26.敵影

ブンッ…!

俺は鋭く右の拳を突きだす。腕の筋肉が伸びきった感覚と共に、空に拳が当たった感触が伝わる。

教官は俺の繰り出した右ストレートを、必要最低限の顔ののけ反りで避けると、左の拳をおぞましい速さで突き出した。

その瞬間、俺は自分の目が大きく見開いたのが分かった。

視覚情報が脳に伝わり、判断を下されるまでコンマ数秒。その間にどう対応するか判断する。

膝を折り、身体を縮めて拳を避ける。

そのまま、右か左か後ろかに動いて教官の拳を避けるのも良いとは思ったが、大人しく繰り出した拳を収めて、片方の拳を出すような事はしない。

返す刀で、そのままチョップか、そのまま拳を反対に振られたら、今度は避けられるか分からない。

だからこそ、身体を縮めて避けたのはこういった事を回避する上では正しい選択だった。

しかし、肝心なのはその後だった。

教官の身体が右に傾く。と同時に、俺の頭に衝撃が走った。

教官は左の拳を出した勢いを付けて、右足を起点に、左足で俺の頭を蹴り飛ばす。

バンッ…!

教官の左足に押される形で、俺の身体はマットの床に叩きつけられた。

だが、瞬時に手でマットを押し出すように、跳ねるように立ち上がると、俺は教官に向き直った。

ダンッ!

俺の鼻に激痛が走る。

教官の右の拳が俺の鼻面に直撃していた。教官は俺が瞬時に立ち上がるのを予測し、立ち上がった俺の顔面が来るであろう箇所に拳を突き出していたのである。

バッ……

俺は立ち上がった一秒後には、もう床に倒れていた。

鼻の中を何か水のようなものが垂れてくるような感触がして、不意に鼻の穴辺りに指をやると、血が付いていた。

「教官、鼻血出ちゃいました…」

「知らん。すぐ治る。続けるぞ」

教官は無慈悲にそう言った。

(まぁ、事実治るけどね……)

俺はそう思いながら、先ほどの起きた瞬間の拳を警戒して、起き上がりながら、距離をとった。

こんな日々をもう、三日も続けている。

殴られる事にも、ぶっ倒れる事にも、身体のあちこちが悲鳴を上げる事も、筋肉痛も、自分の突き出した拳や繰り出した足が空を裂く感触にも、とうに慣れてしまった。

(ご要望通り、慣れましたよ……今や殴られる事に恐怖もありません……それはたぶん、元からですけど…)

いつ来るかも分からない敵と果たしてこんな肉弾戦をやるのかは知らないが、傷の治りや痛みが引く速度が前より、心なしか速くなっているように感じていた。





「反応速度はそれなりに良い。だが、お前の打撃は全体的に弱い。重みが一切無いから、ダメージが少ない。もっと、力を付けろ」

午後の訓練が終わって、身体全体が重く、椅子に腰掛け、身体の不調を整えようとしている俺に教官が指摘をする。

「まぁ、まだそんなに時間は立ってないから身体作りに成果が出ていないのは頷けるが、相手に打撃を加える時にしっかり身体を使えていない。身体を捻ったり、足を踏み出したりして、勢いを付けろ」

「了解です……」

胃酸が逆流しかけ、気持ち悪さと肺の辺りの違和感がぬぐえないまま、俺は返事をする。

こんな事にすら慣れてしまった。

上達はしているのだろう。しかし、まだ一発すら教官には当てれていない。

教官の動きは速すぎる。俺自身、拳を出したり、蹴りを出したりした瞬間には、その間合いから教官の姿が無い事に気づく事が多々あった。

だからといって、拳や足を引っ込める事も出来ないから、反撃を喰らって、顔面や腹に激痛が走るのである。

(格が違うんだよなぁ……)

しかし、教官は殴る蹴るなどの攻撃はするものの、ガードなどの防御はほとんどしない。

俺がカウンターが一番効くという事が分かっているというのもあるだろうが、それだけの理由でずっと、避け続けるというのも合理的ではない。

避けるというのは自分の位置を動かすという事に他ならない。のけ反るにしても、身体が傾き、次の動作をするのに遅れが生じる。

さらに、避けるのに下がってばかりいれば、壁などの障害物に追い詰められる可能性だったあるのだ。

俺はまだ、そこまで教官を追い詰めた事はないが、それでも、頑なに防御をしない姿勢を感じる。何かあるのだろうか。

「教官、あの、教官ってどうして防御というかそういうのをしないんですか?」

俺の問いに教官は目を細めた。

「当たり前だ。実戦は一瞬。防御をする暇があるなら、相手の攻撃が届く前にこちらの攻撃を当て、無力化する。それが鉄則だ。防御してしまえば、相手の更なる攻撃を誘発しかねない。白兵戦においては特に、攻勢防御、先手必勝の姿勢を忘れるな。相手の攻撃を防御するくらいなら、相手の懐に入って、攻撃をする。というのが理想だが、それはとてつもなく難しい」

教官は続けた。

「だからこそ、最低限の回避を持って、相手の攻撃を躱(かわ)し、瞬時にこちらが攻撃をする。というのが、一番望ましい。特に、我々は警察のように相手を捕縛しなければならない訳ではない。相手がこちらを殺すなら、こちらも相手を殺す。だからこそ、殺られる前に殺るしかない」

その通りだ。これはただの事実。

相手は殺しに来るのだから、こちらも殺しに行かねばならない。

(だが、殴る蹴るで人ってそう簡単に死ぬのだろうか)

人が死ぬ瞬間を見た事がある訳じゃないから、分からないが、殴打を繰り返されたところで、人はそう簡単にしなないのではないか。

(そうであるなら、こんな風に肉体を強化するより、銃を撃ちまくった方が良いのでは……?)

