34.世に忘れ死にがあるならば
ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ………!
軽快。その言葉とは程遠いほどの焦燥を感じる音が通路に響く。
それは通路の床を弾くように踏み、駆ける音。暗闇の中を一心不乱に走る男の腕には、突如として気を失った若い男の姿があった。
どうしてこうなったかは分からない。しかし、何かあってからでは遅い。その事が男をここまで急がせる理由であった。
鈍く、重く、されど疾風のように床を踏み締め、押すように蹴り、弾かれるように前へと進む。
暗闇の中で研究棟へと向かう影の中の影は、今この瞬間だけは後ろめたさを忘れて、ただそこへ
ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!ダンッ!…キュ…!
バッ!
「クリスティーナ!!」
部屋の勢い良くドアが開け放たれた。現れたのは、今絶対会いたくない人の顔。
「内山がっ!いきなり気を失ったんだ!」
「そこ寝かせて」
私は感情を決して顔に出さぬように気を付けながら、部屋にある仮眠用のベッドを目で示しながら、椅子から立ち上がる。
降川は素早くベッドに近付き、内山を慎重に下ろした。
私はすぐに腕の動脈に手をやって、心拍数を計る。
(………遅い。こいつは
「気を失った時の状況を教えて」
「あぁ…その、夜遅くまで自主的に訓練をしていたのを咎めたんだ。そしたら、いきなり反応しなくなって、様子がおかしくて何度か呼び掛けたんだが、返事がなかった。そうこうしてたら、いきなり何か叫んだみたいに口を動かして……それで…気を失った……」
降川は己が身を駆け巡る動揺をなんとか抑えながら、状況を説明した。
こいつの動揺は無理もない。
何たって、相手はいつ、何がどうなるか分からない得たいの知れない生命体なのだから。
今この瞬間だって、私はこいつの症状を判断出来ない。
私は顎に手をやって、脳細胞をフル回転させていく。
(心拍が遅いのが気になる………調理人の健康管理プログラムに沿って、日々の食事は作られている。血の巡りが悪い訳では無いはず。だとすれば、精神異常か?そうであるなら、会話が引き金になった……?)
「会話の内容は?具体的に教えて」
「えっ、普通に訓練で身体を動かしまくったんだから、夜は身体を休めないと駄目だとか、今は身体をほぐさないといけないとか、何が起きるか分からないとか、そういう事を指摘したまでだ」
「結構怒鳴った?」
「え……まぁ、普通くらいだ…」
普通…ねぇ。地に落ちようが、こいつは自衛官。自衛隊でやっていたみたいに殴る蹴る……はしてなくても、怒鳴る叫ぶ
引き金はこれか………?
(でも、心拍が遅くなる理由がない。心臓が弱ってる?まさか。そんな事がある訳がない。なら……)
こいつが運ばれてきた時、所持品に煙草は無かったが、精密検査で肺に煙草を吸った跡が残っていた。
恐らく嗜み程度には吸っていたのだろう。だが、肺に目立ったダメージは無かった。
肺でも無い。
じゃあ、どこだ。
精神的にやられたとして、身体の機能を強制的に失神と言う名のシャットダウンさせるのは脳細胞だ。
となると………可能性があるのは…………
「たぶん…こいつにとって……いや、こいつの脳細胞にとって、受け止める事の出来ない記憶を呼び覚ましてしまったんだと思う」
私は推論ではあるものの、ある程度信憑性のある結論に行き着いた。
「それ……どういう事だ……?何がいけなかった?!」
「分かんない」
畳み掛けるように問う降川に、私は静かに現実を叩きつけた。
分かるものか。他に例が無いのだ。その上、類似の例も、同じ
全くの未知だ。
(唾液、
この世の真理や生命の神秘の中で、どこがどんな間違いを起こせばこんな奴が生まれてくるんだ。
血液に発火作用があるとか、生命としての問題以前の話だ。
(古来より、火を武器とした生命体は居ない。人間だって、火のそのものを武器として使用した訳ではなく、あくまで武器を作った上での火の利用だった訳で、生命体としての人間が火を武器とした訳ではない。高い放熱性を持つガスを身に抱く昆虫は居たはずだが、それも火そのものでは無い。生命体として火を武器として持つはそもそもおかしいんだよ……)
