第十八夜 野蛮、天賦の才

蒼樹そうじゅさんご飯じゃないの?」

「カレーはパン派なんだ」


 平和な会話と食器が心地よく重なる音。夕食の、食欲を誘う香りが漂う〝家〟の共有スペースで。キッチンに立っていた臨と未遥炊事当番も席につく。食事のひととき、いただきますの声がそろって。それは死屍守の居ない、平和な夜の象徴だった。


「……後天性のドールか。これまた珍しい」


 口内のものを飲み込み、りんがそう唸るように言う。


「多分だけど。……てか、ありえるもんなの?」

「事例がないわけじゃない。だが俺が知ってるのは人為的なものだ。突然変異となると聞いたことがないな」


 人為的。その物騒ぶっそうな響きに思わず聞き返す。蒼樹の方が詳しい、と発言権が彼女に移された。こほん、とわざとらしい咳払いの後、蒼樹は真剣な顔で語り出した。


「――戦前からある教団で行われてた人体実験だよ。ゲンガーに死屍守の身体の一部分か、その死屍毒ししどくを移植してドールを創り出す実験。ほとんど失敗に終わって死ぬか死屍守に化けるかだったし、非人道的だって連中は捕まったけどな」

「うぇっ……ほとんどってことは、成功した例もあったの?」

「ああ。『浮浪兵ふろうへい』にも一人、精鋭せいえい部隊に」


 さすがとでも言おうか、その異端ぶりにおののく。隣で未遥みはるが首を傾げた。


精鋭せいえい部隊って、結局何人いんの?」

「五人だ。……いい機会だし、詳しく教えてあげるよ。まずは部隊そのものについてだな」


 精鋭せいえい部隊。その名の通り、『浮浪兵』独自のエリート部隊。最年少の戦隊長を筆頭に、『浮浪兵』に舞い込んだ依頼を回す、言わば心臓だ。その特徴として、部隊隊員のそのほとんどが前科持ちのアウトローな狂人集団。


「……これ聞いて、まだ関わろって思うか?やばいんだよ。あのアウトサイダー共は」


 吐き捨てるようにそう言って。ドン引く海月かづきと未遥の反応に満足したように、蒼樹は続けた。


「じゃあ隊員について。まずは戦隊長だな。綾那あやな雨音あまね。言った通り最年少だ。戦闘能力は部隊の中でもドールの中でもトップクラス。主作用は分かんないけど、副作用は自分の血液を操るってことだけ分かってる。こいつにだけ言えることじゃないけど、基本的にあいつらは抗体関係なく強い。冗談抜きで、変に関わるのはよせよ。……特に海月、お前はただでさえ目ぇつけられてんだからな」

「……未遥」

「遠慮しとくわ」

「おいなんも言ってねぇ」


 睨み合う男児だんじ二人は無視して。


「次は副隊長。さかき叡士郎えいしろう。こっちは最年長の、まぁ五人の中では普通な方だな。……狂人には変わりない。主作用は未遥と同じ聴力で、副作用が人体にも有効な物質の粒子化だ。こいつは能力も強いけど、単純に歴が長くて経験値がある。頭もおかしいやつだから、まぁ気ぃつけるんだな」


 軽い嫌悪をはらませた蒼樹の口調。ふと、頭に疑問が浮かび臨に向き直る。


「……リンリンの副作用って?」

「はっ倒すぞ。……俺は重力を操る。詳しく言えば軌道操作だ。動いている物体の軌道を変える」

「重力使いってやつ?かっけぇ!」

「……。ちなみに主作用は腕力」

「しってた」


 初対面で投げ飛ばされた末の、あの押さえつけるゴリラのような力。筋力には自信のある海月ですらピクリとも動かせなかったのだ。むしろそれ以外だった場合が恐ろしい。


「……次は軍医の蓮水はすみ朔夜さくや。あくまで私と同じ医者だ。戦場には滅多に出てこないけど、しっかり前科持ちの傭兵ようへいだからな。むしろ、金さえ払えばなんでもする性格は一番傭兵らしいよ。何はともあれヤバいのに変わりない。主作用は記憶力で、副作用はちょっとよく知らない。系だろうけどな」


 グラスの水をあおり、蒼樹は唇を舐めて軽く湿らせる。


「あと二人だな。一人は海月も知ってるはずだ。成瀬なるせ杜也となり。唯一、入隊前の前科がない子だ。主作用は持久力で、副作用は抗体の作用の強制解除。死屍守をどう殺してるのかは知らない。これは対ドールに特化した反作用の能力だな」


 ドールに特化。その言葉にかつて対峙たいじした時の緊張感がぶり返す。これもまた異端な能力。


「最後、明里あけさと玲於れお。彼女がくだんの成功例だ。死屍守の目を片方移植されたらしい。主作用は動体視力、副作用はそっちの目を見たやつを洗脳する能力。燈莉とうりの副作用とちょっと似てるな。あいつのも支配した対象を操る効果がある」


