第四章 記憶は、いつも後悔とともに
無事再会を果たした紗世と逸世。二人前を向いたその一方で、二人の絆を前にした海月は自分の犯した過去の過ちを思い出してしまう。海月の様子を心配した未遥は数日後、ともに任務を終えた彼に声をかけた。
第二十二夜 千里の堤も蟻の穴から
最後の死屍守が
喰って、寝て、起きて、また喰って。葬儀屋としての、導師としての日常に組み込まれた死屍守の味。慣れてしまった、己だけの異色の味。
「――き、……おい、
少し荒げられた相棒の呼び声にぼんやりと反応を返す。心配そうに、己を軽く見上げた
「ん?じゃねぇよ。無視すんなって」
「ごめん。何?」
笑いかけて、それが余計に彼の不信感を煽ったようだった。かけられた声のトーンが落ちる。
「……どうした。――お前、最近変だぞ」
「…………そ?夏バテかな」
「お前が?頭良かったっけ」
「それは風邪の話だろ」
「――じゃなくて、真面目に」
熱か?と額に手をやる未遥を軽く
「別に、なんもないよ」
本当だ。けど何故か、彼はムッと海月を睨む。
「んなわけあるか。舐めんなよ、俺はお兄ちゃんだ」
「……なぁにいってんの」
目を
「いいから、ほら、帰ろ」
「よくねぇ。――何隠してんだよ」
詰め寄られて無意識に、口内で舌が弾けた。これ以上は入ってきて欲しくないという防衛本能のような。
「――ッなんでもないって言ってんだろ!ほっとけってば!お前には関係ない!」
やってしまった、と。その怒鳴り声に目を見開いたまま硬直した未遥を見てすぐに後悔した。背筋を冷たい汗がなぞっていく。謝らなければ。未遥が怒鳴られる理由なんてどこにもない。
だが。今の海月には、未遥の優しさを素直に受け取る余裕もなくて。だって。知ってしまった。――
姉が行方を
どんな顔をしていたのだろう。勝手に
「なんだよ、それ。関係ねぇじゃねぇだろ。心配する権利もくれねぇの」
「…………っ」
どこまでも優しい未遥の声色に、自分の幼稚さが引きずり出されて。吐き気がした。その資格がないことは分かっていた。自分がそう感じるのは
未遥の手を振り払い、海月は逃げるように後ずさり背を向けた。
「おい、どこ行くん――」
「頭冷やす。今はお前と話したくない」
選び、絞り出すように吐き捨てて。傷つけたくはなかった。そのつもりも。それでも不慣れな口から発せられた、鋭利な語気が含まれてしまったそれに嫌悪。呼び止めようとする未遥の声を背に、海月は一人その場を後にした。
上手く息が吸えなかった。
両親を失ってなお、一度道を
何が、探すだ。そんなもの、思考するのも図々しい。
だって姉を戦場に追いやったのは、僕自身なのだから。
取り残されて、止めようとした未遥の手は虚しく空を切った。やってしまった。追い詰めてしまった。己の、悪い癖。
「……また……」
遠ざかる海月の靴音に、
*
ガコンとボトルの落下音。爽快な開栓音。口に残った不快感を、胃に押し込むように飲み下す。痛みすら感じる刺激が苛立ちをいくらか和らげた。同時に、襲い来る己の幼稚さへの嫌悪感。
「……最悪」
当たってしまった。事情など話したこともないのに。同年代の、初めてできた友人に。己の心の内など知る由もない彼に、あろうことか理不尽な怒りをぶつけて。
こういった時どうすればいいのかを、海月は知らない。喧嘩なんてしたことがなかった。喧嘩ができるほどの友達が今までいなかったから。ただ偉そうに、被害者のようにしゃがみこんで、金属製の冷たい腕に顔を埋める。
遠く、硬く細いヒールの音。
「――良い子はうちに帰る時間じゃないか、少年」
ふと。頭上から降った低めの女声に肩が跳ねた。反射で立ち上がって、その姿を捉えて喉が詰まる。
見慣れない白髪。同じ目線。眼帯に隠された左の目。少し男性に寄った
「……何を?」
「――ッ、いえ」
身を引くと、彼女は少し迷ったあとでボタンを押した。ピ、と短く気の抜ける機械音と、缶の落ちる音。
無糖の珈琲。女性の滑らかな喉が嚥下の度緩やかに
「なぁ、
ぞわ、と全身が
緊張を隠すように顎を引いて。
「……はは、誰だっけ、お姉さん」
身に覚えは無いが、その口ぶりから彼女はこちらを認知している。海月の反応を楽しむように、彼女はくすりと口元を隠して笑った。
「――初めまして、だったか。失礼」
空き缶は音を立てゴミ箱に投げ入れられて。平たい胸に手を置く上品な仕草。その白髪から一つ覗く宝石のような赤い瞳と視線が絡められた。
「名乗ったら分かるかな、
