第十七夜 浮浪の桜
「ッ
そう呼ぶ怒声のような叫び声。
直後。
海月の視界が、真紅に染った。降り注ぐ、雨のような鮮血が。
「――が、ッ」
少女の手から生成された、濁った色をした槍状の物体が真実の胸部を貫く。
地面を蹴った勢いはカウンターとなり
「まさ――、」
ビッ、と耳元を不穏な冷気が刺すように
理解の追いつかぬ間に少女は槍を向けて突進。再び冷たく濁った
――ドールだ。
この殺意の種類には覚えがあった。恐らく、
風が
彼女の顔を見て混乱した。間違いなく、〝家〟で見た写真の顔。
そして
だから彼女が、ドールであるはずがない。
ちら、と後方を見た。倒れた真実の下に乾いた血溜まり。焦りが募った。相手は人間。腹部に深く刺さった凶器がじくじくと集中を削いで。
目だけを動かし
状況に適応した己の身体はそれでも
「……急に痛いじゃん。なんのつもり?」
「……命令」
少女が間合いを詰める。痛みに強ばった身体に鞭打ち攻撃を
頼りない凶器の短い刀身で彼女の攻撃を受け止めて。こちらの焦りを感づかれないように、低く唸るように言う。
「――君、紗世ちゃんだろ。傭兵の誰に命令されたか知んないけど、多分それ騙されてるから止めときな」
サッと、紗世の目の色が変わる。冷たい人形のようだった表情が嘘のような、熱に浮かされたような狂信的な怒り。
「……
「は、ぁ……?」
その時。腹部の傷がサアッと乾いた。赤く黒ずんでいたシャツから色が抜けていく。それに引きずられていくような、なにかが抜け落ちていくような無質量の不快な痛み。
ふと、視界に映った己の腹。晒されたそこの健康的な肌色は、病的なまでに青白く変色していく。
まるで色そのものを奪われているかのように。
「――ッ、なん……これ、」
乾いた酸素を吸い込み
視界から外した少女が、殺意を振るう気配。
「――海月!どきな!」
はっと、聞き覚えのある声に目を見開いた。痛みを無視し咄嗟に横へ転がり、目前まで迫っていた紗世の攻撃を避けて。すぐ横を掠めて行った何かが、少女の露出した脚へ張り付く。
「痛いの、痛いの──」
身体を支配していた不快感は、血液が巡る感覚とともに消え去った。彼女の脚に張り付いたそれ。片足を損傷した紙人形。息の上がった様子で、それを投げた本人である蒼樹は声を荒らげた。
「――飛んでけぇッ!」
直後、紙人形は溶け込むように足へ同化。鈍い音と短い悲鳴の後、紗世はバランスを崩しその場で倒れた。ぺたんと力が抜けたように。彼女の足は青黒く変色する。どこか見覚えのある痣。痛みからか少女の顔が微かに歪む。
ぱたぱたと軽い靴音が近付き、疲労を薄く含んだハスキーボイスが頭上へ降った。
「悪い、海月。怪我は」
「……僕はへーき。それより――」
振り返り、
「……自分で傷口焼いてくれてたんだ。ミケじゃなかったら危なかったよ」
海月の怪我を治療しながら。あっけらかんと言った後で蒼樹は真剣な表情に戻し、座り込んだまま動かない紗世に近寄った。目線を合わせるように膝をつき、諭すような口調で彼女に問う。
「一旦足、折らせてもらったよ。私の質問にちゃんと答えてくれたら治してやる。……君が紗世ちゃんだな?なんで二人を襲ったの」
「……私の目的はその人だけ。マスクの人は邪魔したから」
その人、と視線を向けられ海月は首を傾げた。彼女は構わず続ける。
「あなたは生きてちゃいけないって、言われた。だから、殺さないと」
きろりと睨まれ、強まった殺意に身構えた時、容赦のない蒼樹の手刀が紗世の急所を打った。小さく
「まったく、八重桜の子とは思えないな。誰の入れ知恵だ?」
「……容赦ねー」
「うちの子の命のが大事だ、当然だろ。加減はしてる」
蒼樹はそそくさと真実のもとへ向かう。少し考えてから、海月は紗世の身体を持ち上げ後を追った。
「わりぃ、油断してました。……その子が例の……連れ帰るんです?」
真実は胸を擦りながら不安そうに首を傾げて。衣服に付着した血液は、真新しい染みとなって彼の身に起きた事の
「あぁ。勧誘の前に、色々聞きたいこともあるからな。ひとまず〝家〟に戻ろう」
*
廃業したカジノの、その一室。後付けされた
その
「ほら、
「ん……わぁい、遅かったね」
白い大きめな紙袋を手渡し、やってきた男はわざとらしくため息を吐いた。
「そもそもお前の依頼料だけで良い中古車買えちまうくらいの額取られてんだ。早い方だろうが」
「でもそれを知って僕を指名したのはお前らでしょ。僕はちゃんと働いたし、お金の文句はマスターに言ってよね」
「……チィッ、文句はねぇよ。――また頼むぜ」
言われ、少年は返答しなかった。既に意識は報酬の中身へ奪われていて。直近の新作ゲームタイトルと二台の最新ゲーム機。数日前。彼の元へ舞い込んだ、一組織の
――一晩のうちに組織は全滅。遺体は
男は少年の態度に苦笑をこぼして、手を挙げて身を
「
「何、手短に言って。僕忙しいの」
「こ、ここ、殺して、欲しい奴がいる。俺の上司だ」
焦点の定まらない目で。この錯乱状態から
「……それ、僕じゃないとダメ?気分じゃない」
「あ、ああんたの能力が必要なんだ!証拠を何一つ残したくない!報酬は倍出す!」
舌打ち。付き合ってられないとでも言いたげに、目も向けずに手を払う。
「
冷たくそう突き放し、雨音は手元のゲームへ視線を移す。その態度に、男は顔を不細工に歪めて立ち上がった。
「このガキ……舐めやがって――ッ」
雨音の頭上へ、その熊のような太い腕が伸びた。ガタ、と家具がぶつかり合う騒音。身勝手な怒りが向けられ、少年の小さな頭が掴まれる。
――より早く、その肉厚な首を背後から刀が突き破った。喉が潰れ、
「俺の男に何する気や。殺すぞ」
「んは、杜也ぃ、もう死んでるよ」
「……わり。……こいつ、やーっぱ薬やっとるわ。ったくしょーもない」
刀にこびり着いた
「……警官やないか。何してんだか」
「このおじさん、殺そうとしてまで僕を
「なんや。受ける気か?」
「まさか。やぁっとゲーム届いたんだよ。やるでしょ?」
「やる」
横の死体の存在は、その一瞬のうちに無いものとされて。複数のゲームタイトルを見比べながら狭いソファに身を寄せ合う様子は、
ふと、杜也が口を開いた。
「紗世、どこいってん」
「僕の仕事変わってくれた。依頼がダブってさ」
「……お前は何しとったの」
少し悩んで。雨音は杜也を見て微笑んだ。
「接客」
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