25.闘義

襲撃を受けるまでの二週間、それが勝負だった。

基礎体力作りは習慣化させると共に、それ以外の瞬発力や判断力も身に付けさせなければならない。

そのためにはやはり実戦形式での訓練が望ましいものであった。




午前中はずっと、ランニングマシーンと筋トレをやらされ、午後になると床がマットになっている部屋に連れてこられて、実戦形式での訓練が行われた。

そして、今に至る。

吐き気がする。腹全体にずきずきと苦痛が走って、胃酸が逆流してきて気持ちが悪い。

「立て。早くしろ」

教官が横たわった俺に見下げる形で告げる。

吐き気がする。腹全体にずきずきと苦痛が走って、胃酸が逆流してきて気持ちが悪い。

実戦形式での訓練をすると言われた時は柔道とかの格闘技を仕込まれるのかと思ったが、何も教えられてもらえずに戦わされて、訓練というより、ただ一方的な蹂躙が行われているだけであった。

殴ったり、蹴ったりしてこいと言われて、特に戦い方を教えられても居ないので、ただ単に近づいてきて、腕を振りかぶったら、そのすきに腹パンをかまされて、俺は今、絶賛腹痛中である。

「どうした?実戦なら死んでるどころか捕虜になってるぞ。実験台になりたいのか?」

教官の言葉には説得力があるのは確かだ。捕まったら相当やばい事になるという事は分かっている。

(具体的に何をされるのかは知らないけど、やっぱり変な実験されそうだよね……)

ただ、そんな事を言われても教官のパンチはあまりにも重すぎる。

腹痛に耐えながら、どうにか腕と足に力を入れて立ち上がり、拳を構えて教官を見据えるが、その間、一分以上もの時間がかかってしまった。

教官は一切の構えもとらず、ただだらりと両腕を提げ、不動の姿勢で俺を見つめる。

(こういうの、無構え(むがまえ)っていうんだっけ……?何をしてくるか分からないって言うような奴……)

警戒はしつつも、何もしない訳には行かない。

今はどんなにこっぴどく殴られたりしても、死なないのだ。だって訓練だもの。死んだら根底が崩れてしまう。

(まずは行動、その後に反省、また行動だ)

俺はその思いで、また拳を前に突き出す。

先に左腕を前に出し、それを後ろに引く反動で、右腕に勢いを付けて突き出した拳は、俺が人生で繰り出したパンチの中では良い方だった。まさしく最高のパンチだ。

だが、教官はその最高のパンチを繰り出した右腕を掴み、赤子の手をひねるという言葉通りに、回す。

「んんぅぅヴヴヴヴヴ!!」

腕をつんざくような激痛がする。

俺はひねられた右腕に合わせて、右に身体を曲がってしまう。

そこに教官はまたも腹パン。

腹と右腕に苦痛が響き、とっさに左腕を腹に添えるが、痛みは消えず、先ほどやられたのと合わせて、さらに増幅する。

俺は痛みに喘ぎ、殴られた拍子に頭から床に飛び込むような勢いで身体を曲げてしまう。

「ぐっ、はぁ……あの…もう…勘弁……」

「舐めてんのか?この程度、耐えてカウンター出せよ」

(いや、素人に何求めてらっしゃるのよ……)

吐きそうになりながら、俺は顔を上げて教官を見上げる。

目は特段血走っている様子はない。

いつもと変わらない口調のまま、荒々しい言葉を使う。

「何か……何か技とかお教えいただいても…」

「駄目だ。自分の身体に聞け」

「ええ……?」

「早くカウンター出せ!」

教官は怒鳴り散らすと、右腕を振るって、俺の左頬を殴った。

しかも、右腕を掴んだまま殴られたために、衝撃を後ろに逃がせずに、掴まれた自分の右腕に身体が倒れ込む形となってしまう。

そこに返す刀で、教官の右手が、右腕に埋められていた俺の左の横顔を掴んで、引っ掻くように俺の身体を反転させると、よろけた俺の顔面に拳を繰り出した。

バンッ

鈍い音が聞こえる前に、顔全体に痛みが走る。

次いで、勢い良くマットに倒れ込んだ衝撃で、後頭部が悲鳴を上げ、脳が揺れる。

キーーーーン………

モスキート音が鼓膜から頭に響く。

あぁ……愛の無い拳だ。それどころか、感情もこもっていない。

相手を殺傷するための一挙手一投足。全てが計算された完璧な動き。

そんなのに対応できる訳がない。

「……教官……もう駄目です…動けません……」

途切れ途切れに、俺は口をほとんど動かさず、上手く発音出来ていない言葉を吐いた。

そんな俺を教官は見下げる。

「お前、異能力者のくせに、自分の力を理解していないのか?」

「把握はしてます……」

「なら、分かるだろ。お前の身体は修復能力が高い。外傷はもちろん、内部の損傷だってすぐに治る。だから打撃をどんなに喰らっても、どんなに刺されても、どんなに切られても、お前はノーダメージだ。接近戦じゃ、やられる事は無い」

教官はそう断言するように言いきった。

すぐに治るとか、ノーダメージとか、そんなの知るか。

(今痛くて、吐きそうで、身体が動かせなくて、辛いのは俺なんだ。外野がとやかく言うんじゃねぇ、特にサンドバッグにしやがったてめぇはぜってぇそんな事言うな!)

