24.前進
はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…
トレーニングルームから荒い呼吸音と何かの機械が作動する音が聞こえる。
(どうも、内山優です。教官の帰りがあまりに遅くて、でも、何もしていなかったら怒られるかなと思って、ランニングマシーンを爆走しまくっています。
いつになったら帰ってくるのでしょうか?体感四時間は走り続けています。たぶん、二時間は走っているんでしょうね。そんな気しますよ)
心の中で誰も居ないのに話しかけるくらいには、俺の心は荒(すさ)んでいた。
暗い夜道は慣れっこだ。だが、夜道は少なくとも、月明かりと街灯という頼りなくも頼もしい味方が居る。
しかし、明かり一つ無い上に、冷気の漂う長い道を歩かなければならなかったのだ。
(一人で行ったんですよ、一人で。二人の予定だったのに。重要な事ですから、もう一度言いましょう。二人の予定が一人で行ったんです。一人で)
正直、心の中には怒りの炎が燃え盛っている。
懐中電灯の明かりはあまりに弱々しく、それでいて前方を仄かに照らすのみであり、手元や自分の周囲の半径一メートルも明瞭にしてくれないのである。
不親切この上無く、完全に私の心を懐中電灯及びライト派からランタン及び提灯(ちょうちん)派になりました。
(今日から懐中電灯アンチだよ、こんちくしょう!)
誰に向ける事も出来ない怒りを心の中で叫びながら、俺はランニングマシーンの上で悶えながら、足を交互に前に出し続ける。
暗闇の中を恐怖に押し潰されそうになりながら、どうにか帰ってきたのに、あのフランス語をしゃべる人は居らず、食事はテーブルの上に二つ、お盆の上に用意してあった物を食べた。
今朝は居たというのに、何か用事があったのだろうか。
まぁ、自分はここに来てから日も浅いし、何かしら状況が変わろうが、教えてくれたりはしないだろう。
そんな事を思いながら、走り続ける事、三十分程経った頃、教官がトレーニングルームに入ってきた。
「すまない、少し用事が長引いてな」
そんな詫び文句は俺の耳に届かない。
「自主的に訓練をして居たとはやる気があって何よ…」
「あの…はぁ…教官…はぁ…遅いっすよ……はぁ…一人で暗いところ行かせて…はぁ…ひどいじゃないすかぁ…?」
俺は貯まっていた鬱憤を晴らそうと、文句を言ったが、息切れのせいで覇気がない。
「申し訳ない。色々立て込んでしまってな」
「そうですけどね…はぁ…」
何だが、怒ったは良いものの、筋違いな気がしてきてしまった。
自分の怒るポイントとしては、普通に暗闇を一人で歩かされて怖かったという点と任された点だ。
(しかし、常識的に考えて目上の人に怒りをぶつけるってちょっとやばいんじゃ………)
考え無しに口から出た言葉は引っ込める事は出来ない。
となると、後はどう収拾をつけるかだ。
この場合、教官は謝罪してきたし、これ以上俺が踏み込まなければ、何も言ってこないのではないか?
そうであるなら、この話は終わり。以上、閉廷、解散だ。
教官は何も言わずに、隣のランニングマシーンを起動し、走り出す。
俺には何も言わないし、目も合わせてこない。
(これは……どっちだ?まさか結構頭にきてたり……いや、どうなんだ?怒ると身体動かして発散するタイプだったりするのか……?)
俺がそう思案している心中を知ってか知らずか、数刻の間、教官は無言で走り続けた。
もちろん、教官が止まらないという事は俺が止まれる訳がない。
こうして、俺はまた限界を超えさせられ、ふらふらと倒れ込むように走りながら、教官が止めるその瞬間まで、ランニングマシーンの上で走り続けた。
(も…だめだ……止めた方が良い……)
とうとう姿勢も悪くなり、目眩まで起こし始めた俺は、隣をちらりを見やる。
隣の教官はランニングマシーンの上を始めた時と変わらない一定の速度で走り続け、涼しい顔で前だけを見つめている。
本能が告げている。このままでは死ぬ。今すぐ止めろ。と。
しかし、今止めたら、教官に「何で止めた」とか怒られるのでは無いだろうか?