俺のそんな考えを打ち砕くかのように、教官は口を開いた。

「ちなみにだが…敵方にも異能力者がいるぞ」

俺はその言葉を聞いた瞬間、驚愕のあまり、瞬時に教官の方に顔を向けた。

「え?ちょっ…話が違うというか……相手は異能力者を捕まえて研究とかやってる……」

「異能力者の中には、最初から戦闘員として迎えられる奴も居るんだよ。それに、そもそも人工子宮で作られた実験用の人間も居るしな。異能力者や突然変異体を作る上では最高の環境が整ってるんだ」

戦闘員として迎えられる……?

(いや、おかしいでしょ。じゃあ、何で俺は誘拐みたいな……)

そう思った瞬間、頭の中に一つの考えが浮かんだ。

選別。

俺は選別されたのだ。俺の異能力は戦闘員向きではなく、実験台向きであると。

でも、それなら、無理やら連れてくる必要はないのではないか。もっと、嘘を付いて連れてくるとか、やりようはいくらでも……

「異能力者はヘッドハンティングされてる人も居るって事ですか?」

「まぁ、そうだな。連中は元々、警察官や自衛官なんかの公務員だったりする場合がそうだ。それ以外は海外で傭兵をやってたとか、後は親が異能力とか突然変異体の研究に関わってたとか、そういうので採用されたりする」

縁故もあり、傭兵もあり……かなり柔軟に人材を活用しているみたいだ。

だが、そんな事よりも引っ掛かった事があった。

「え?公務員?え、何で…?あ、国の機関だったり……」

「いや、そういう訳じゃないが……まぁ、黙認されているというのが、実態だろうな。予算や設備などは別だが、組織の構成上、国家に関わりのある奴らを集めているってのは事実だからな。根の深いところで繋がってはいるんだろうよ」

教官の言葉に俺は不安を募らせる。

(国家公認の連中から狙われてるってまじかよ……絶対勝てないじゃん……)

相手の正体が漠然と浮かび上がった事で、俺の中に今まであった不安と恐怖は最高潮に成る。

(相手は自衛官とか警察官とか、どんなに訓練やっても勝てる相手じゃないだろうし、しかも、異能力者とかもう終わりだよ………)

強大すぎる。勝てるとか勝てないとかの次元じゃない。

闘っちゃいけない。俺はそんな連中と敵対してる組織に入ってしまったのか……

俺は落胆し、肩を落として俯いた。

無理だ。国家権力が相手なのだ。だからこそ、相手は誘拐なんて真似が出来たのだ。

はぁぁ……

つい、ため息をついた俺の方に教官は向き直った。

「だが、相手は確かに我々を殺しには来るが、出来る限りの捕縛したいと考えてはいるだろうな。そちらの方が実験体も増えるし、昇進にも響くだろう。ま、だからこそ、そこを突けるって訳だが」

「突ける……?」

俺は顔を上げて、教官の方を見る。

「相手のそういった心理は大いに活用できる。中には積極的に殺す奴も居るだろうが、もし、接敵したならこちらを生け捕りにするはず。それならこちらは向こうに捕まる前に、こちらの有利なポジションに着いたり、殺されないと踏んで大胆に動く事だって出来る。例えば、今やってるみたいに白兵戦に持ち込むとかな」

今やってるみたいに………

襲われたら、殴ったり、蹴ったりして、相手にダメージを与えて反撃するって事か。

でも、かなり危険だ。相手は絡め技とか、柔道とかの背負い投げとかやってくるかもしれないし、身体だって筋肉質だろう。

それでも、何もないよりはましだ。

「そのためにも、お前には後、十一日間、しっかり仕込んでやる。自分の窮地を自分で切り開けるくらいにはな。ま、そうなれるかは、お前の心がけ次第でもあるが」

「や、やります。しっかりやります。だから、強くしてください!お願いします!」

俺は椅子から立ち上がり、教官に深々と頭を下げる。

それを見て教官は鼻を鳴らした。

「やって見せろよ。相手の動きを良く見て、何をやりたいかを見極めろ。そうして、こちらのやりたい事が出来るように持ち込む。私のやってる事をその身で感じて、良く見て学べ」

「はいっ!」

まだ、希望はある。

それを掴めるかは、自分次第だ。

やってみせるさ。もう、誰かに何かを奪われるのは、失うのはもう嫌なんだ。

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