第二十一夜 罪を食む黒百合
「……ご無沙汰しております、
どこか他人行儀な兄妹の挨拶。そっとピリついた雰囲気が部屋に充満する。
「そんなに緊張しなくても……。兄は寂しいです」
「どうして、ここへ?忙しいのでは……」
たどたどしい
「話し合ってはどうか、と蒼樹が連絡をくれてね。大きな公務は全て済ませて、あとの細かなものは
珍しくしおらしい逸世の様子に、紗世は少し目を見張って。ぶり返した緊張も緩和したようだった。
「……てっきり、私にはもう愛想を尽かしたのかと」
「まさか。――まぁ……、そう思われてしまうのも無理ないですね。忙しい、とはただの言い訳ですから」
その前に、と逸世は背筋を伸ばす。変わらぬ笑顔。ただそこには『
「真面目な話は先に済ませておきましょう。――紗世
感情の乗らない冷静さ。公務に私情は挟まぬと、固い意思がそこにはあった。圧を込めているような様子は無い。ただ立場の違い故の威厳が。
「蒼樹に聞きました。
すぅ、と逸世は息を吸って。どこか酷く苦しそうに、それでいてゆっくりと、確かめるように真剣に。
「家出の理由は、私ですか」
紗世は口を
「兄様はなにも悪くありません。すべて私が勝手にやったことです。…………私は
腹を
「確かに、私は雨音に拾われた。けれど傭兵に、留まると決めたのは私です。――傭兵には独自の人間社会があります。様々な人間の
「負担なんて、!そんなこと――」
威厳の崩された、その人間らしく悲しい逸世の焦燥を、紗世はそっと、どこか突き放すように受け止めた。吹っ切れたように、そこに先程までの怯えも迷いもなく、ただひたすらに堂々と。
「分かっています。……兄様も、志織も、言えば負担など考えず寄り添ってくれると、
「――っ、」
強く、唇を噛み締めた逸世のそこが、白く色を失った。
「八重桜家は〝共生〟の象徴であるべき存在。ですが、
言葉の端が小さく震える。悔しさからか、
「……私は、ずっと兄様の妹でありたかった」
恐る恐る、兄の手が妹の頬を包んで。途端、糸が切れたように紗世は声を上げて泣いた。逸世の顔は苦痛に
「ごめん……っ、ごめんなさい……紗世……」
声を殺すような、絞り出すような逸世の謝罪。子どものよう――否、年相応のしゃくり上げるような泣き声で、紗世は逸世に
「俺が悪い。紗世を独りにした、……紗世の強さに甘えた俺のせいだ……っ、全部っ……許さないで……」
痛みを堪えるような
*
「――
ぽつりと、逸世が呼んだ。紗世は志織に預けられ、まだ赤く涙を
「巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。今回の件は全て、私の過失です。……紗世と一緒に帰ってきてくれて、本当に……ありがとう」
つられて、二人も
「――ところでさ、紗世ちゃんはこれからどーなんの?」
問いに、薄く逸世の顔に当主の威厳が戻った。
「そうですね。……理由はどうであれ、紗世が傭兵に行った事実は変わりません。その仕事に関わったことも。その上で『
その言葉に、
「どんな処罰も受けます。その覚悟はできている」
その兄妹そっくりな切れ長の目は真っ直ぐに逸世を射抜いていて。困惑の中どこか誇らしげに、彼は目を伏せた。
「紗世、あなたの正義は、なんですか」
不意にかけられたその問いに、一瞬紗世は戸惑いを見せて。だがすぐに、落ち着いた口調で言葉を
「私自身が、私を認めることです。私は八重桜家でゲンガーとして育ち、この二ヶ月傭兵でドールとして生きた。どちらの生も、私の財産です。……ただ正直、私はゲンガーが嫌いです。ドールだからと過去の偏見だけで、大した知識もなく、知ろうともせず、都合よくドールを使い潰し、それを是とするゲンガーが嫌いです。
「…………」
逸世は黙っていた。その言葉に秘められた覚悟を、その裏にあった葛藤を、時間をかけて正しく解釈するように、ただその美しい顔のままで黙っていた。
「――そうですか」
長い沈黙のあと、逸世はそれだけを呟いた。おずおずと、彼を見つめあげる紗世に、柔らかな微笑みを向けて。
「……最後にひとつ。――葬儀屋として、命をかけると誓えますか」
「――っ、はい」
ふふ、と逸世は眉を下げる。愛おしそうに妹を見つめ、やがて彼は志織の名を呼んだ。
「……帰りましょう。まずは身近な場所から変えなければなりません」
「――えぇ」
「兄、様……?」
どこか不安げに兄を呼び止めた紗世を、安心させるように彼は薄く背筋を伸ばした。
「あなたは八重桜家の長女であり、……私の自慢の妹です。あなたの帰りたいと思える家を、兄は再建してみせます。父上や母上が愛し、守ってきた八重桜家を」
「…………」
あぁ、この二人は。理由は分からない。ただズキンと胸が
逸世が静かに続けた。支配人としてでも、当主としてでもなく。ただ一人の少女の兄としての独白。
「――正直に言うなら、紗世には家にいて欲しい。ですが『墓守』も『浮浪兵』も、私は一度だって悪とみなしたことはありません。だから、私は紗世の選択を尊重します。……家とは、縛り付ける場所ではない。誰もが帰りたいと、心から思える場所です。……そう、あるべきだ」
ちら、と逸世の目が蒼樹へ向けられる。わかってるよ、とでも言いたげに彼女は微笑した。
「ひとまず私が預かるよ。ちょうど、部屋の狭さも恋しくなってきた頃だ」
「そう、ですね。……頼みます。――紗世の処分については、また後ほど連絡を」
去り際、志織が海月と未遥を振り向いた。ゆっくりと歩み寄り、深く頭を下げる。
「ありがとう。また、ゆっくり礼させてくれ」
少し寂しげなドアベルの音がかたりと落ちて。ゆったりとしたジャズ。薄い香水のような、落ち着いた不思議な香り。思い出したような寝不足に、少年少女の
*
何もない、果てない
立っているのか、座っているのか、または眠っているのか。自分の身体に感覚はなかった。ただ一つ、ここは夢の中だという確信だけが存在証明の。
誰かが、泣いている。
僕しか居ない
突然、無質量の嫌な重さが身体に加わって。押し潰されるような、どうしようもない不安感と、不気味ほど深い
ごめんね、かーくん
喉が震える。
――あぁ、そうか。
そうだった。
僕のせいじゃないか。
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