(中学の部活とは違うが、やっぱり、上司が止めてないのに止めるのはなぁ……)
こういう中学校時代の部活の精神が骨身に刻まれ、アップデート出来ない奴は稀に居るが、俺はその中でも末期患者だ。
それに、常に回りの目を気にして生きてきたせいで、周りが止めていないのに止めるのは集団の和を乱す行為に他ならないと思ってしまう自分が居る。
だが、身体は正直だった。
(もう、だめだ、もう…無理…)
不思議と視線はランニングマシーンの停止ボタンに釘付けになり、手はそちらへ伸びようとしてる。
もう限界だ。
ピッ
俺はランニングマシーンを止めて、上から降りると、よろよろと歩きながら呼吸を整えようとして、力尽きた。
膝が折れ、尻と背中が床に着き、俺は自然と倒れ込んだ。
物凄い重力波でも感じているかのように、身体全体に負荷を感じて動けず、まるで、身体が床に張り付いているかのようだった。
はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…
息切れを起こしながら、倒れ込んだ俺を見て、教官もランニングマシーンを止めると、こちらへ近づいてきた。
当たり前のように教官の呼吸は少し早くなっている程度で、荒くなったとは言い難いのが、経験者と素人の格の違いを物語っている。
近づいてきて、どうする気なのだろうか。
激怒して罵倒したりするのだろうか。もしくは、止めた事に対する嫌みでも言うのだろうか。
(どっちも経験したけど、やっぱ何も言われないって事はないよなぁぁ……)
「喉乾いてるだろう。飲め」
教官は懐から出した水筒を俺の口につけて飲まそうとしてくる。
傾けられた水筒から俺の口に流れてきたのは、薄めたスポーツドリンクだった。
(中学の時に母親がスポドリの粉買ってきて作ってくれたなぁ……懐かし)
スポドリそのままだと甘すぎるという理由で、二分の一くらいに薄めるのが良いという話だったが、自分以外にやっていた奴は部内に一人も居なかった。
まさか、こんなところでやっている人と出会うとは思わなかった。
(人生ほんとに色々あるもんだなぁ…)
俺は拍子抜けしたような肩透かしのような気分でそんな事をぼんやり思い出していた。
何らかの反応があるとは思っていたが、まさか水分補給をさせてくれるとは。
罵倒か嫌みの類いを浴びせられると思ったのに、これは予想外の行動だ。
教官は俺に水分を飲ませると、水筒を俺の横に置いて、長椅子に座る。
「ちょっと……良いか?」
「はい…」
「一つ話しておきたい事があってな」
神妙な面持ちで、教官は告げた。
「ここは近いうちに襲撃される」
「襲撃?!ま、まじすか?!」
驚きのあまり、大声を出す俺に教官は淡々と話す。
「あぁ、他の部署はもう撤収の準備を進めているようだ。私はまだ正式にその話は聞いてないし、指示も受けてない。だから今のところは私達は撤収準備はしない」
話が教官のところまで来ていないというのか?じゃあ、どこからその話を知った?誰から聞いたんだ?
(モンテさんの他にも知り合いは居るだろうし、どこからでも情報を得ようと思えば得られる人だと思うんだけど……)
そもそも、襲撃とかって、全体的に人が集められて報告される事じゃないのか?重大事態だよな、襲撃って。
何で部署ごとに連絡する必要がある?
(普通に報連相も出来てないのか、白い六月の指導部は)
教官は俺を見据えて言った。
「猶予としては今日から二週間くらいはある。その間、お前を本気で鍛え上げる。音を上げたって無視するし、罵ったり怒鳴ったりはしないが、止めと言うまで止める事は許さない。身体が限界だと思ってもやり続けろ。良いな?」
「はいっ」
「この二週間が勝負だ。基礎体力から耐久力。瞬発力なんかの身体能力から、殺人術も習得してもらう。自分の身は自分で守る。その程度の事が出来ないと、異能力者としてはやっていけないぞ」
「はいっ」
俺は声を張り上げて返事をする。
「それじゃ、今日はこれで訓練は終わりだ。飯の時間まで身体を休めろ。動かすんじゃないぞ」
「りょ、了解です……あの、フランス語を話す人が居なかったんですけど…」
「たぶん、調理区画はもう撤収準備にかかったんだろうな。そっちの作業が忙しいんだろう」
なるほど、料理を作る人達はもう撤収準備をしてるのか。
でも、教官には撤収命令が来ていない。
この差はなんだ?
(設備の数の多さか?でも、トレーニングルームには運び出さなきゃ行けないような器具はあったし……)
教官に撤収命令を出さない理由が分からない。まさかとは思うが、冷遇…とか?
不可解な事はあるものの、俺は事の真相を知る術を持たなかった。
だが、その時は着実に近づいていた。
運命が、現実を連れてくるその時が、間近に迫っていた。
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