私は浅い呼吸で眠る若い男を、恨めしく思った。
何て難題なんだ、こいつは。研究材料としては上々だが、私の寿命が終わっても、こいつの身体構造はたったの一パーセントも解析できないだろう。
「とりあえず……このまま安静にしとこう」
「人工呼吸器は?AEDは?!」
「ぜえっんぶっ、持ってかれましたあぁ!」
降川は両手を額にやり、
「このまま目が覚めなかったら?」
「さぁ?」
「さぁってなんだよ!」
「どうにも出来ない。どうにかするための道具が無い」
私はあっぴろげに、吐き捨てるように返事をした。
「内山君は現在昏睡状態。原因は不明。恐らく精神性ショックによるもの。その内容、概要共に不明。何がきっかけかも不明。しかし、こちらは降川教官が発した言葉から推測する事は可能であると思われる。また、彼の過去から現在まで人物像や、出来事、体験などから推察する事は可能と思われるが、彼の経歴に関する情報は一切無いため、現時点では不可能である………報告書を書くとしたらこんな感じ?あんたならどう書くの?」
降川は答えない。
沈黙が部屋を満たす前に、つかつかと足音を立てて、私は椅子に腰を掛けると、足を机の上に放り出した。
「ふ~る~か~わぁ~!そんなくよくよしてたって仕方ないって。死にゃあしねぇよ」
「その自信は一体どこから来る?」
「う~~~~ん……勘!」
バンッ!
私の返事を聞いた降川は、それまで壁に頭を擦り付けるようにしていたというのに、いきなり壁に押すように手をついて、弾かれたかのような速度で私に向かってきて………気づいた時、私の身体は空中にあった。
降川は私が感じるよりも先に、襟元を掴んで引き上げていた。
「本当に………!本当に…!変わっちまったんだな!!お前……!」
歯を食い縛り、鬼気迫る形相で降川は私に叫んだ。
「命を……命をなんだと思ってやがる!そりゃあ、私だって人の事は言えないが、目の前に居る仲間の命を気に掛けなかった事は無い!お前はっ、お前はっ……お前はあっ……!」
私の襟元を掴む手がわなわなと震える。瞳は私を見ては反らし、見ては反らしを繰り返す。
降川はもう、私と言う怪物を直視できないのだ。
「確かに……確かに、ただの気絶かもしれない!というか、明日までに目覚める可能性の方が死ぬ確率より、何倍も高いだろう!けどな……けどなぁ……」
降川は言葉を途切れさせながらも、必死に何か、私に言葉を掛けようとしていた。
しかし、震える手に宙に浮かされながらも、私の脳細胞は分かっていた。
目の前に居る男の脳裏には、あの日の光景がこびりついているのだろう。と。
あの日私が見せた、私の作品達………あれこそが、私が人間を止めている最大の根拠だ。
それを直に見た人間が正気で居られる訳がない。
自然界に存在せず、ただ単に、一個人の復讐のためだけに生み出されたあれらの姿を見て、私の狂気に触れて、無事で済むはずがない。
だから見せたのだ。
私はもう、戻らない。このまま…このまま…生きて、突っ走って、突き進んで、そして………死ぬ。その後に落ちるは地獄一択だ。
最後の最後には、本当の姿を見て欲しかった。
醜くて、汚くて、穢らわしい。そんな私の本当の姿を見て、そして、拒絶して欲しかった。
お前は間違っているのだ。お前はもう償えない。やり直せない。だから、死ね。死んでくれ。そう思って欲しかった。
あの日助けたのは間違いだった。そう思って欲しかった。
だって、私が一番、そう思って居るのだから。
私なんかを助けなければ、可哀想な人工生命体は生まれなかった。私なんかが居なければ、人工生命体作成のための不遇な材料になる生命も一つも無いはずだった。
(あの日、あなたに連れられて、ガラスの外に出た事を後悔してるの………ごめんなさい…)
恩知らずな事は分かっている。
(だから、だから……お願いだから、私の事は
だからこそ、性格のひん曲がった奴だって、せっかく助けてやったのにって、思って悪態をついて、悪口言って、怒って、叫んで、それで、それで……………
(忘れて……)
私はそうなる事を願った。
この世で一番好きな人の記憶から消える未来を、思い出されもしない明日こそが、私にとって本当に相応しいから。
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