28.辱略
私は実戦訓練用の部屋を出て、真っ直ぐ、局長の部屋を目指した。
何を告げられるかは分かっている。
だが、どうも心がざわついていた。
今までも襲撃を受けた事はいくらでもあった。更に言えばこの程度の事態、自衛隊時代になら何度もだって経験した事だ。
(感覚が鈍ってきているのか、それとも、初心に戻ってしまったのか……果たしてどっちだろうな)
だが、そんな事はどっちだって構わない。
その時が来たら、やらねばならない事は分かっているからだ。いざという時にすべき事は分かっている。
それを成し遂げるのに勇気が必要な訳ではない。
ただ、問題なのはその時がいつ来るかである。
人間は常に常在戦場の意気を持っている事は出来ない。どんなにその意思が固くとも、張りつめた糸は切れるものだ。
だからこそ、怠けるし、だらける。そこを突かれるのが一番不味い。
だからこそ、適度に意思を持ち、適切に意思を保持し続け、糸に余裕を持たせるのが一番良い。
(今は張りつめるべき時だ。後何日残っているか分からんのだからな……)
あくまでも、クリスティーナは近く襲撃がある事しか知らない。そして、自分達が撤収し、置き土産を置く事しか認知してしない。
局長はそれ以上の事を知っているはずだ。
何日に襲撃するのか、投入される戦力、どういった手法で侵入するか、何を目的とするか、どれだけの準備期間を設けたか………
これらの事を知っていて、下に周知していない。
それには何らかの思惑があるはずだ。
知らせて良い事は知らせ、知らせて悪い事は伏せておく。組織の統率には必要不可欠な事だ。
局長はそれを分かっているはずだ。
(何を言われようとも、命令に従う事。私の役割はそれだけだ)
右向け右、左向け左、回れ右。兵卒はこれを行う意味を知る必要は無い。
兵卒が知ったところで意味がないからだ。意味の無い事にコストは割かない。
それが組織である。
タンタンッ
「失礼致します」
ノックをして部屋の中に入ると、私は局長の机の前まで進む。
「おお、来たかね」
局長は私を見るや否や、本題を切り出した。
「早速だが、君に伝えたい事がある。まず、一つ目にこの施設は今から五日後に襲撃される」
局長の言葉に私は耳を疑った。
五日後とは予想外にも程がある。クリスティーナは設備の撤収には、二週間はかかると言っていたではないか。
「各部署にはもう撤収命令を出してある。残っているのは訓練区画の君達ぐらいのものだよ」
「撤収するには時間が足りないように感じます。回収する事が出来なかった設備はどうのように処理なさるのですか?」
私の質問に、局長はさも当然のように答えた。
「もちろん、爆破処理だ。重要な設備はもう撤収済みだ。持ち出せない物やすぐに作り出せる物は置いていく。襲撃と同時にこの施設に燃料ガスを充満させ、まんべんなく施設に行き届いたところで時限爆弾を発破。襲撃部隊もろともこの施設を吹き飛ばす。痕跡の消去と敵の一掃まで行える、まさしく一石二鳥の策だよ」
爆破処理、か。という事はクリスティーナの人工生命体には全く期待などしていないという事だ。
(たまたまそこにあって、使えるから使うというだけか……)
命の無駄遣いと言ってしかるべき事が、目の前にいる男の頭の中ではもうシュミレーションされている。
局長にとって、重要なのは人工生命体がどれだけ敵の襲撃部隊と応戦できるかなどではなく、ただ単に、この施設に残る自分達の痕跡をいかに消し去るかという事だけなのだろう。
とはいえ、なぜ一斉にこの事を報告しない。クリスティーナは具体的な期間も告げられず、撤収命令だけしか聞いていないし、私に至っては戦闘になる五日前にようやく告げられるという始末だ。
一体何の思惑を持って、こんな事をしでかしたと言うのだ。
「それでだね……二つ目に、君に重要な任務を任せたい」
私の疑問に答えるかのように、局長は話し出した。
「君にはクリスティーナ君の回収と敵襲撃部隊に応戦、遅滞戦闘の実行をお願いしたい」
「クリスティーナの回収と、遅滞戦闘でありますか?」
「あぁ、クリスティーナ君は自分の作品の勇姿を見たいそうだ。彼女を護衛しつつ、施設を脱出させたまえ。その際、クリスティーナ君には内山君を同行させなさい」
なるほど、クリスティーナと内山を逃がし、自分は敵方の部隊と戦闘を行い、ガスが施設に充満するまで相手を釘付けにしつつ、施設の奥へと誘い込むという事か。
内山を残らせるのはもしもの際、クリスティーナを必ずこの施設から撤収させるためだろう。
局長にとって、そして、組織にとって、クリスティーナのような優秀な研究者は失いたくないはずだ。それこそ、私や内山の命よりも優先されるべき存在に他ならない。
だからこそ、私が戦闘中に負傷し、、クリスティーナを逃がす事が出来ない万が一の際に備えて、内山を側におくのだろう。
(もちろん、戦闘員としてではなく、クリスティーナが負傷してしまった際におんぶする要員くらいにしか考えてはいないだろうが)
「そして……君にはだね、敵と戦っている時に捕虜になって欲しいんだよ。上手い具合に、負傷して意識不明何かになってね」
