第四十一夜 天骸教
「――は、ぁ?……そんなわけ」
『
男――
「くだらない嘘は吐きません。――例えどんな急事であろうと、死屍守の件で私からあなた方導師に直接司令を送ることはない」
「――っでも、兄様、確かに……」
「命に関わることです、
威厳に強まった語気へ紗世は口を噤んで。少し俯いた彼女の髪が、さらりと耳から垂れ落ちる。
顎の位置まで短く切り揃えられた黒髪。先の戦闘で切れてしまったと自ら語った、しっかり手入れの行き届いたそれ。まだ記憶に新しい、命が無事であったことを安堵する反面、
「……じゃあ誰だったって言いたいの」
少し声を低めた海月の問いに、場違いな笑いが上がった。灰がかったピンクの髪がさらり楽しそうに揺れる。
「君は現場で誰と会ったんだっけ?そこまで察しが悪いと同情もしがいがないね」
小馬鹿にした含み笑い。チッと舌打ち交じりに睨め上げた先、
苛立ちに口を開きかけたのを、目前に小さな手のひらで制された。美弥乃は諭すように、糸っぽく細められた柚琉の片目を見据える。
「……あの電話も教団の仕業って言いたいのか?知らないなら教えてやるが、うちは限られた人間しか侵入も、干渉もできない。決してな。ぼくが今こうして生きてる事が証明だよ」
「あっそう?じゃあ裏切り者でもいたんじゃない?それこそ……」
そこまで言って、柚琉は視線を美弥乃の脇へ逸らした。獲物を狩る獣のような鋭さに捉えられ萎縮する二人の男女。先の戦場で生き残った学生二人。
「――っ、ちょっと、待ってください。俺たちはそんなこと……!」
怯え言葉を失った女を庇うように、または自身の身を守るように、そう男は声を荒らげて。だが柚琉は嘲るように首を傾げて嗤う。
「悪いねぇ、僕はそこのお嬢さんみたいに間抜け……いや失礼、お優しい人間ではないもので」
「
ビリ、と空気が緊張に冷える。美弥乃の逆鱗に触れたような、裂けそうなほど張り詰めたそれ。しかし構わず、柚琉はヘラり笑いながら続けた。
「でもさぁ
「……」
「……確かに、君の言う通りだね」
無言の後、返した美弥乃の声色は落ち着いていた。反応が意外だったのだろう。どこかつまらなそうに柚琉の片目が見開かれる。反対に、美弥乃はその猫目を薄く細めた。
「――だが同時に彼らは教団の被害者だ。命こそ無事だったが、まだ日常に戻すには早いと蒼樹から聞いている。……明確な悪の存在があるのは事実。お前のそれを向ける相手が正しいのかも、今一度よく考えろ」
「…………」
不安そうに身を寄せ合っていた男女を安心させんとする心地よい低音へ、威嚇のようにふん、と柚琉は鼻を鳴らして。知らぬ振りを決め込んだらしい美弥乃のわざとらしい咳払い。
「……『
不意に振られた話題。確かめるように言った美弥乃のその視線の先で、それまで黙って傍観していた
「……そうですね。……猟犬、君が会った二人、何と名乗っていたんだっけ?」
流し送られた視線に背筋が伸びて。戦場の記憶を呼び起こすように、海月は顎へ手を当てた。
「……、男の方は【
「使徒?」
「っ、そう、それ」
言い当てた玲於に若干声のトーンが上がって。ただ彼女の眼帯の奥と目が合い喉が絞まる。知らないはずがなかった。同時に、それがいい記憶であるはずも。どこか諦めたように、玲於ははらりと笑う。
「……再興とは聞いたが、まさかそのシステムまで当時のままとはね」
「……、使徒って……なんなの?」
彼女の含ませ気味な呟きにおずおずと問うて。やはり笑って、机の下その長い脚を組み直し玲於は答えた。
「簡単に言えば教祖の手駒だよ。今回君達を襲ったように、教団の外で動く側近。勧誘、説教……あとは君達も知っているだろうが実験に研究、戦闘までこなす何でも屋さ。当時と変わっていなければね」
変わっていないだろうけど、と付け足し目を伏せると、玲於は過去を巡るようにぽつぽつと続けた。
「――教団は使徒を筆頭に、その資金調達として所謂〝見世物小屋〟を運営していた。……私のこれも、彼らに
しん、と部屋が静寂に包まれて。救われた。確かにそう言った。教団を悪とみなすこの空間に反する発言。しかしその反応に当人の表情は楽しげで。少し昔話をしよう、と玲於は歌うように語り出した。
「柚琉君には話したことがあるけれど。……私は幼い頃、家族から虐待を受けていてね。こっちの目はその時失明したんだ」