治るったって痛みはあるし、殴られれば神経にダメージがいって、身体が麻痺したりするし、胃酸は逆流するし、脳みそが揺れて身体が動かなくなるし、全くもって、ノーダメージじゃない。

そりゃ、死なない限りはノーダメージかもしれない。だが、死ぬその瞬間まで身体が動かせないなら、死んでいるのと同義じゃないか。

「やられなくても、駄目です…こんなに殴られちゃ、身体が動きません……」

俺の必死の抗議に教官は蔑みでも無く、憐れみでも無い、確かな冷徹さを称えた目でこちらを見つめた。

「良いか。お前に何も教えないのは、実戦じゃ教えた事は役に立たないからだ。特に異能力者にとってはな」

教官はちゃぶ台返しみたいな事を言い出した。

そんな事を言ったら、世界各国の軍人や警察、特殊部隊は、皆、日々の訓練は無駄だって事になる。

(それとも、異能力者限定の話なのか?それでも訓練が役に立たないって、今までしてきた事は何だったんだよ…)

俺は心の中で不平を垂れる。

モンテさんも訓練で特性を発展させていけって言っていたし、異能力者にとって訓練は必要不可欠ではないのか。

「良いか。実戦じゃ、一瞬なんだよ。映画やら漫画やらアニメやらみたいに、人一人が死ぬのに数分も尺を取ったりしない。一瞬の判断が生死を別ける。どんなに訓練を積んだところで、十歳以下のガキの乱射喰らって、死ぬ奴もいりゃあ、昨日まで普通の生活してたのに、今さっきで特殊部隊を殲滅できる奴も居る」

ケースバイケース。例外は存在するという話だろうか。

(だが、そんな事を言ってもキリがないような……)

教官は続けた。

「これに加えて、異能力者の場合は、異能力自体の性能に左右される部分は大きい。一瞬で半径三十メートルを火の海に出来る奴も居るが、ゴキブリ一匹殺せない異能力を持ってる奴だって居るんだ。そんな奴がどんなに身体を鍛えたって、意味は無いだろう」

俺は教官の言う事に本の少しだけが共感していた。確かに一理はある。

異能力は生まれた瞬間に配られたカードだ。当たりもありゃ、外れもあるだろう。

そんな本人の預かり知らぬところで決まったもので生死が別れてしまうのは、悲しい事だ。

だが、十二分にあり得る事でもある。

教官は身振り手振りをする事無く、ただ、一点、俺の目だけを見据えていた。

「お前の場合は訓練をした方が良い異能力だから、訓練をしてる。訓練したって意味がないなら、最初からそういう風にしてる。良いか。内山。お前の異能力はとにもかくにも、使われる事で真価を発揮する。身体が壊れ、それを修復する。それを繰り返す事でその機能は大幅に効率化される。身体がやり方を覚えるからな。やればやる程、お前の異能力は強くなる」

そこまで言うと、教官は膝を曲げて俺の顔を覗き込んだ。

「内山、お前は訓練によって強くなる。そして、私に壊された分、異能力も強くなる。だが、これは見稽古(みげいこ)だ。自分の身体が壊される瞬間を感じろ。壊し方を良く見てろ。私の打撃が与える苦痛に慣れろ。そうすりゃ、必ず強くなる」

つまり、さっきまでボコボコに殴りまくったのは、俺が教官の殴ってる様子を見て、殴るやり方を覚えろって事か。

(いやいや、冗談じゃねぇって)

普通に部活とか運動系のサークルみたいに一対一のマンツーマンで教えれば良いじゃないか。

何でこんな回りくどい事をしなくちゃならない。

「あの……見ただけじゃ分からないと思うんですけど……」

「お前が使って、その所作が良くないと思ったものに関してはその都度(つど)指摘する。まずはやって見せろ。話はそこからだ」

日本軍の精神論よりもひどい。

やってみてって、そんな無茶な事を言われても困る。

(どうせやっても避けるし、当たんねぇだろうが。ていうか、さっき拳を出した時は何も言わなかったじゃんか!語るまでも無いもんだってのか!こん畜生!)

俺が心の中でわめいていると、それが顔に表情として出ていたのか、教官が眉間に皺を寄せながら言った。

「悪いが、内山。もう二週間しか無いんだ。たった十四日で、お前が戦場で生き延びられるようにするためにはつべこべ言ってられない。分かってくれ。これは、私が編み出した最善の方法だ」

最善…か。

そんなの、あんたにとってだろ。俺にとってじゃないし、そのやり方が俺に馴染むかは分からないじゃないか。

だが、それでもやるしかないってか。

後、十四日。十四日したらここに敵がやってくるかもしれないんだ。

もしかしたら、戦闘に巻き込まれるかもしれない。その場合は自分だってやるしかない。

(そんなのは御免被(ごめんこうむ)るし、さっさと避難ルートとか教えてくれよ…)

今までだって、色んな事をやらされてきた。

その時だって、自分の中にあるものを柔軟に変えて、対処してきた。

今、この瞬間だって、自分の中にあるものを変えるべき時だ。

「休憩は終わりだ。再開するぞ」

教官はそういって、俺の顔を覗き込んでいた身体を起こす。

それに呼応するように、俺は立ち上がった。

やってやるさ。今までよりは辛くない。

(とにかく、殴ったり、蹴ったりして、指摘してもらって、改善すりゃあ良いんだろ?)

やってやる。やってやるよ。

こっちだって、初戦敗退は嫌なんだ。やるからには絶対にものにして、生き残ってやるよ。

俺はそう強く思うと、右の拳に力を入れて固く握り締めた。

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