 以上だ、とでも言うように蒼樹は残ったパンの一切れを口へ放った。


「移植……紗世さよちゃんもその可能性があんの?」

「ないだろうけどな。言い切れるわけじゃない。隔世遺伝で、ゲンガーからドールが産まれる場合も、その逆だってあるわけだし。ただ八重桜となると……。ま、本人から聞いた方が確実だろうな」


 蒼樹は共有スペースの扉を見やる。タイミング良く、美弥乃みやのが顔を覗かせた。


「起きたぞ」


 *


 薬品の臭いが漂う真っ白な部屋。硬いベッドに横たわる紗世は怠そうに頭を動かした。


「おはよ、紗世ちゃん」


 光のない熨斗目のしめ色の双眸そうぼうが己を見返して。諦めたように沈んだ表情。かつての殺気はなかった。


「…………ころして」

「しないよ。聞きたいこといっぱいあんだから」


 目線で蒼樹にうながして。壁に寄りかかる彼女は腕を組みながら優しく問うた。


「……悪いけど率直に聞くよ。君を拾ったの、誰?」

「………」

「答えないと痛いままだぞ。海月とミケを襲ったのは、紗世ちゃん自身の意思じゃないだろう」

「…………私の、意思」


 紗世の目は蒼樹を真っ直ぐに射抜く。


「うっそだぁ。じゃ、言い方変えよっか。――海月が生きてちゃダメって、誰が言ったの」


 沈黙。嫌な汗が背中を伝った。少女の薄い唇が、閉ざされ、そして震えるように小さく開かれる。


「……おなかすいた」

「…………」



 小さな口に、カレーライスが運ばれていく。さすが名家の生まれか、食事の作法は上品に整えられ、育ちの良さがにじみ出ていた。強いて言うならば、ベッドの上というのが減点対象。


「おいしい」

「そりゃーよかった。……そのにんじん、俺が切ったんだぜ」


 未遥が得意げに鼻を鳴らして。幼い兄妹を見ているようななごんだ空気。それに絆され、蒼樹は少々やりずらそうに頬をく。彼女の雰囲気を察してか、カレーライスを綺麗に平らげ手を合わせた後で、紗世は満足そうに口を開いた。


「みんな言ってる。最近はこの人の依頼ばっかりだから」

「……あのさ、異食のこと言ってんなら、君のお兄さん公認だってば」

「傭兵と葬儀屋は別物。……雨音は嘘つきが嫌い」

「――な、ッ!?」


 雨音。蒼樹が声を上げる。聞くに新しいその名前に思考を巡らせる。綾那雨音。『浮浪兵』精鋭部隊の戦隊長。こちらの空気に構わず、紗世は続けた。


「雨音は私を助けてくれたんだ。私は……雨音の役に立ちたい」

「……それで僕を殺そうとしたの?じゃあそれソイツの意思じゃん。前も言ったけど、多分それ騙されてるから、やめときな」


 海月の言葉に紗世は目を見開く。


「雨音は私に居場所をくれた。雨音を悪者扱いする人は、ぜったい許さない」


 その整った顔を歪めて。狂信的な怒りにその場の人間は押し黙る。――ただ一人を除いて。


「だからぁ、それも前聞いたよ。具体的に何してもらったのか知らないけど、極端すぎない?君は僕自身になんの恨みもないんでしょ?」


 呆れたように薄ら笑って。海月は鋭く睨みつけてくる紗世の小さな顎を掴み無理やりに目を合わせた。野蛮やばんが過ぎる行動に薄く空気が凍り付くのを無視。


「――ね、そうならもっと平和に行こうよ。まだお互いのことも全然知らないじゃん。僕を悪者にするの、もう少し後で良くない?」

「……」


 紗世は言葉を詰まらせる。異論はないようだ。空の皿を手に突っ立っている未遥の名を呼ぶ。


「よし、じゃあ遊び行こ!未遥が奢ってくれるって」

「……――はあ!?」

「紗世ちゃん、好きな物ある?なんでもいいよ。食べ物とか」

「おいテメェ海月!!なに勝手に――」

「蒼樹さん、足、治したげてよ。話してくれたんだしさ」


 ぽかんと呆気に取られて。次第に状況を飲み込み、蒼樹はニヤリと悪そうに微笑。


「……朝までには帰ってこいよ。それと、可愛いおなごだ。丁重に」

「はいはーい」

「あっ、ちょ、……もう!待て海月!!」


 戸惑う紗世の手を引き、海月は医務室を飛び出て。追いかけていく未遥を見送り、蒼樹は一人笑う。


「……なんだ、あいつら。どこ行くんだ」


 入れ替わるように、怪訝けげんな顔で入ってきた臨に目線を送る。


「――すごいよ、海月は。アイツに似てイカれてる」

「……?」


 であろう彼を思って。机上で湯気を立てるマグカップを持ち上げ、ほう、と吐息をもらす。


「この依頼、あとはあいつらに任せよう。きっとあのワンツーが適任だ」

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