第二十一夜 罪を食む黒百合

「……ご無沙汰しております、兄様にいさま


 どこか他人行儀な兄妹の挨拶。そっとピリついた雰囲気が部屋に充満する。逸世はやせは気まずい沈黙を誤魔化すように頬をいた。


「そんなに緊張しなくても……。兄は寂しいです」

「どうして、ここへ?忙しいのでは……」


 たどたどしい紗世さよの問いに、「私が呼んだ」と蒼樹そうじゅが答える。肯定の後、逸世が続けた。


「話し合ってはどうか、と蒼樹が連絡をくれてね。大きな公務は全て済ませて、あとの細かなものはりんに任せてあります。……あなたに謝らなければならないことが、山ほどありますので」


 珍しくしおらしい逸世の様子に、紗世は少し目を見張って。ぶり返した緊張も緩和したようだった。


「……てっきり、私にはもう愛想を尽かしたのかと」

「まさか。――まぁ……、そう思われてしまうのも無理ないですね。忙しい、とはただの言い訳ですから」


 その前に、と逸世は背筋を伸ばす。変わらぬ笑顔。ただそこには『が立っていた。


「真面目な話は先に済ませておきましょう。――紗世、私の質問に答えてください。傭兵で、一体何をしていたのですか」


 感情の乗らない冷静さ。公務に私情は挟まぬと、固い意思がそこにはあった。圧を込めているような様子は無い。ただ立場の違い故の威厳が。


「蒼樹に聞きました。雨音あまね君に、拾われたのでしょう?あなたが傭兵へ行ったことは知っていました。志織しおりにも相談されましたから」


 すぅ、と逸世は息を吸って。どこか酷く苦しそうに、それでいてゆっくりと、確かめるように真剣に。


「家出の理由は、私ですか」


 紗世は口をつぐんだ。震えるように首を横に振って。凍えるようなそれを抑え込むようにきゅ、とパーカーの裾を握る。


「兄様はなにも悪くありません。すべて私が勝手にやったことです。…………私はまごうことなき八重桜やえざくらの娘。ですが母様かあさまの死後、自覚症状を発症しました」


 腹をくくった告白。軽く、逸世と志織の目が見開かれる。構わず、紗世は続けた。


「確かに、私は雨音に拾われた。けれど傭兵に、留まると決めたのは私です。――傭兵には独自の人間社会があります。様々な人間のつどう場所。私の身体についても、何かヒントを得られるかもしれないと考えました。……兄様や志織を信用出来なかったわけでは、決してありません。むしろ、信用していたから……言えなかった。……強くなりたかった。これ以上、二人の負担になりたくなかったですから」

「負担なんて、!そんなこと――」


 威厳の崩された、その人間らしく悲しい逸世の焦燥を、紗世はそっと、どこか突き放すように受け止めた。吹っ切れたように、そこに先程までの怯えも迷いもなく、ただひたすらに堂々と。


「分かっています。……兄様も、志織も、言えば負担など考えず寄り添ってくれると、自惚うぬぼれながら自覚はありました。ただ……私がその優しさに耐えられなかった。八重桜家はゲンガーの純血。崇高すうこうけがれなき、誇り高い一族です。それ故に、どうしても思考のかたよったが生まれてしまう」

「――っ、」


 強く、唇を噛み締めた逸世のそこが、白く色を失った。


「八重桜家は〝共生〟の象徴であるべき存在。ですが、父様とうさまより上の世代にあたる前代ぜんだいには、まだ差別のあった時期の、古い考えをお持ちの方がいらっしゃいます。彼らに私の事情が漏洩ろうえいしようものなら、父様や母様……兄様の築き守ってきた〝共生〟が全て無駄になってしまう。私のせいでそんな……っ、だから……」


 言葉の端が小さく震える。悔しさからか、安堵あんどからか、本人にしか分かりえない理由をたたえた涙がこぼれ落ちた。


「……私は、ずっと兄様の妹でありたかった」


 恐る恐る、兄の手が妹の頬を包んで。途端、糸が切れたように紗世は声を上げて泣いた。逸世の顔は苦痛にゆがむ。


「ごめん……っ、ごめんなさい……紗世……」


 声を殺すような、絞り出すような逸世の謝罪。子どものよう――否、年相応のしゃくり上げるような泣き声で、紗世は逸世にすがる。


「俺が悪い。紗世を独りにした、……紗世の強さに甘えた俺のせいだ……っ、全部っ……許さないで……」


 痛みを堪えるような懺悔ざんげ。そこに厳格なの当主の姿はなかった。あのしたたかで、どこまでも真っ直ぐな令嬢の姿も。ただ二人、誇りと責任とともに遺された若い兄妹。



「――未遥みはる君、……海月かづき君」


 ぽつりと、逸世が呼んだ。紗世は志織に預けられ、まだ赤く涙をめた切れ長の目が二人を向く。彼は深く、所作しょさの整った礼をした。


「巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした。今回の件は全て、私の過失です。……紗世と一緒に帰ってきてくれて、本当に……ありがとう」