「それを行う意義をお示しください」
私は胸の内に沸き上がる疑問と恐怖を圧し殺しながら、冷静に疑問を呈した。
感情的になって、命令を拒否する事も出来るが、そうする事よりも、相手の論理を聞き、それを崩す事で、相手が下した命令の粗雑な点を認識させ、命令を拒否する大義名分を得る事の方が自分にとっては有利となる。
(間違っても奴らに捕まりでもしたら……)
私は緊張のあまり、唾を飲み込んだ。
私のような、奴らにとっては裏切り者である存在が奴らの手に落ちたらどうなるかなんて分かりきっている。
「我が組織は、なぜか施設の位置を特定され、襲撃されるという事を繰り返している。これには具体的な措置、または予防策を講じる事が難しい。敵の諜報員を炙り出すのは骨が折れるし、どこから情報が漏れているのかを把握するのは無理難題に等しい」
局長は机の上で手を組みながら、達観したように淡々と話した。
確かに、これは紛れもない事実だ。私自身、組織の施設が襲撃されるという経験は何度かしたし、情報が漏れているというのは疑いようがない。
相手が闇雲に探して見つかるような場所に施設は置かれてはいない。だいたいは地下、もしくは合法的に手に入れた雑居ビルなどだ。
それらをしらみつぶしに日本全国探すとしたら、かなりの数の人員と資金が必要になるため現実的には不可能だ。
敵方の事は分からないが、ピンポイントにこちらの施設を襲撃、壊滅させている点を鑑みれば、組織の中に敵の諜報員が居る事は間違いないだろう。
現在に至るまで我々はそれを摘発する事も出来なければ、どの程度の情報が漏れたのかを把握する術すら持たない。
(そんな事は各機関の幹部級の人間なら誰でも知ってる事だ。そんな事を言って、何になる)
確かに事実ではあるし、いずれは解決しなければならない事ではある。だが、今この瞬間に論ずべき事柄ではないはずだ。
「して、その問題と私が捕虜になる事に何の関連があるのでしょう?」
「簡単な事だよ」
私が改めて疑問を口にすると、局長はすぐに返答を返した。
先ほどのは前置きだったらしい。
「つまり、君のような大物をただで殺すとは思えない。しかるべき施設で尋問を行い、しかるべき情報を引き出そうとするはず。それをこちらが関知し、君を古巣を含めた敵組織と関連する各所の全容を把握する。それがこの…“特別作戦”の意義だ。納得してくれたかな?」
局長は微笑を称えながら、上目遣いで私を見た。
「あまりに楽観的では?その、敵組織と関連去る各所というのは政府官庁だけに留まるとは思えません。全容と言いましても、一体どこまでの事を指しているのですか?」
「それはやってみてからのお楽しみかな」
その言葉に私は頭を強く打たれたかのように、呆然とし、頭が回らなくなった。
骨身に染みた私の軍人精神が、理解を拒否してしまったのだ。
やってみてからのお楽しみ。私はいつの間に、この異能力者として突然変異体のための組織にとって、利用価値も無ければ、用途もない存在へと転落してしまったのだろうか。
まるでこれでは、池の波紋を見るための捨て石ではないか。
私は思考を拒否する頭をどうにか回しながら、局長に詰め寄った。
「そ、そんな事では困ります。そもそも、私が一人捕まって…」
「別に、手ぶらで捕まってもらう訳ではない。君にはこれをやろう」
局長は机の引き出しから小さな小瓶を取り出した。
「これは名称を付けるとするなら、液体発信器。機械が使われているものではすぐに露見して除去されてしまう。そこでこいつの出番だ」
局長は液体発信器なる小瓶を手渡してくる。
小瓶の中身は紅く、本能的な嫌悪感を感じるものであった。
「せ、性能の程は…?」
「これを飲んだ人間が地球上のどこかに存在するのなら、認知する事が出来る。安心したまえ、必ず君の事は救い出すし、我々の同志たる諜報部は優秀だ。信じたまえ」
信じろと言われたって無理だ。
こんな命令は受けたくない。濁流に投げた石を取り戻せると言っているようなものだ。信頼できない。
(局長には私を追い落とす理由がない。だからこそ、恐ろしい。私を追い出す目的でもないのに、こんな作戦を実行に移そうとするなんて、狂気の沙汰だ)
私は苦悩しつつ、差し出された小瓶に目を向けた。
こんな液体が、発信器だと言うのか。本当にそのような機能があるのだろうな?
異能力研究の一環として作成したものなのか、それとも…………
(第一、こんな血みたいなもの、身体の中に入れるってのか……)
そう思った瞬間、私の脳裏に、この作戦の合理性が見えてしまった。
成功する。
この作戦は成功だ。
この液体発信器はかなりの役に立つし、敵組織のほとんどの構造も把握する事が出来る。その確信を私は得てしまった。
本当はそんなもの、得てはいけないのに。
私は差し出された小瓶を手に取った。
それは組織にとっては最善の選択で、降川にとって、最悪の選択で、内山の運命を変え得る、最大の選択であり、クリスティーナにとっては悲劇そのものであった。
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