内容の重さに対し口調は不自然に軽くて。他人事のような彼女の態度に言葉を失う。
「――確かまだ十歳そこらだったかな。捨てられて放浪していた時、顔のない男に拾われた。察しがつくだろうけど、男は使徒でね。ボロボロだった私を哀れんで、うちへおいでと誘った」
「、顔がないって……?」
「あぁ、すまない。回りくどかったな。仮面で顔を覆ってたんだ」
仮面。かつて相対した白装束の男女が脳裏に浮かぶ。その顔を隠していた鳥の頭を模したマスク。目を背けたくなるような彼女の過去が、現実だと突き付けられ頬が引き攣った。
「その目を治してやる、と手を引かれてね。怖かったよ。けど同時に安心したんだ。心のどこかで生を諦めていたこともあったのかもしれないが、なにより大人の優しさに触れたのは初めてだったから。……素直に着いて行ったよ。行き先が教団の研究室だとも知らずに」
どこか投げやりに伏せられた右目。薔薇の花弁のような深紅の虹彩が長い睫毛に隠される。
「結論から言えばこの通り、私は左目の視力を取り戻した。ついでに、この目に適応して抗体も得た。……私は成功品だ。ドールを創り出す例の実験のね」
「……まさか、見世物に、……?」
そう問うた逸世の表情は青く血の気が引いていて。だが玲於はいや、と首を横へ振った。
「ご心配どうもありがとう。けど見世物になったのは実験の失敗作さ。死屍毒に耐えられず移植を受けた部位付近が崩壊しても尚、意識が残ってしまったなり損ないの死屍守。一部の
う、と隣で小さく嘔吐く音が聞こえた。そっと目をやって、必死に堪えようと口を覆った紗世が肩を震わせているのが映る。玲於を真っ直ぐに見つめるその目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「私は成功品。この目には見た者を洗脳する力がある。もっと詳しく言えば、私はこの目を見て惚れた者の人間性を奪うことが出来る。思考力を無くして私の言いなりになるのさ。――ね?猟犬」
そう、不意に向けられた意識に大袈裟に肩が跳ねる。と同時に、思い出したくない日の記憶がぶり返し顔が嫌悪に歪んだ。脱線した話題に失礼、と彼女は上品に微笑み、またすぐに真剣な表情に戻った。
「……私はこの副作用で、見世物用の
静かな部屋に、彼女の低音がやけに大きく響いた。淡々と語られた彼女の重い昔話へ、すぐに口を開けるものは居らず。長く沈黙が続いて、ようやく美弥乃がそれを破った。
「
疑いはない、ただ漠然とした困惑を孕んだ声だった。嗄れた子供の声に玲於の即答が返る。
「誤解させてしまいましたか?ご心配なさらず。私も教団を良くは思っていないので」
すとんと落ちたその返答に緊張は緩んで。ただ、と玲於は力なく微笑んだ。
「この目をくれた教団に感謝しているのも事実だ。この目がなければ、今の私の正義もなかったろうから。だから、彼らの優しさが悪意の上で成り立っていたのが許せない」
「……じゃあさ、今傭兵にいんのって?」
隠しきれなかった嫌悪感のままそう問うた海月に、玲於は今度は楽しげに高笑った。
「そんなにうちは居心地悪かったかな?……逃げたんだよ」
数秒前の愉悦に浸っていた表情がじわりと曇る。見た事のないその内部の悲惨さが手に取るように分かった。
「正直、あそこにいる時は家族の元で生きていた時よりよほど人間らしく暮らせた。食事はまともな料理を決まった時間に毎食食べれていたし、服だって毎日綺麗に洗われた物を着られたからね」
当人により流された彼女の悲惨な家庭環境には、もはや誰も何も言えなかった。そんな劣悪な環境で育ってなお、未だこちら側でいる彼女へ向ける畏敬の念。
「ただ――教団の仕事にも慣れた頃だな。私を拾った使徒から、あまりに言うことを聞かないからって一人の子供の世話を命じられてね。どんな聞かん坊かと思えば、連れてこられたのはまだ単語しか話せないようなゲンガーの幼児だった。……言うことを聞かないなんて、それすら可愛いくらいの歳の男の子」
「…………っ、その子に、副作用を使えと?」
「あぁ。……遅いだろうが、その時やっと教団に対して不信感が湧いた。こんなに小さな人間にも、大人と同じ実験を施すのかって。その子の身体は手術痕だらけだったんだ」
