってさ」

「……お前は何しとったの」


 少し悩んで。雨音は杜也を見て微笑んだ。


「接客」


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