27.一手
何発も、何発も、その拳は空を穿って、誰に痛みを与えるまでも無く、引っ込められては突き出される。
「そうだ。もっと速く」
教官の言葉によって、更に拳が突き出される速度は速くなり、一秒間に二発程度の拳が繰り出されては、避けられる。
フッ…フッ…フッ…フッ…
拳を突き出すと同時に足を前に出し、身体を前に傾けて、後ろにやった拳を前へと勢いを付けて繰り出し、避け続ける教官を壁際へと追い詰めて行く。
教官は避けるばかりで、昨日までと違って殴ったり、蹴ったりしてこなかった。
(きっと、これは誘われている。相手を追い詰めている状況での対応を問われているんだ)
教官なら、こんな風に追い詰められる事はない。日々、訓練を行っているからと言っても、俺の拳はそれほど速く、重いものでも無い。
速度も威力も、全て教官の方が大きく上回っている。
反撃できない訳はない。反撃していないのだ。
(試してんのか……)
教官はいつもはこちらが繰り出した拳を左右に避けて、懐に入り込むか、こちらが次の拳を出す前に、腹か顔面を殴るのがいつもの流れのはずだ。
それが、今はこちらが出す拳にのけ反ったり、下がったりして避けている。
これは明らかにおかしかった。
俺はちらりと、教官の後ろに目をやった。
白い無機質なコンクリートの壁。教官の背はそれに、迫ろうとしていた。
必死に教官の頭を目で追って、右に左に拳を突き出すものの、一向に当たらない。
異能力のお陰でどれだけ動いても息は上がらないが、自分が身体全体を動かして放つ拳が当たらないのには、焦燥感を禁じ得ない。
勝てない。当たらない。また、やられる。
そんな事が俺の頭の中には浮かんできていた。
(馬鹿野郎!負けると思って、当たらねぇと思って、拳を出す奴がどこにいんだよ!)
そう自分を鼓舞しながら、教官が下がるのに合わせて、前進し、拳を突きだし続ける。
単調で、何の捻りも無い、一辺倒な動き。
このままでは、やっぱり駄目だ。どうにかしなければ。
壁まで、後数メートル。
教官はただ下がるだけ。俺は教官に対して当たらない拳を繰り出し続けて、追い詰めているようで、追い詰められている。
ここで流れを変えなければならない。
俺は教官の動きを注視していた。
教官は右から拳が飛んでくる場合は左後ろに下がり、そこを狙って、左の拳が飛んでくる場合はそこより後ろへ下がって、避ける。そこを狙って、俺が右の拳を繰り出す。
それが壁際までずっと続けられていた。
今がその流れを変える時だ。やるなら、早い方が良い。
俺はこれまでと同じように右の拳を繰り出す。それを教官は左後ろに下がって避ける。そこに左の拳を突きだし、教官は後ろに下がった。
先ほどまでなら、ここから右の拳を振るというのが永遠と続いていた。
だからこそ、相手も感覚が鈍る。考えてこういった状況を作り出した訳では無いが、同じ動きに慣れさせたのは好都合だ。
俺は右の拳を固く握ると、後ろに引く。
教官の身体は時既にのけ反り始めていた。慣れてしまっている。
(突かせてもらうぞ…)
今は成否なんて考えない。とにかくやる。やってみる。反省はその後だ。
右の拳を思い切り振りかぶって、突き出す。教官は左後ろに下がった。背はもう、部屋の壁と一メートル以内の距離にある。
(少しばかりは切迫感を感じて判断が鈍っていてくれ)
俺はそう思いながら、拳を突き出した勢いそのまま、身体を捻った。そして、右足を起点に左足を上げる。
上げた左足の威力を上げるために、俺は胴から上を下にして、手で床を押し身体が回転する速度を上げ、教官を狙う。
そうして、俺が瞬時に精一杯考えて放った一撃は……空を切った。
そして、繰り出した左足を何とか床に着け、身体を起こした俺の身体が後ろに傾く。
一瞬のうちに背中から手を回されて、後ろに引っくり返されると、頭を床に叩き付けられた。
ダンッ!
「発想は良かった。だが、内山。お前にはそれを実行できるだけの経験と能力が無かった。それが敗因だ」
俺をどかし、立ち上がった教官は淡々とそう言った。
俺は揺れる脳みそから何とか指令を飛ばし、手に力を入れて立ち上がる。
「何が……その……」
「お前が左足を上げて身体を回転させた時、もう、お前の視界には私は居なかった。だから、私はお前が回転するのに合わせて、移動し、お前の後ろに回ったんだ。流れを変えたいのは理解する。だが、相手を常に視界に捉えておく事も重要だ。特に、お前のような初心者はな」
教官はこちらが思い付きで放った攻撃を、いとも簡単に破った挙げ句、反省点を上げた。
「そもそも、お前は攻撃のスピードが足りない。前よりかは速くなったが、それでも遅い。何か新しい事をやるより、まずは拳の速度を上げろ。蹴りはその後だ」
教官の的確な指摘に俺は納得しつつも、不満も募らせていた。
(拳だけに集中しろとか、初めて聞きましたよ…てか、何も言われて無いけど……)
実戦形式の訓練を始めて七日。
殴り方も、蹴り方も、ガードのやり方も教えてもらっていない。
全部独学。教官が言ったように、教官の動きを真似て、それっぽくやっているだけ。
要は教官の動きの劣化版をやっているのだ。
こんなもので本当に強くなれるものなのか。確かに、下手に柔道技とかをやっていないのは実戦向きなのかもしれないが、さっきに教官が俺にやったのはプロレス技ではないか。
「あの……何か……殴る時のポイントみたいな……」
俺が遠慮がちに聞くと、教官は吐き捨てるように言った。
「一発一発に力を込めろ。急所を狙え。後は慣れろ」
実戦訓練を始めて七日目。
内山の拳を繰り出すスピードは日に日に速くなってはいる。威力もそれに合わせてに強くなっている。
やはり、異能力の特性上血液の働きが強く、筋肉が付きやすいのだろう。
だが、まだまだ力量に合うだけの技巧が足りない。
腕を振り、拳を突き出すだけなら誰でも出来る。問題はどうやって当てるかだ。
ガキの喧嘩じゃないんだ。ガードされたり、避けられたりなんて事はざらにある。そして、それが命取りになる。
出した一手を次の一手に繋げていき、必ず止めを刺す。
それが出来なければ、この時代を生きる異能力者として一人前になったとは言えない。
「先に食堂に行って、飯を食っていろ。俺は用事がある。その後は自由だ。好きにしろ」
午後の訓練が終わり、汗だくで息を荒くした内山に私はそう言った。
数日前は訓練が終わる頃には床に倒れ込んでいたというのに、意地でも立ち上がるという心意気を感じる。
(まぁ、強くはなったな)
まだまだではある。だが、明らかに種は芽吹き、順調に育っていた。
後は良い土と適度な水分を与えて、どれだけ成長できるかだ。
私はそんな事を思いながら、部屋を後にした。
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