ぼんやりと記憶が蘇った。精鋭部隊の元ゲンガー。例の目というのは、恐らく左の眼帯の下。
警戒を悟らせないよう、またへらりと笑って。
「……あぁ、傭兵の。……猟犬って、僕のこと?」
「ああ。君だろう?『墓守』の異食症の言うのは。うちのがそう呼んでいてね。気に障ったならすまない」
「……別に。なんか用?」
問いに、玲於は薄く微笑んだ。
「特にないが。せっかく珍しい顔を見たんだ、少し話をしてみたいな。付き合ってくれるかい」
「……いいけど。話したいことなんてあんの?」
「ああ、もちろん。腐るほど。……君、死刑なんだってね」
空気が冷える。警戒を剝き出し彼女を睨む。
「──だったら何」
「そうか。何人食ったんだ?」
「……は?」
目の前の人間が言った言葉を、理解するのには時間を有した。
「何人って……」
「覚えていないほど?」
「違う!……
当たり前のことを言ったはずだ。だが、反対に玲於は酷く驚いたように目を丸めて。
「なら……なにかの間違いじゃないか?死刑だなんて」
「冗談言うな。……納得はしてる。逸世さんの言ってることが正しいってことくらい、僕でも分かるよ。それに……僕だけの問題じゃないし」
「ほう」
嫌な含みのある反応に顔をしかめる。構わず、玲於は静かに口を開いた。
「
「……何なの?燈莉さんを襲ったのは事実だ。掟破りはダメだって、あんたのが知ってるはずじゃないの」
「ふむ……あの嘘吐き野郎が首謀者だと聞いたから、アイツが人を襲わせたと思っていたが。……そうか、君は思っていたより真面目らしい。気に入ったよ」
「…………」
微妙な空気が流れて。彼女の目的は分からない。威嚇の意を強めた海月の態度に、再び玲於の薄く艶のいい唇が開かれる。
「――少年、死刑から逃れる方法が一つある。知りたくないか?」
「……え、……?」
動揺。その間にぐい、と距離が詰められて。退く間もなく、その腹立たしいほど整った顔立ちに息が止まる。
「うちへおいで」
「は、……」
近付いて気付く。爽やかなマリンノートと花の香りのその奥に染み付いた、隠されるような薄く甘い鉄の香。
唾を飲み込んで喉が固く鳴る。足が動かなかった。流れるように、玲於は眼帯を持ち上げていて。
白い人工の光に晒されたその下。赤く、不気味な瞳孔を持った、深い闇のような虹彩の瞳。目元には小さな、それでいて異様な存在感を放つ傷。
頭を振って、海月は玲於を突き放す。
「……っ、ふざけたこと、言ってんな。誰が傭兵なんか」
反応に、玲於の笑みが深まった。
「家出が流行っているみたいだな。うちの子もまたどこかへ行ってしまったんだ。可愛い子だから、心配だよ」
そう覗き込む、人外じみた左目に釘付けになって。冷えるような頭痛に顔を顰める。
「……タフだな。なぁ、君の秘密を教えておくれよ。力になってあげるから」
「黙れ……っ」
つるりと冷たい指先が頬に触れた。吐息の混ざりあうような距離。脳に流れ込んだ不快感が濃度を増す。
「安心しろ。私は君を肯定するよ」
視界がぼやける。溶けだすような脱力感が不気味な心地よさを作り出して。
立ち方を忘れた脚は体幹を支えきれずに重力に屈服。膝を着くより早く、玲於が身体を支えて。海月は意思を手放しそのまま彼女に
「──いい子だ」
愛おしげに。玲於は海月の頭を撫で、母親のように微笑んだ。
*
一人の部屋は久しぶりだった。海月が来る前よりも遥かに静かに感じる自室。詰め込まれた生活感と、己のものと混ざり合う海月の私物に目をやり、未遥は小さく嘆息する。酷く寂しかった。思いのほか、自分は海月を好きらしい。
忘れていた。目まぐるしい日々に隠されて、その違和感にすら気付けなかった。
「俺……あいつのことなんも知らないじゃん」
一人呟いた声は驚くほどか細く震えていた。
当たり前だった。ただ、ただ単に忘れていた。
他のバディとは違い、海月と未遥はバディの関係がなければ元はただの他人である。
急激に仲が深まりすぎた。海月と知り合って、まだひと月そこらの時間しか流れていない。けれど与えられた環境には、関係の発展に必要な条件が揃いすぎていた。それ故に。暴力的に縮められた距離に、存在しない長い年月を錯覚してしまった。
帰ってきたら、謝ろう。恐らく地雷を踏んでしまった。非があるのは海月だけじゃない。
身体は死屍守の余韻を
その日、海月は帰ってこなかった。
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