10.教官②
俺は決して大食いな方ではない。
ただ、出されたものはきっちり全部食べきるという事が染み付いてしまっているだけで、たくさん食べれるという訳ではないのだ。
家族と暮らしていれば、食事を食べきれないと残したり、あるいは、明日の食事に昨日の分が回ってきたりする。
だが、そうはいっても、食えと言われたものを全部食べれなかったりすると、親の食料供給計画に沿わなくなる訳で、せっかくの食糧を腐らせてしまい、苦言を呈される事が幼い頃は良くあった。
今思えば、毒親の一種だったのだろう。
そういう訳で、俺は目の前に出されたものは全部食べきるという習慣が身に付いてしまったのだ。
そのため、俺の中で食事というものは作業と言った側面が強くなっていってしまっていた。
しかし、出された食事は今までに食べたものの中でも格別に美味かった。
腹に食べ物を入れていなかったという事もあるだろうが、胃袋が、早く早くと言わんばかりに急かしてきて、一向に箸が止まらない。
箸で運ばれてきた食物が舌に触れ、口の中に例えがたき快感を与えくれる。食べ物が舌の上で踊るというのはこういった感覚なのだろう。
(美味い…美味い、美味いっ、美味いっ!)
長らく染み付いた悪癖のせいと、最近の食事をインスタントやコンビニの惣菜パンといったもので済ませていたという事もあって、久しぶりに食べる手料理は身体の隅々まで染み渡るようだった。
俺は快楽に浸りながら、出された料理に舌鼓を打っていた。
そんな時、俺の方を見ながら男が口を開いた。
「そういえば、自己紹介が遅れた。俺は降川(ふるかわ)。お前の訓練教官を務める。これからよろしく頼む」
そう言いながら、男は右手を差し出した。
「…う、内山です。内山優」
俺は箸を置いて、出された右手を握った。
「そうか、内山。悪いが、ここでは、下の名前は使うな。ここでは、名字だけで呼び合う。少なくとも戦闘職はな」
名字だけで呼び合うとは何とも、職場のようだ。
同士同胞とは謳うものの、それでは少々他人行儀なようにも感じる。
降川は続けて話し出した。
「ここにはルールがある。そのうちの一つは互いを名字で呼ぶ事。理由としては、唯一性がないからだ。つまり、個人を特定される事がない。従って、下の名前は教えるな。誰にもな」
ルールには理由が、規律には原因がある。
どうやら、名字で呼び合うルールは個人情報の特定防止らしい。
だが、組織の構成員としての日常にそのルールが本当に必要なのだろうか。
(土壇場、つまるところ戦闘状態に陥った時に、あわよくばその場から逃げ出せても、名前を覚えられたらバレるから…って事か)
あまり、納得のいかないルールだ。
そもそも、我々はお天道様の下で大手を振って歩ける事が出来ないよう、強いられて、今この瞬間も地下でねずみのように過ごしているではないか。
仲間意識を深めるためにも、下の名前で呼び合った方が良いような気がするのだが……
俺がそんな事を考えている間にも、降川は話を続けた。
「ルールのうち、二つ目は、何か問題が発生した際には、必ず直属の上長、または、周囲にいる仲間に連絡を入れ、なるべく上にまで報告を上げる事。組織として一糸乱れぬ行動を取ったとしても、敵の術中に嵌まれば意味はない。組織的な行動を取るためには、情報が鍵となる。そのため、自分の見知った情報は必ず報告し、報告されたものは必ず上へ上げる事。分かったな」
これは妥当だ。一般企業などにもこれは言える事で、現場の状況や事態の急変、打開策など下と上の連携が求められる部分は多くある。
「分かりました。肝に銘じておきます」
「それじゃあ、ルールのうち、三つ目だが…」
「あっ、その前に質問があるのですが…」
俺は降川の話を遮って、疑問をぶつける。
「我々を付け狙っている敵対勢力について、分かっている事などはありますか?少しで構いません。もちろん、教えられない事などはあるでしょうし…」
謙虚さを見せつつ、しっかりと質問を織り混ぜて俺は尋ねた。
この事だけは早く知りたかった。
相手がどうして、自分を狙ったのか。いつ狙われたのか。
そして、何を目的に活動しているのか。
そういった、これからこの組織の中で生きていくための情報は是が非でも獲得しておきたかった。
(漫画やアニメじゃ結構早い段階で分かると思うんだけどな…ただ単に分かっていないという面もありそうだが…)
普通、新入りが入ってきたら敵勢力に対して分かっている事は新人研修といった形である程度は説明するはずでは無かろうか。
そうではなければ、敵愾心(てきがいしん。敵に対して怒りを燃やし、これを倒そうとする闘志)を育む事が出来ず、相手の性質を見誤る者が出てきてしまうし、これを怠った組織から意思統一を図れず、内部分裂を起こしてしまうのは歴史の常道だ。
これに対してはこの組織はどう対処しているのだ?
「まず、ルールの説明からだ」
降川は俺の質問には答えずにこう言った。
「ルールのうち、三つ目は知りたがるな。知ろうとするな。だ」
降川は語気を強めた。
「無理に把握と理解に努めた者から、危険を冒し、命を落としていった。相手方の事に不明点が多いのはこの要因も多分に含まれている」
把握と理解に努めた。この言葉は様々な意味に取る事が出来る。
敵対勢力に諜報活動を行ったとも、相手の構成員を捕まえて、尋問を行ったとも読み取れる。
だが、それがことごとく失敗したという事だろうか。
仮にそうであるなら、ここまで敵対勢力について教えられなかった辻褄が合う。
しかし、本当にそうなのであろうか。
意図的に情報を出さないとしたら、それは一体何のためだ?
俺は精一杯脳を回転させるが、すぐには答えは出るものでは無かった。
(一兵卒には教えられない。そう考えるしかないか)
知りたがるな。それが答えだ。
少なくとも、降川やモンテなんたらさんは敵ではない。
ならば、彼らが属する組織が行う事も整合性のある戦略に基づいた事であるのだろうと、信じるしかない。
しかしながら、少し口調が強くなったという事は……
(実際に目の当たりにした…という事もありそうだな)
降川というこの男は、モンテなんたらさんよりも、堅実に生きているような印象がある。
この人物からは、どこか、軍人のような堅物さというか…こちらとの関係を浅いままにしようとしているような…そんな冷淡な感じがする。
「今はその三つのルールさえ分かっていれば良い。後は、基礎訓練の習得後に覚えれば良いだけだ。さて、君の要望の敵の事だが……」
降川は重たい口を開いた。
俺はすぐに食い付きをみせる。
「はい、敵の事について教えてください」
(知りたがるな。何て言った割には案外教えてくれるじゃないか)
何て思ったのは間違いだった。
「我々が分かっている事は三つだけ。一つ、異能力者、超能力者、突然変異体、これに該当する者達を捕縛、収容している事。二つ、構成員は警察といった公務員から、一般人まで多岐に渡る事。三つ、彼らは収容した個体に対して様々な実験を行っている事。以上だ」
誰もが想像する研究機関って感じの内容だ。
「本当にこれだけ…」
「証言をかき集め、信憑性の高いものを上げるならな」
「そうですか…」
俺は予想外の答えに落胆を隠しきれなかった。
やはり、分かっていないのだろう。
となると、敵はだいぶ巧妙で洗練された組織なのではないだろうか。
(時既に負け馬に乗った雰囲気があるな…)
俺は心の底から、そう思ってしまっていた。
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