玲於の顔は苦しそうに歪んで。
「名前はショウと言っていた。……あの子はきっと、自分が何をされているのかも分かっていなかったと思う。それがあまりに見ていられなくてね。彼も外に興味があるようだったから、私はショウを連れて施設から逃げ出そうとした。……けど」
続ける彼女の声は震えていた。酷い後悔と、恐らく己に対する怒りに。
「……ショウを、私は最後まで連れて来れなかった。あの子の両足にはタグが付けられていてね。施設を出た途端に警告音が鳴った。……最初はお構い無しに走ったよ。でも途中でショウは私の手を振り払った。音が鳴っている原因が自分だって分かっていたんだろうな。……私にはその時引き返す勇気がなかった。そのまま逃げ続けて、でも結局あの子のことが忘れられなくてさ。自己満なのは分かってたが、せめてもの贖罪として飢えて死のうとしていた時拾ってくれたのが
ふう、と玲於の吐息が話の終わりを知らせる。皆が彼女の話を正しく飲み込もうと無言を決め込んで。時が止まったかのような静寂にひとつ、逸世の疑問が浮いた。
「話してくれて、ありがとうございます。……これ以上思い出させるのも心苦しいのですが一つだけ、教団の居場所に心当たりはありますか?」
思考。記憶を巡るような仕草の後で、玲於は肩を竦めた。
「さぁな。当時施設があったのがどこかの山奥だったとしか覚えていない。――ただ私が傭兵に拾われた後、被検体だったドールの子供一人が暴走したと人伝に聞いた。逃げ遅れた他の被検体を巻き込んで、研究室諸共教団の施設を破壊した挙句、教祖の女を殺害したらしい。それで教団が解体した後、今奴らがどこを根城に何をしてるのかは悪いけど私にも分からない」
そうですか、と逸世が優しい声色で呟く。責める意思などは微塵も感じられず。ただ玲於への心からの謝意がそこにはあった。次に顔を上げると、彼はよく通る声で言った。
「あちらの本拠地も分からない以上、残念ですが今こちらから出来ることはありません。同様に、彼らがいつ、何をしてくるのかも。ただこれから恐らく
***
しかし。
その招集からひと月、特に何も起こらずただ平和な時が流れていた。
逸世の予想通りに、少し増えただけの葬儀と共にある日常。気を抜けば教団の存在すら忘れてしまうほど、変わりのない異端の平凡。
二度目の満月を見送り、ようやく夜も冷え込んだ頃。
「──さっみぃよ外、カイロ持ってこ」
また変わりない美弥乃伝の出動要請にいそいそと身支度を進める
「カイロは熱くない?」
「俺はお前ほど頑丈じゃねぇんだわ。上着も着ねぇで、馬鹿?」
「……だってどうせ動くし、邪魔じゃん?まだ耐え」
「へっ、後で風邪ひいても知ーらね」
厚手のパーカーを羽織った彼の姿も見慣れて。新調したばかりのそれを着るのが密かに楽しみなのだろうと、本人は無自覚のわかりやすさ。彼と共に買い迎えたものの、未だ日の目を浴びないの己の上着を思い、ちらと閉ざされたクローゼットを見遣る。
ふと、部屋の扉をノックする音が鳴って。返事の後、少し開けられた扉からひょこっと紗世が顔を出す。
「準備出来た?」
そう言う彼女は海月らと同じ、葬儀屋の制服に身を包んでいて。喪を表す黒のシャツと、小さな身体に不思議と馴染むオーバーサイズの見慣れた上着。その腰にはかつて身に纏っていたセーラー服の赤いスカーフが結ばれている。こちらもまた、既に見慣れた姿。
「うん、おまたせ、紗世ちゃん」
己を見上げる彼女へ軽く手を挙げ応える。行こう、と二人を先導するその表情は生気に満ちていて。『墓守』へ来たばかりの頃と比べうんと明るくなった紗世に微笑。
その日〝家〟の廊下は静かだった。
「行ってらっしゃい。気ぃつけてな」
「うん。行ってきます、蒼樹さん」
力強く、ただどこか寂しそうな彼女の見送りに背筋が伸びる。
葬儀の時を待つ死体の元へ。『おりぃぶ』の店内を抜け、美弥乃の送り出しを背に受けながら、導師らは星の見えないヨコハマの夜へ駆け出した。
*
ゲンガーへの被害 無
以下担当者へ対象の駆除と原因の特定を命じる。
葬儀担当者
ショクザイの死屍守 泣鬼 漱二郎 @Jiro-26
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