 つられて、二人も不揃ふぞろいに頭を下げて。少年の緊張を前に、逸世は破顔する。不思議な照れくささを隠すように、海月は口を尖らせる。


「――ところでさ、紗世ちゃんはこれからどーなんの?」


 問いに、薄く逸世の顔に当主の威厳が戻った。


「そうですね。……理由はどうであれ、紗世が傭兵に行った事実は変わりません。その仕事に関わったことも。その上で『墓守はかもり』へ移籍するとなれば、裏切り行為となってしまいます。ご存知の通り『墓守』と『浮浪兵ふろうへい』の正義は正反対ですから。妹だからと贔屓ひいきすることはもちろんしません。心苦しくはありますが、相応の処罰を与えることになります」


 その言葉に、ようやく泣き止んだ紗世が真面目な声色で言い放つ。


「どんな処罰も受けます。その覚悟はできている」


 その兄妹そっくりな切れ長の目は真っ直ぐに逸世を射抜いていて。困惑の中どこか誇らしげに、彼は目を伏せた。


「紗世、あなたの正義は、なんですか」


 不意にかけられたその問いに、一瞬紗世は戸惑いを見せて。だがすぐに、落ち着いた口調で言葉をつむぐ。


「私自身が、私を認めることです。私は八重桜家でゲンガーとして育ち、この二ヶ月傭兵でドールとして生きた。どちらの生も、私の財産です。……ただ正直、私はゲンガーが嫌いです。ドールだからと過去の偏見だけで、大した知識もなく、知ろうともせず、都合よくドールを使い潰し、それを是とするゲンガーが嫌いです。が争いを知らず平和を生きている裏で、が死と共に生きている現実を、一部のゲンガーは何も知らない。……私はゲンガーでも、ドールでもなく、そのどちらでもある半端者。だからこそ、私は私を愛せるようになりたい。私として、私の責任を果たしたい。全ての人が、平等な生をまっとうし、死を迎えられるように」

「…………」


 逸世は黙っていた。その言葉に秘められた覚悟を、その裏にあった葛藤を、時間をかけて正しく解釈するように、ただその美しい顔のままで黙っていた。


「――そうですか」


 長い沈黙のあと、逸世はそれだけを呟いた。おずおずと、彼を見つめあげる紗世に、柔らかな微笑みを向けて。


「……最後にひとつ。――葬儀屋として、命をかけると誓えますか」

「――っ、はい」


 ふふ、と逸世は眉を下げる。愛おしそうに妹を見つめ、やがて彼は志織の名を呼んだ。


「……帰りましょう。まずは身近な場所から変えなければなりません」

「――えぇ」

「兄、様……?」


 どこか不安げに兄を呼び止めた紗世を、安心させるように彼は薄く背筋を伸ばした。


「あなたは八重桜家の長女であり、……私の自慢の妹です。あなたの帰りたいと思える家を、兄は再建してみせます。父上や母上が愛し、守ってきた八重桜家を」


「…………」


 あぁ、この二人は。理由は分からない。ただズキンと胸がうずく。反射で胸を押さえて、未遥が心配そうに覗き込んで来たのを、変な顔、と鼻で笑い飛ばす。恐らくこの正体を、己が知る権利は無い。きっと、これを抱く権利すら。


 逸世が静かに続けた。支配人としてでも、当主としてでもなく。ただ一人の少女の兄としての独白。


「――正直に言うなら、紗世には家にいて欲しい。ですが『墓守』も『浮浪兵』も、私は一度だって悪とみなしたことはありません。だから、私は紗世の選択を尊重します。……家とは、縛り付ける場所ではない。誰もが帰りたいと、心から思える場所です。……そう、あるべきだ」


 ちら、と逸世の目が蒼樹へ向けられる。わかってるよ、とでも言いたげに彼女は微笑した。


「ひとまず私が預かるよ。ちょうど、部屋の狭さも恋しくなってきた頃だ」

「そう、ですね。……頼みます。――紗世の処分については、また後ほど連絡を」


 去り際、志織が海月と未遥を振り向いた。ゆっくりと歩み寄り、深く頭を下げる。


「ありがとう。また、ゆっくり礼させてくれ」


 少し寂しげなドアベルの音がかたりと落ちて。ゆったりとしたジャズ。薄い香水のような、落ち着いた不思議な香り。思い出したような寝不足に、少年少女の欠伸あくびそろった。


 *


 何もない、果てない虚空こくうに、僕は居た。


 立っているのか、座っているのか、または眠っているのか。自分の身体に感覚はなかった。ただ一つ、ここは夢の中だという確信だけが存在証明の。


 誰かが、泣いている。


 僕しか居ない虚空こくうで、すすり泣く声がする。


 突然、無質量の嫌な重さが身体に加わって。押し潰されるような、どうしようもない不安感と、不気味ほど深い安堵あんど


 ごめんね、かーくん


 喉が震える。


 ――あぁ、そうか。


 そうだった。


 僕のせいじゃないか。


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